2015年6月8日月曜日

宗教法人と税金 ①所得税の源泉徴収

坊主丸儲け」という言葉があります。
デジタル大辞泉によると「僧侶は元手がいらないので、収入の全部がもうけになるということ。

収入の全部がもうけになるというのは言いすぎですが、お寺では僧侶の給料以外はほとんど経費がかからないので収入のほとんどがもうけになるということですね。

実際、お寺にいくと、広大な敷地に立派な建物が建っており、その脇には黒塗りのベンツが停めてあったりして、もうかっているんだなという印象を受けます。もちろん、すべてのお寺でもうかっているわけではありませんが、東京の一等地にあるお寺などは、土地だけでも相当な資産であり、仮に誰かに貸せばそれなりの収益になります。

また、宗教法人は非課税で税金がかからないというのを良く耳にします。一般の企業で売上をあげたりお金をもらったりして収入があれば、経費を除いた分に税金が発生しますが、宗教法人の場合はお布施、献金や寄付金収入に対して税金が発生しません。不動産に対する固定資産税等も非課税申請をしてあれば非課税となります。

では、宗教法人では全く税金が発生しないのかというとそうではありません。宗教法人でもいくつか納税が必須な税金があります。

①職員の給料に対する所得税の源泉徴収

寺の住職、教会の牧師は職業として行っていますから、当然、給料をもらっています。宗教法人から支払われる給料は個人がもらうもの、個人が収入を得たら一部の例外を除いて所得税が発生します。宗教法人の場合、この所得税を源泉徴収する義務があります。つまり、所得税の分を差し引いて給料を払い、それを国に納税します。

宗教法人は非課税なので、住職や牧師の給料の所得税も非課税と勘違いしている人がかなり多いようですが、明らかな間違いです。非課税であるのは、あくまでも宗教法人が収入を得た場合。個人の給料には所得税がかかります。

この考え方は他の国でもだいたい同様のようです。隣国、韓国でも宗教法人は非課税ですが、個人の給料には原則的に所得に対する税金が発生します。ただ、実際に納税するかどうかはまちまちのようで、グレーゾーンとなっており、納税しない宗教法人もかなり存在するようです。

しかし、日本では、所得税を申告・納税しないことは明らかな違反であり、発覚すればある年までさかのぼって追徴課税の対象となります。その度合いが悪質であれば、脱税と判断され、刑事告訴の対象にもなりえます。

また、個人にかかる税金だから宗教法人は関係ないので、個人が自分で確定申告をすれば良いと考えている人もいますが、それも誤りです

国税庁のサイトを参照すると、次のように書かれています。

会社や個人が、人を雇って給与を支払ったり、税理士などに報酬を支払ったりする場合には、その支払の都度支払金額に応じた所得税及び復興特別所得税を差し引くことになっています。
  そして、差し引いた所得税及び復興特別所得税は、原則として、給与などを実際に支払った月の翌月の10日までに国に納めなければなりません。
  この所得税及び復興特別所得税を差し引いて、国に納める義務のある者を源泉徴収義務者といいます。
  源泉徴収義務者になる者は、会社や個人だけではありません。
  給与などの支払をする学校や官公庁なども源泉徴収義務者になります。

国税庁-源泉徴収義務者とは
https://www.nta.go.jp/taxanswer/gensen/2502.htm

つまり、非営利の宗教法人であっても、給与から所得税を差し引いて納税する義務があります。(源泉徴収義務)
仮に源泉徴収をしなかった場合、その責任は給料をもらった個人ではなく給料を支払った宗教法人側にありますので、もし発覚すれば宗教法人が追徴課税を受けることになります。


次に、どこまでが給料の対象かが問題になります。住職や牧師の場合、宗教法人の建物に住んでいたり、個人の生活と仕事が結びついていたりして、境目があいまいなことがあります。支払った金額のうち、プライベートに利用するお金はほとんどなく、ある意味給料はゼロだから税金は発生しないと考えている人もいますが、これも間違いです

どんなに頑張っても人がこの世に生活する以上、衣食住など必要なお金があります。生活保護対象者の支援額が月10万円程度あるということは、個人の生活には最低限そのくらいの金額がかかるということを示しています。

宗教法人が職員に住居を無料で貸している場合、それがたとえば寺や教会の場所であり、運営上必須ということであれば大丈夫ですが、マンションやアパートの一室を貸しているのであれば、通常は賃貸料が発生するはずであり、その分が給料とみなされることもあります

また、職員に食事を支給している場合も、半分くらいの金額であれば良いですが、全額支給している場合は、やはり給料とみなされることもあります

そのあたりの詳細な内容は、国税庁のサイトで説明されています。

国税庁-宗教法人の税務
https://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/pamph/gensen/h27_shukyo.pdf


