2011年12月30日金曜日

ハードウェアとソフトウェア

■2011/12/30
■ヨハン早稲田キリスト教会 聖会
■マタイ 6:25-34、箴言 29:18、コロサイ 5:12-17

悔い改めについて、悔い改めの実りが結ぶまでは悔い改めではありません。
イエス様の最初のメッセージは悔い改めから始まっています。
何か過ちをしたときに、「すいません」とただ謝るだけでなく、実際に言葉が行動が生活が変わることが真の悔い改めになります。

この世で最も不幸なのは孤独を楽しむ人たちです。
何かあったときに一人になりたいと望む人は多いですが、一人になったらますます罪の道に走りかねません。 兄弟姉妹の交わりの中でかえって罪を犯すことから守られることがあります。よく集まって祈り励まし合いましょう。

私たちのビジョンは宣教、訓練、賛美です。
日本でもリバイバルが何度かありましたが、聖書を徹底的に教えることをしなかったために、途中で終わってしまいました。

マタイ 6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

この地上で主の国を作ることが重要です。神の国とは教会であり、たとえるならば教会はハードウェアです。神の義はそこに集う人格化された聖徒たちであり、たとえるならばソフトウェアです。ハードウェアの教会とソフトウェアの聖徒たちを求めるとき主の喜びとなります。

★ハットポイント
「神の国と神の義」についてはなんとなく聞いてきましたが、ハードウェアとソフトウェアというメッセージを聞いて、コンピュータ専門の私には非常にわかりやすく理解できました。
ハードウェアとソフトウェアには組み合わせがあります。たとえば、Intel CPU上で動作するOSは、Windows、Linuxというように。教会と信徒も同じなのかもしれません。
宣教、訓練、賛美をビジョンとするヨハン早稲田キリスト教会には、そのビジョンに同感し祈り行動していく信徒たちが必要になります。私もそのような信徒になりたいと決意しました。
■2011/12/30
■ヨハン早稲田キリスト教会 MorningChapel
■詩篇 119:145-160

一人一人が奇跡を起こす主人公です。
私たちはパウロの始まりよりも良い立場にいます。パウロはクリスチャンを徹底的に迫害していたわけですが、私たちのほとんどはそこまでのことはしていないからです。
命をかけて行うとき主が与えて下さるように信じます。

詩篇119:145 心を尽くして呼び求めます。主よ、わたしに答えてください。わたしはあなたの掟を守ります。119:146 あなたを呼びます、お救いください。わたしはあなたの定めを守ります。

何かしてくれたら掟を守りますという条件を述べているのではなく、主の掟を守る喜びを体験したいという告白です。

イエス様も夜通し祈られましたが、夜通し祈るときは、朝4~5時くらいに答えられることが多いです。

2011年12月25日日曜日

クリスマスの意味

■2011/12/25
■ヨハン早稲田キリスト教会 ゴスペルナイト
■ルカ 2:8-14

クリスマスは福音の喜びを人々に伝えるものです。
人類最大の問題は「死」であり、それに対する怖れがあります。
死刑囚にとって無期懲役になっても死を免れるほど嬉しいことはありません。
イエス・キリストの誕生とともにもたらされた福音は、私たちをこの死の問題から解放し、永遠の命を与えて下さいます。

★補足(別の講義から)
死には次の三段階があります。
1. 霊的な死→神様との関係が切れること。
2. 肉体の死
3. 永遠の死→地獄の裁き
この世で生きている間は、これらの死は執行猶予されていますが、肉体が死ぬと確定します。

2011年12月22日木曜日

祈れない時に読む詩篇

■2011/12/22
■ヨハン早稲田キリスト教会 MorningChapel
■詩篇 119:17-32

クリスチャンにとって祈ることはとても日常的で生き生きとした信仰生活に必要なことですが、疲れていたり落ち込んでいたりして祈れない時もあります。いくら祈ろうとしても祈る言葉が出てこない、そんなことがありますが、そのような時には聖書を読むこと、とりわけ詩篇を読むことがお勧めです。
詩篇にはダビデをはじめとした作者の切なる祈りが刻まれているからです。

★ハットポイント
あまり祈りの言葉が出ないのに、むやみやたらに祈ろうとして恵まれないこともありますが、そんな時は詩篇を読むといいのですね、御言葉を読んで口ずさむとき、それ自体が祈りになると信じます。

