2012年3月22日木曜日

ヨハン早稲田キリスト教会-評判を気にする人たち

■2012/3/22
■QT
■ルカ 20:1-8


 20:1 ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、
 20:2 言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」
 20:3 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。
 20:4 ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」
 20:5 彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
 20:6 『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」
 20:7 そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。
 20:8 すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

★黙想
律法学者たちが問答でイエス様を追い込もうとすると、彼らが予想もしない回答をイエス様がして、すべての人を驚かす場面です。ところで、律法学者たちはなぜ民衆をそこまで怖がっていたのでしょう。イエス様が気にいらないのであれば、さっさと捕らえて殺してしまえばいいかもしれないのに、民衆を怖れてイエス様には手をかけない場面が福音書にはたくさん出てきます。
おそらく、彼らは人々の間での自分の評判、自分の立ち位置というものをもっとも気にしていたのでしょう。彼らは聖書を専門とする学者なのですから、イエス様がメシアであるかもしれないくらいのことはわかるはずです。ただ、そんな真理はどうでもよく、自分の評判、自分が民衆から良く思われているかどうかが彼らが一番気にしていることでした。

★適用
私も自分の評判がどうかとそんなに考えることはないのですが、おそらく人の上に立つ立場になったら、どうういう評判が立っているか気にしてしまうかもしれません。ネットでも検索をすると、「○○評判」という検索キーワードがたくさん出てきますが、多くの人が評判を気にしていることの現われでしょう。実際、自分も病院やレストランを探すときに、そのホームページもみますが、一方で評判を見て決めてしまうこともありました。評判が実は主観的であくまでも参考情報にしかならないことを知っているのに、それに惑わされてしまうのです。私はヨハン早稲田キリスト教会に日曜日に行っていますが、ここでは聖書を基礎にしっかりと信仰について教えてもらえるので、余計な評判に気を紛らわされなくてすみます。
評判よりも何が真実なのか、主に祈ることで、答えをいただくようになりたいです。