宗教法人は独自の教義を持ちその教えを広めるための団体であり、通常、愛、正義、誠実など人や国家に尽くして仕えることを説くのですから、どれだけ非課税になるのかにこだわるよりもむしろ、積極的に税金を払い、他人や国を支えようとする姿勢が大切でしょう

2015年6月7日日曜日

ヨハン早稲田キリスト教会、自転車駐輪禁止の2週目の様子

ヨハン早稲田キリスト教会前の路上にて自転車の駐輪禁止を始めてから2週目の日曜日
停める人はほとんどいなくなりましたが、まだ子供が停めてしまうようです。

2015年6月7日 11:30 撮影

今までやってきたことは習慣になっていてなかなか変えづらいもの。特に子供は大人の姿を見ていますので、大人から改めていかないといけないですね。

2015年5月31日日曜日

ヨハン早稲田キリスト教会前の違法駐輪の自転車がなくなりました

約15年間にわたり、ヨハン早稲田(東京)キリスト教会前に大量の自転車が違法に駐輪されていましたが、ついに違法駐輪の自転車がなくなりました。

教会で新しく組織された運営委員会によって、違法駐輪の自転車を完全になくすことが決議され、実行された結果です。


2015/5/31 午前9:26 撮影

教会は変わったという見方もありますが、自転車を道路に駐輪しないことは、子供でも知っている当たり前のことであり、ようやく地域の人と同じラインに立ったに過ぎませんので、これからどうやって地域に貢献していくかが、重要になると思います。

また、しばらく目を離すと自転車を停める人もいますので、言われたから停めないだけでなく、自ら進んで停めないように心掛けることも大切ですね。

2015/5/31  15:06 撮影
停められていた2台の自転車

2015年3月13日金曜日

マイナスなことも考えていいと考える

首や肩のこり、なんとなくの頭のだるさなどが数年前から続いていて、大学病院で各種
検査をしても異常はなかったことから、最近、個人的に、自立神経失調症の疑いもあるかと思いメンタルクリニックに診察にかかってみました。

医師との面談の結果、特に異常と思われるものはなく、神経症やうつ病関連の治療をする場面でもないということで、初診一回で終了になりました。

個人的には、痛みの原因がわからないのもつらく、何らかの病名が判定されてほしいという思いがありましたので、ちょっと残念で、今後はどうしていけばいいのだろうという気持ちでしたが、最後に渡された「初診が終わられた方へ」という紙に、なかなか良いことが書いてありました。

マイナスなことも考えていいと考える


通常、「マイナスなことを考えてはダメだ」「マイナス思考はダメ!」というのが世の中の一般的な意見ですが、「マイナスなことを考える」ことは決して悪いことではないということです。むしろ、マイナスなことを考えることは、積極的な生活のために逆に役立つというのです。
実際に、「一日に10分間、マイナスなことを積極的に考えさせた」グループは、「何もさせなかった」グループに比べて、二ヶ月後に、かえって明るく毎日を送っているということが分かったそうです。マイナスのことを考えることが必要なのです。
ですので、良くないことが思い浮かんでしまったときにも「考えてはダメだ!」と思うのではなく、「今から10分は、逆にマイナスのことも考えてもいい時間だ」と思うこと、それにより、かえって気持ちが楽になるのです。

マイナスの考えもプラスに作用する、人間の心というのは不思議なものですね。

2014年11月28日金曜日

名語録の整理

自分が病気になった理由を考えられるでなく、病気になった意味を考えようとしています。

ノートルダム大聖堂の建設に従事している三人の人に、今何をしているのかと質問したところ、それぞれ次のように答えました。
一人は、大きな石を運んでいるところで大変だと答えました。
もう一人は、家族のために頑張って働いているところだと答えました。
最後の一人は、ノートルダム大聖堂を建設しているところだと答えました。
このノートルダム大聖堂の建設が完了したのは、数百年後のことでした。

2014年9月6日土曜日

あなたがたの信仰はどこにあるのか

「あなたがたの信仰はどこにあるのか」

先月までヨハン教会連合の牧師であった金圭東氏が書いたメッセージ集のタイトルです。
ルカによる福音書の説教集ですが、上下巻それぞれ500ページ近くある冊子で、金圭東氏のメッセージが凝縮されたかなり濃い内容となっています。

メッセージ内容を読んでの感想は書ききれないほどありますが、今回はこの本のタイトルである「あなたがたの信仰はどこにあるのか」について考えさせられました。

聖書では、わたしたちの救い主はただイエスキリストおひとりであると教えています。そして、私はただイエスキリストだけを信じて歩んでいたと思っていたのですが、そうではなかったようです。

実際は、イエスキリスト以外のものにも何か信仰心のようなものがあったのかもしれません。それは、たとえば、教会に対する信仰、あるいは牧師や教会の先生に対する信仰です。