2011年12月21日水曜日

御言葉どおりに道を保つこと

■2011/12/21
■ヨハン早稲田キリスト教会 MorningChapel
■詩篇 119:1-16

詩篇119:9 どのようにして、若者は/歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです。

言葉どおりに道を保つことが人生の幸せにつながる秘訣です。しかし、人は自分で真っ直ぐ歩むことは難しいです。主の助けが必要です。

★QT
若いうちは力があり自分のやりたいことに時間と力を注ぎたくなりますが、まず自分の歩む道を清めることに力を配りなさいということですね。強弱や物事の可・不可などがこの世の人の見方ですが、クリスチャンは、清いか汚れているかという観点が必要です。

2011年12月18日日曜日

映画を見て病気が治る

■2011/12/18
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日1部礼拝
■ルカによる福音書 1:26-38

 1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
 1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
 1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
 1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

マリアがイエス様を身ごもることを伝えられる場面です。
ユダヤ人の結婚の過程は三段階あります。
まず最初に両者の両親が、本人たちが子供のときに将来結婚することを約束します。二番目として、結婚の約1年前に婚約をしますが、それはほぼ結婚と同義くらいにみなされ、解消するときは離婚届けが必要ですし、その間に他の異性と関われば姦淫罪になります。三番目に実際に結婚します。
マリアはこの二番目の段階にいてイエス様を身ごもりましたので、難しい立場にいましたが、信仰をもってイエス様を自分が身ごもることを受け入れました。

イエス様の誕生は、信仰を持つ者には吉報ですが、そうでない者には悪報にもなりました。天使ガブリエルはイエス・キリストの誕生の喜びを伝えるために来たのですが、それを聞いたヘロデ王は新たな王が生まれて自分の地位を奪われるのではないかと考え恐れました。
私たちも同じところがあるのではないでしょうか。イエス・キリストを信じているものの、イエス・キリストにより自分の何かが奪われるのではと考えてしまうところがあります。キリストを受け入れながらも、心の王座には自分がいるのです。

幸福と祝福には違いがあります。
幸福は自分の力でつかみとるものです。幸福の科学というものもありますが、いろいろと研究し分析し努力して得ようとします。しかし私たちは罪人なので結局、幸福をつかみとることができません。
一方、祝福は信じる者すべてに無償で与えられるものです。

エフェソ 2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。

私たちはその祝福に対して冷笑的な態度をとることがあります。代表例が創世記に出てくるアブラバルの妻サラです。サラは主から子供を身ごもると伝えられて信じられず冷笑的に笑いました。

創世記 18:12 サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。

この態度は高慢さから来ます。自分の経験、知識のほうが神より優れていると考える高慢さです。サラのようではなく、素直に受け入れたマリアのようになりましょう。

信仰については面白い話があります。「Jesus」という映画がありまして、世界43億人以上の人々が見ており、世界約810ヶ国以上の言語に訳されている映画です。この映画をアフリカ等の発展途上国の人たちが見たとき、次々と奇跡が起こりました。彼らは、映画やそれらの機材を見るのが初めてであったため、スクリーンに映っている映像が、目の前で本当に起こっていることだと信じで疑わなかったのです。目の前で、目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩けるようになる場面を見て、この映画を見に来た病人たちが次々と癒されました。目の前の映像を謙遜に受け止めて、信仰で受け入れたので、本当に癒されたのです。
これがもし私たち日本人であったならどうでしょうか。なかなか良くできている作品だとか、この映像は技巧的だとか、癒されるシーンをうまく作っているなどと考察をめぐらして、その映画の中で起こっている事実をまともに受け止めようとはしないのではないでしょうか。

★ハットポイント
幸福と祝福の違いがよくわかりました。「幸せは歩いて来ない、だから歩いていくんだね」なんていう歌もありますが、確かに幸福は追求しないと得られないものですね。しかし、祝福は信じるだけで誰にも与えられる素晴らしいものなのです。ただ、「無料ほど高いものはない」などという感覚がある私たち日本人にはなかなか受け入れがたいところがあるのでしょうか。

もう一つ、アフリカの方々が映画を見て病気が癒されたのは驚きです。本当に起こっていると信じるならば、その場で癒されてしまうんですね。信仰とは素晴らしい!科学技術が発展してあまりにもいろいろなものを見すぎている日本人がかえって信仰を持てないのは、何かずしりとくるものがあります。

2011年12月10日土曜日

「何事もなく無事でした」が最もまずい

■2011/12/10
■ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
■使徒言行録 4:23-31

日本では目に見える科学技術や商売に対する関心や実力は非常に高いですが、目に見えない霊的なことに関しては非常に関心が低いです。
石原都知事もあるとき「今の日本人が持っているのは「我欲」だけ。金銭欲、物欲、性欲です。」と仰っていましたが、まさに今の日本にあるのは、このような目に見える欲望だけではないでしょうか。

しかし、目に見えるものには限界がありやがて過ぎ去ります。
太宰治は「大人とは裏切られた青年の姿が」と表現して、若くして自殺しました。他にも自殺した文学者は数多くいます。

使徒 4:24 これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。」
クリスチャンは目に見えない神様を見上げる者であり、これがクリスチャンの告白です。

今の日本人は失望を恐れて挑戦することが少ないです。若者でも希望を持っていません。
困難な状況のほうが主が備えられます。
良く耳にする「無事に終わった」という言葉がもっともまずいのです。言い換えれば何の実りもなかったことになります。

世の中の働きはやった分だけ結果が出ます。仕事はやればやるほど給料も出るし経験や実力もついていきます。ところが主の働きは違います。心のこめ方、心の姿勢に比例して結果が出ます。たくさんやれば良いものではなく、少ない時間でも真心をこめてやれば主が結果を出してくださいます。

米俳優のジェームズ・ディーンは24歳で事故で亡くなってしまいましたが、このような言葉を残しました。「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って心尽くして生きる。」

★ハットポイント
日常生活で、特に仕事でも、「何事もなく無事で良かった」という言葉を良く聴きますし、それに慣れてしまっている感じがしますが、それがもっともまずいと聞いて、ひっくり返されました。
確かに、仕事で、今日のプレゼンは何事もなく無事だったと言ったら、とりあえず成功したように思われますが、逆に何もお客様が感動した点もなく次につながらないです。若干ハプニングがあっても一つでも何か印象を持っていただけたほうが良いわけですね。
無事な人生でなく、四つの法則にもあるように、「大いなる冒険の生涯」に期待しましょう。

2011年12月4日日曜日

人生を決めるのは考え方

■2011/12/04
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル: 主をあがめよ
■コロサイ コリント二 4:8-10、16-18

人生を決めるものは何でしょうか?背景、状況、環境が人生を決めるのではありません。考え方が人生を決めるのです。基本的に人生は困難が伴います。心理療法に詳しいスコット・ペックはある本の冒頭で「人生は困難である」と述べています。困難である人生が私たちをいつも不安に突き落とします。

一つ面白い話があります。あるとき、50代の男性が70代の母親に向かって、教会に行きたくないと不平を言いました。その母親は教会に行く次の三つの理由を話しました。
1. 眠くても祝福してくれるから
2. 子供たちの模範となるために
3. 担任牧師だから
果たしてこれで良いのでしょうか?「担任牧師だから」はまさかと思って笑えそうですが、涙が出てきます。牧師でもたまに教会に行きたくなくなるときがあるからです。一般信徒でも同じではないでしょうか?

コリント二 4:8-9 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。

正しい考え方を持っていれば全面的に打ち勝てます。何度倒れれも立ち直ることができます。それは目に見えないものを見ているからです。正しい見方として三つあります。

一つ目は、問題や苦しみを見るのではなく、解決してくれる主を見ます。
創世記 50:20 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。
ヨセフはエジプトでの奴隷生活という困難な状況の中で慈しみの神様が見えました。

二つ目は、神様の偉大さに目を向けることです。人生は計画した通りにいきません。例えば、息子が楽しみにしていた映画に一緒に見にいこうとして買ったチケットが間違っていて映画を見られず息子を落胆させたという経験があります。そのときは明らかに失敗を感じます。しかし、失敗したからといってそれで終わったのではなく、チャンスは何度でもありやり直せるのです。フットボール前半戦で間違って自分のチームのほうのゴールに向かって走ってしまいチームに迷惑をかけた選手は、休憩時間中にもう皆に見せる顔がないと言ってふさぎこみましたが、コーチは「立って行け!まだ半分しか終わっていないんだから」と言いました。そう、人生は常にまだ残りがあり、やり直せるのです。自分ができないことを見るのではなく、主ができることを見ます。

三つ目は神様の近さに目を向けることです。神様が遠くにいるように感じられることはあるでしょうか?ときにあるでしょうが、主は臨在しておられます。主はいついかなる時でも共にいらっしゃいます。私たちの心の暗さがあまりにも深くても、神様はもっと深いです。

2011年12月2日金曜日

主の名のために

■2011/12/02
■QT
■エゼキエル 20:1-9

エゼキエル 20:9 しかし、わたしはわが名のために、彼らがその中に住んでいる諸国民の目の前では、わが名を汚すことがないようにした。その諸国民の目の前で、わたしはイスラエルをエジプトの地から導き出して、わたしを示したのである。

★考察
主がイスラエルの民をエジプトより導き出したのは、イスラエルの民が何か偉いとか資格があったからではなく、全知全能なる主の名がエジプト人らに汚されないようにするためでした。