私の所属しているヨハン教会連合は次々と教職者や信徒を生み出し全国に開拓教会も建てどんどん大きくなっていきました。その中で、この教会にいれば将来は安泰だとか、この教会で将来役員等になっていけば、日本のキリスト教会の主導をとれるとか、そういう思いがあったのではないかと自分の心に手を当てて悔い改めざるをえません。また、教会の教職者からいろいろ励まされたり良いことをしてもらったことで、その教職者を頼ってしまう思いもありました。

クリスチャンの信仰は、特定の教会や特定の恩師などに向かう信仰ではなく、ただ主なる神様に求める信仰でなければいけません。どの教会に所属したとしても、どの人と別れることになったとしても、ただ主なる神様だけを頼る信仰です。

日本でいろいろな教会が内部の人間的な戦いや外部からの誹謗中傷などで分裂して倒れていく話を今まで聞いていましたが、ヨハン教会だけはそういうことはないだろうと思っていました。そのこと自体が高慢であり、主は私を含めてこのヨハン教会連合を徹底的に打ち砕こうとされているのだと今は感じています。

どの教会に属したとしても、どこに行ったとしても、ただ主なる神様とつながっているならば、福音を伝えることも、家族や同僚にキリストの愛を伝えることも可能でしょう。

「あなたがたの信仰はどこにあるのか」 これをいつも問いただしながら、これからは信仰生活を送っていきたいと思います。

2014年9月1日月曜日

ヨブ記とヨハン教会での出来事

昨日までヨブ記のデボーションの箇所でした。
ヨブは全く純粋な信仰を持ち主に「彼のように正しく神を怖れるものはいない」と言われるほどでしたが、主なる神様がサタンにヨブを攻撃することを許可したことにより、ヨブは財産をすべて奪われ子息を皆殺され、ついには、自らの体まで不治の重い病にかかって苦しみます。
ヨブにとって最も大きな苦しみは、自分が主に対して誠実に正しく歩んできたにもかかわらず、なぜこのような大きな苦難を受けるのかという疑問でした。悪いことをして苦難をおったり、何かの目的にために苦難を受けるのであればわかりやすいですが、理由のない苦難は人を絶望に陥れます。
最後には、主はヨブに現れヨブを叱りながらも憐れまれ、財産は以前の2倍祝福されます。

私たちの信仰生活においても理由がわからないことは起こりえますし、実際、今回、私が出席しているヨハン教会においてそのことが起こりました。

ヨハン教会連合の堂会長であった金圭東牧師による女性教職者に対するセクハラおよび暴力の疑惑が浮上し、韓国のニュースサイトに掲載されました。
http://www.newsnjoy.or.kr/news/articleView.html?idxno=197275
「日本宣教の巨人、女性教職者に常習的セクハラ疑惑」

その事実を金圭東牧師は認め謝罪し堂会長の職を辞任しました。
http://waseda.yohan.or.jp/cat686/cat687/
「金圭東牧師のお詫び」

金圭東牧師による礼拝メッセージは非常にレベルの高いものであり、霊的にも肉体的にも純潔を守り信仰に堅く立つための力強いメッセージを常にされていました。そのような方に今回のようなセクハラ疑惑が浮上し事実であったということは、あまりにも驚くできことであり、すぐには受け入れられるものではありませんでした。ただ、大勢の証言者がいることなどの客観的な事実に基づき、限りなく正しい事実であろうことを認識し受け止めました。

しかし、もう一つ驚くべきことは、被害者が金圭東牧師に謝罪を求めたとき、すぐに謝罪しなかったこと、それを隠そうとしたことであり、あまりにも残念でなりません。なぜ、主に対して真実であるべきことを説き続けまたそのように行動してきたかに見えた牧師が、心を堅くなにし謝罪を拒むのか、理解ができません。
そして、もっと不思議なことは、女性へのセクハラという大きな罪を犯し隠しながら、なぜあのように純潔なレベルの高いメッセージができたのか?ここは人間的に考えても答えが出るものではなく、本当に不思議というほかはありません。

今回のことは、多くの一般信徒にとって、まさに理由がわからない苦難ともいえます。ただ、すべてサタンの攻撃とは思えません。金圭東牧師が日本に来日して日本での福音宣教をはじめて約29年、主なる神様はここにおいて何か特別な意味をもって、今回の一連のことを行い、その先には、人間が想像しえないような、驚くべき日本福音化の一幕が用意されているような気がします。

ヨセフがエジプトの宰相になる前に牢獄で暮らしたように、ダビデが実際の王位に立てられるまでサウルから命を追われ逃亡生活をしたように、大きな祝福の前には必ず大きな試練が伴います。今は理由はわかりませんが、主が大きなことを準備されていることを信じたいと思います。
そして、金圭東牧師を通して示された日本の福音化のビジョンは間違っていないと信じます。すべての人を愛し赦し、一人でも多くの人の心の傷が癒され救われ素晴らしい人生を送ることは、主なる神様の願いであり、私の願いでもあります。

すべての栄光を主に帰します。