★適用
私たちが救われたのは、この豊かな日本で生まれたのは、私が何か優れたいたわけではなく、主の名が高められるためです。そのために主は何者でもない私を用いて下さっているのです。そのことをいつも忘れずに生活していかなければいけません。

2011年11月30日水曜日

悪人が生きることを喜ぶ神様

■2011/11/30
■ヨハン早稲田キリスト教会 MorningChapel
■エゼキエル 18:19-32

エゼキエル 18:23 わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
ペテロⅡ 3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。

主はすべての罪人が悔い改めて救われることを待ち望んでおられます。程度の差こそあれ、神様から見たら皆罪人で、悔い改め赦されることが神様の御心です。

サウルはダビデのような姦淫の罪は犯しませんでしたが、神様との垂直関係がNGでした。98%良くても残りの2%が駄目で退けられてしまいました。ダビデは水平関係の罪は犯しましたが、垂直関係は完璧でした。

ソドムとゴモラが滅ぼされようとする寸前、正しい人が何人か以上いたら滅ぼさないようにアブラハムが神様に提言しましたが、現在では、私一人がここにいるゆえに、日本が滅ぼされないように祈りましょう。失われた魂に主の愛を伝えて積極的に導きましょう 。

2011年11月27日日曜日

ルイヴィトンのカバン

■2011/11/27
■ヨハン早稲田キリスト教会 ゴスペルナイト
■ルカ 4:16-20

(一部)
ルイヴィトンのカバンについて、雨が降った時、本物のカバンは隠すが、ニセ物は雨除けにするという話があります。本物は貴重なため丁寧に扱いますが、ニセ物はどうでもよいのです。

2011年11月26日土曜日

喜び感謝を歌う

■2011/11/26
■ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
■詩篇 100:1-5

100:1 「【賛歌。感謝のために。】全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。」
100:2 「喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出よ。 」

どんな状況でも迫害されていても喜び主に仕えましょう。なぜなら、かつては死にゆく身でしたが、今は永遠の命を与えられているからです。

ローマ 6:21 「では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。」
ローマ 6:22 「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。」

100:3 「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ。」

世の中のVIPである人、例えばアメリカ大統領に突然会いに行ったらどうなるでしょうか?会えるどころかSPに取り押さえられ、間違えば射殺されるかもしれません。通常の人はVIPには簡単には会えませんが、いつでも会える人は家族や親しい人たちです。
旧約聖書時代、祭司が一年に一回しか聖所に入ることができませんでした。しかし、今は私たちは、父なる神様の子となったのですから、いつでも行って主に出会うことができます。

100:4 「感謝の歌をうたって主の門に進み/賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。」
100:5 「主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ。 」

夜、高田馬場駅で一部の学生たちが酔って校歌を歌って叫んでいるように、聖霊充満な者は聖書を読み主を賛美することに熱狂的になります。

★ハットポイント
いつも何気なく口にしているイエス様は実は最高のVIPで、本当なら簡単には会えない方なんですね。実際、旧約聖書時代には神様を見たものは生きていられないといいますし。いつでも神様に出会える特権が与えられていることに感謝し、またその特権を使って、主の御前に進みでましょう。

2011年11月22日火曜日

ぶどうの木の役割

■2011/11/22
■ヨハン早稲田キリスト教会 MorningChapel
■エゼキエル 15:1-8

15:2 「人の子よ、ぶどうの木は森の木々の中で、枝のあるどの木よりもすぐれているであろうか。
15:3 ぶどうの木から、何か役に立つものを作るための木材がとれるだろうか。それで、何かの器物を掛ける釘を作ることができるだろうか。」

ぶどうの木の役割は何でしょうか?
松の木のように形が美しくなることでも、杉の木のように高くなることでもありません。
ぶどうの木は実を結ぶ必要があります。ぶどうの木の実がおいしく結んで食べられることに意味があります。実を結ばないぶどうの木は不要であり、木材にもならず、火に投げ込まれて燃やされてしまいます。

信仰を持っても豊かにならないことも、病気がなおらないこともありますが、それは本質的なものではありません。クリスチャンはこの世で福音の実りを結ぶことを目指しましょう。

★ハットポイント
信仰生活をするうえで、仕事や家庭での生活がうまくいかないことで悩んだりもしますが、必ずしもそうならなくても心配する必要はないのですね。主が願っていることは何よりも福音が人々に伝わることで、そのために私が犠牲になっても、たくさんの人が主によって救われることを望みたいと思います。

2011年11月20日日曜日

それでも感謝する!

■2011/11/20
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
収穫感謝礼拝
■タイトル: また感謝する者になろう
■コロサイ 3:12-17

本日は収穫感謝礼拝です。バイブルには「どんなことにも感謝しなさい」とありますが、。どのくらい感謝すれば良いのでしょうか?

泥棒に入られてある牧師は次のことで感謝しました。
・自分が泥棒にならなかったこと
・命がとられなかったこと
・ものは盗まれたが、別のもので埋め合わせてくれたこと
・泥棒が欲しいものを持っていったこと

韓国の牧師、孫良源は、自分の息子二人共産党の青年に殺されましたが、息子を殺した犯人の青年を養子にするとともに、次の10個の感謝をしました。
・殉教する息子が与えられること
・主のような息子を与えられたこと
・長男、次男を主にささげられたこと
・二人の息子を殉教のいけにえとしてささげたこと
・息子が伝道中に殉教したこと
・息子がアメリカ留学準備中に天国に送られたこと
・殺した犯人を悔い改めさせ養子として迎え入れたこと
・人が救いに導かれたこと
・逆境の中でも愛の心が与えられたこと
・このような祝福が与えられたこと

感謝はどのようにすべきでしょうか?
①真心で感謝
ルカ17:11-19 イエス様に癒された10人の病人のうち一人が戻ってきて感謝しました。
②初物で感謝
アベルは初物、一番良いものを持ってきて捧げました。
③常に感謝
ダビデの感謝、詩篇の多くはダビデの感謝の祈り
④惜しまない
コリントⅡ9:6「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」

★ハットポイント
日常生活では不満なことも多く
投稿を公開
感謝するなんでとんでもないと思うこともありますが、先人のクリスチャンの中には、感謝できないと思われることでも感謝して恵みを受けた方が多いのですね。

2011年11月19日土曜日

聖霊充満

■2011/11/19
■ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
■使徒言行録 3:1-10

聖霊充満かどうかどんな点で判断できるのでしょうか?聖霊充満とは一時的なエクスタシー、感情の高揚ではなく、恒常的に喜びに満ち溢れることをいいます。聖霊充満な人は誰から見ても魅力的に見えます。

聖徒すべきことは、まずイエス様を堅く信じることです。そして、集まれば祈り散らされれば伝道します。

2011年11月18日金曜日

バイブルウィーク

ヨハン早稲田キリスト教会で2週間にわたって行われたバイブルウィークが今日で終了しました。
バイブルを教えて下さった先生方、準備・運営をして下さったすべての聖徒の方々に感謝します。
御言葉で充実した2週間でしたと言いたいところですが、今回は、仕事が忙しくてあまり聞けなかったのが少し残念でした。

2011年11月16日水曜日

~私はあの子のお父さんですから~

今回は、感動的な話、チーム・ホイト(Team Hoyt)の紹介です。

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アメリカ中を感動であふれさせた親子を紹介します。その親子の名は、父ディック・ホイト、息子リック・ホイトです。彼らは親子でチーム・ホイト(Team Hoyt)という名前を付け、マラソンやトライアスロン競技に参加しています。なぜ、この親子のチームがアメリカ中に感動を与えたのでしょうか?それは、息子リックが全身麻痺の重度障害者だからです。
1961年にリックは誕生しました。生まれたリックの首にはへその尾が巻きついてしまっており、脳に酸素がいかない状態だったのです。医者たちは、「この子は、諦めたほうが良い。このままでは、何もすることができないから。」と言いました。しかし、父は息子を諦めることができなかったのです。父は全身麻痺になった息子のために人生のすべてをささげ、忍耐を持って教え続けました。リックは11歳のとき、障害者用コンピューターを使ってコミュニケーションができるになるまでなりました。そんなとき、彼は、「…走りたい。」と言いました。父ディックは息子リックと走ることを決意しました。息子は言いました。「走るとき、はじめて障害者だということを忘れられたよ。」と。父はさらにトレーニングを重ねていきます。
1984年ボストンマラソンを2時間53分で完走、1989年にはハワイトライアスロン競技を14時間26分で完走。現在に至るまで、チーム・ホイトの挑戦は止まっていません。息子リックは、ボストン大学を卒業して自ら障害者用の補助器具の開発に携わっています。「なぜこのようなことができたのですか?」との記者の質問に、父は答えました。「私はあの子のお父さんですから。」
聖書は、私の本当のお父さんは、この世すべてを造られ、私を造られた天の父なる神様であると語っています。その本当のお父さんは、こう仰ってくださいました。
『神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。』(ヘブライ13:5)天の父なる神様は、私がどんなに足りなくても、絶対に私を諦めることはありません。この世界が作られる前から、天の父なる神様は、私を選んでくださり、私を愛してくださっているのです。それは永遠に変わらない愛です。事実、神様は罪だらけで、死に行くだけの存在であった私を諦めることなく、救ってくださったのです。
『しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。』(ローマ5:8)
父なる神様は私たちの罪のために十字架につけられ、苦しみを受けながら死んでくださいました。そして、3日目に復活され罪に打ち勝つ力をお持ちの方であると私たちに示されたのです。私が天の父なる神様に何かしたから、救ってくださったわけではありません。天の父なる神様が「私はあなたのお父さんですから」と、おっしゃってくださって、私たちは救われたのです。私を決して諦めない無限の愛で愛してくださった天の父なる神様。その愛の神様に信頼して生きるのが、私にとって最善の道であると聖書は語っています。そのとき、本当の愛を私は発見することができます。わくわくするような人生を歩ませてくださるのです!
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書籍が出版されています。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%88-%E6%9C%AC/s?ie=UTF8&keywords=%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%88&rh=n%3A465392%2Ck%3A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%88&page=1

2011年11月9日水曜日

訓練の重要性

■2011/11/09
■ヨハン早稲田キリスト教会 BibleWeek 講義D-9
■タイトル: 教会の存在理由:訓練

(一部)
御言葉による訓練はたとえばピアノ練習にたとえられます。
ピアノ練習では、
1日休むと自分の指が知っている
2日休むとピアノが知っている
3日休むと観客が知っている
といわれるそうです。

★ハットポイント
個人的に調べたところピアノ練習では「一日休むと三日戻る」とも言われるようです。
一日休んだだけで三日戻ってしまうのは大変!!!
御言葉を何日もおろそかにしてしまうと一ヶ月くらい後退するのかと思うとちょっと恐ろしくなりました。毎日のQTが大切ですね。

★余談
「早朝の風を切り開くジャーナリズム」とは
・・・?
新聞配達のことです。
が、ここでハット思いました。
本来、新聞配達は朝早く起きて配達所に立ち寄り各家に配るという重労働の仕事ですが、視点を変えて、世の中で一番朝早いジャーナリズムと捉えれば、何かすごいことと感じ誇りも持ててきます。
今、自分がしていることの中で、本当に小さくつまらないように思えることでも、神様の視点から見たら、すごく重要なことなのでしょう。

2011年11月6日日曜日

天に富を積みなさい

■2011/11/06
■ヨハン吉祥寺キリスト教会 主日礼拝
■タイトル: 天に富を積みなさい
■マタイ 6:19-21

①地上に富を積んではならない
 6:19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富はいけないということではありません。富に対する私たちの態度を言っています。富とはお金だけでなく、この世のあらゆるものを含んでいます。

ヨブ 1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
自分のものを主張していくらこの世に富を積んでも、天の国へは一つも持っていくことができません。

②天に富を積みなさい
 6:20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
この世に財産があっても不安がつきまとうのが通常です。
ある記者が、年収数千万円の資産家6人にインタビューしたところ、全員が収入に心配をあげました。いつか自分の資産がなくなってしまうのではないかと思い、もっと収入がほしいとのことです。では、どれくらい収入があったら良いか質問すると、もうちょっとだけ増えれば良いと全員が答えました。いつか消えてしまう地上にではなく、天に富を積むことが大切です。

③富のあるところに心もある
 6:21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
心に手を当てて普段の自分のことを考えましょう。
・日常考えていること
・日常心配していること
・他人を評価している基準は何か
自分の心がどこにあるか、よく考えてみて下さい。

★ハットポイント
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」というバイブルメッセージは心にグサリと突き刺さるものがあります。普段の自分の関心が主なる神様でなく、仕事だったり技術だったり家族だったりします。口先ではなんとか言っていても、自分の心がどこにあるか振り返れば、自分が何を大切にしているのかわかってしまうものですね。

2011年11月5日土曜日

精神的ダメージ

■2011/11/05
■ヨハン早稲田キリスト教会 週報勉強
■マタイ 5:27-30

(一部)
 マタイ5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。」
人間の精神的ダメージがもっとも大きいもの
1. 死別
2. 裏切り
姦淫した場合の相手との関係は続かず、最後には裏切ることになる。

★ハットポイント!
姦淫という罪は、それ自体も重い罪であるし、相手にもっとも大きいダメージを与えてしまうことになるので、絶対に犯してはいけないですね。

ピノッキオとヨナ

■2011/11/05
■ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
■ヨナ書2:1-11

ピノッキオの話は、ヨナ書が元になっています。
ピノッキオが鯨の腹に呑み込まれてしまう場面は、ヨナ書2:1「さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。」です。また、ピノッキオがゼベット爺さんの子供になったのは、人が聖霊によって新たにされ神の子となることです。

なぜヨナは巨大な魚に呑み込まれてしまったのでしょうか?それはヨナにとって必要な試練だったからです。主は一人一人に訓練プログラムを用意しておられ、愛するものを鍛えられます。その苦難の中でもっと祈る人がいれば、逆に落胆し失望して祈ることをやめてしまう人もいます。苦難の状況でも祈ることができるのが信仰です。

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンはグレイハウンド号の嵐の中で祈り主に答えられ神様と人格的に出会いました。祈りに答えられる経験をすると確信が生まれます。

ジョン・ニュートンが最後に考えたことは、次の二点でした。
・私はどんなに愚かな罪人なのか
・イエス・キリストはどんなに素晴らしい救い主であられるか

★ハットポイント
ピノッキオの話はヨナ書が元だったのですね。ヨナ書を読むと、ヨナは主に背いてとんでもない行動ばかりするのですが、それでも主はヨナを見捨てず導かれるところに、主の限りない愛を感じます。

2011年11月3日木曜日

行動の動機

■2011/11/03
■ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
■エゼキエル書2:1-10

ヘブライ文化の行動の動機付けは、「Why」→「なぜするのか?」
ギリシャ文化の行動の動機付けは、「How」→「どうやってするのか?」

人は「How:どうやってするのか?」を重点的に考える傾向がありますが、「Why:なぜするのか?」をより考える必要があります。なぜ、今これをするのでしょうか?主が望まれるからです。
主が喜ぶなら私は何でもやりますという姿勢が信仰でもっとも重要な問題です。

ところが、人は他人に喜ばれたくて、そちらの考えをすることが多いです。たとえば若者が惑わされやすい考えは、愛する恋人が何が好きか?です。恋人が好きなことであれば何でもしようとしますが、恋はずっと続くわけではないので、やがて疲れてしまいます。焦点を主に合わせ、主が喜ぶことをするのが信仰者の態度です。

福音を伝えるためには、よく福音を食べなければなりません。
断食して徹夜で祈ってひたすら奉仕した人のメッセージよりも、よく食べて寝て御言葉を読んで祈った人のメッセージのほうが恵まれたという話もあります。御言葉をたくさん食べましょう。

★ハットポイント
毎日毎日、今日の仕事はどうやってこなそうとか、どうやって良い成績をとろうとか、どうやってあの人に気にいられようとか考えることが多いですが、なぜこの仕事をするのか、なぜそれをするのかと考えることは少ない気がしました。何の目的のためか考えると、改めて必要なこと不要なことが見えてきて、なんとなく終わってしまう毎日の仕事や生活をとめて、やって悔いの残らない有意義な生活に切り替えることができます。

2011年10月30日日曜日

地の塩、世の光

■2011/10/30 吉祥寺教会 主日礼拝
■マタイ 5:13-16

マタイ 5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
マタイ 5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

主は、あなたがたは、地の塩、世の光であると言われました。これから、地の塩、世の光になりなさいと命じられているのではありません。 すでに地の塩、世の光なのです

地とは腐敗した土地、塩とは防腐剤の役割を表しています。すなわち、この世が堕落して腐敗していくのを食い止める役割がクリスチャンにはあります。
光とは人生の道しるべです。主御自身が光を放ち、私たちもその光を受けて光を放ちます。

マタイ 5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
人々に主の栄光を輝かすために私たちは遣わされています。

★ハットポイント
すでに地の塩、世の光であるというところにハットしました。そうなろうと努力するのでなく、主はすでにそう与えて下さっているのだから、自身をもっていこうと思います。

2011年5月10日火曜日

暗誦聖句60 聖書順

聖書箇所 本文
レビ記19:11 あなたたちは盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いてはならない。
民数記23:19 神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。
ヨシュア1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。
詩編119:9/11 どのようにして、若者は/歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです。/わたしは仰せを心に納めています/あなたに対して過ちを犯すことのないように。
箴言3:9~10 それぞれの収穫物の初物をささげ/豊かに持っている中からささげて主を敬え。そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし/搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる。
イザヤ26:3 堅固な思いを、あなたは平和に守られる/あなたに信頼するゆえに、平和に。
イザヤ41:10 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
イザヤ53:6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。
哀歌3:22~23 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
マタイ4:19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
マタイ5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
マタイ6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
マタイ18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
マタイ28:19~20 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マルコ10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
ルカ9:23 それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
ヨハネ1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
ヨハネ5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
ヨハネ13:34~35 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
ヨハネ14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
ヨハネ15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
使徒1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
使徒24:16 こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。
ローマ1:16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
ローマ3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ローマ4:20~21 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。
ローマ5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
ローマ6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
ローマ8:32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
ローマ12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
ローマ12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
Ⅰコリント2:12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
Ⅰコリント3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
Ⅰコリント15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
Ⅱコリント4:5 わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。
Ⅱコリント5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
Ⅱコリント9:6~7 つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
ガラテヤ2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
ガラテヤ6:9~10) たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
エフェソ2:8~9 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
エフェソ5:3 あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。
フィリピ2:3~4 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
フィリピ4:6~7 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピ4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
フィリピ4:19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。
Ⅱテモテ3:16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
テトス3:5 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
ヘブル2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
ヘブル9:27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、
ヘブル10:24~25 互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。
ヘブル11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
ヘブル12:3 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
Ⅰペトロ2:11 愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
Ⅰペトロ3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。
Ⅰペトロ5:5~6 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
Ⅰペトロ5:7 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
Ⅰヨハネ2:15~16 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
Ⅰヨハネ3:18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
Ⅰヨハネ5:13 神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
黙示録3:20 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

2011年5月9日月曜日

暗誦聖句60


☆☆☆キリストが中心
(Ⅱコリント5:17)だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
(ガラテヤ2:20)生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
☆☆☆キリストへの服従
(ローマ12:1)こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
(ヨハネ14:21)わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
☆☆☆御言葉
(Ⅱテモテ3:16)聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
(ヨシュア1:8)この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。
☆☆☆祈り
(ヨハネ15:7)あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
(フィリピ4:6~7)どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
☆☆☆交わり
(マタイ18:20)二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
(ヘブル10:24~25)互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。


☆☆☆証し
(マタイ4:19)イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
(ローマ1:16)わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
☆☆☆全ての人は罪を犯した
(ローマ3:23)人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
(イザヤ53:6)わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。
☆☆☆罪の刑罰
(ローマ6:23)罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
(ヘブル9:27)また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、
☆☆☆キリストの贖い
(ローマ5:8)しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
(Ⅰペトロ3:18)キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。
☆☆☆救いは行いによらない
(エフェソ2:8~9)事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
(テトス3:5)神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。


☆☆☆キリストを受け入れる
(ヨハネ1:12)しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
(黙示録3:20)見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
☆☆☆救いの確信
(ヨハネ5:24)はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
(Ⅰヨハネ5:13)神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
☆☆☆神の霊
(Ⅰコリント3:16)あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
(Ⅰコリント2:12)わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
☆☆☆神の力
(イザヤ41:10)恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
(フィリピ4:13)わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
☆☆☆神の誠実
(哀歌3:22~23)主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
(民数記23:19)神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。
☆神の平安
(イザヤ26:3)堅固な思いを、あなたは平和に守られる/あなたに信頼するゆえに、平和に。
(Ⅰペトロ5:7)思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。


☆☆☆神の備え
(ローマ8:32)わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
(フィリピ4:19)わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。
☆☆☆神の助け
(ヘブル2:18)事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
(詩編119:9/11)どのようにして、若者は/歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです。/わたしは仰せを心に納めています/あなたに対して過ちを犯すことのないように。
☆☆☆キリストを第一に
(マタイ6:33)何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
(ルカ9:23)それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
☆☆☆この世のものではない
(Ⅰヨハネ2:15~16)世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
(ローマ12:2)あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
☆☆☆揺るがないこと
(Ⅰコリント15:58)わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
(ヘブル12:3)あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。


☆☆☆他の人に仕える
(マルコ10:45)人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
(Ⅱコリント4:5)わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。
☆☆☆惜しまずに与える
(箴言3:9~10)それぞれの収穫物の初物をささげ/豊かに持っている中からささげて主を敬え。そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし/搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる。
(Ⅱコリント9:6~7)つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
☆☆☆宣教のVision
(使徒1:8)あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
(マタイ28:19~20)だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
☆☆☆愛
(ヨハネ13:34~35)あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
(Ⅰヨハネ3:18)子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。


☆☆☆謙遜
(フィリピ2:3~4)何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
(Ⅰペトロ5:5~6)同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
☆☆☆純潔
(エフェソ5:3)あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。
(Ⅰペトロ2:11)愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
☆☆☆真実
(レビ記19:11)あなたたちは盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いてはならない。
(使徒24:16)こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。
☆☆☆信仰
(ヘブル11:6)信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
(ローマ4:20~21)彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。
☆☆☆善行
(ガラテヤ6:9~10)たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
(マタイ5:16)そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」