2012年5月31日木曜日

ダビデの罪と祝福


■2012/05/31
■ヨハン教会 木曜礼拝
■歴代誌上 29:1-20

祝福よりも警告の御言葉が語られました。
十戒の第7戒目は姦淫の罪に関するものですが、新約では心で考えても罪になります。

ダビデは自分で神殿を建てることを許されませんでしたが、神殿の材料を準備することは主が喜ばれました。

21章ではダビデが高慢になり自分の栄光を誇るために人口調査をしました。ヨアブだけが彼の高慢に気づきやめさせようと進言しましたが、ダビデはそれを聞かず強行し、主から大きな罰を受けました。しかし、ダビデは悔い改め、神殿を建てる場所となるオルナンの土地を手に入れるために、600シェケルを払います。1シェケルは当時の男性2か月分の給料=約60万円ですから、3億6000万円くらい払ったことになります。都会の一等地なら話はわかりますが、まったく何もない田舎の土地にこれだけの大金を払ったのですから、すごいことです。

某知事が今の日本の問題は心の問題であり、金と性の貪欲に犯されていると言いましたが、まさにその通りです。主が彼を用いて私たちに警告を与えているのかもしれません。

「引きこもり」という言葉が英語での外来語になりました。そのくらい日本では「引きこもり」が多いことがよく知られ問題になっています。

ダビデは学校も全く出ておらず羊飼いの仕事を少年のときからやっていただけなのに、戦争をすれば必ず勝つ戦略家であり、音楽を奏でればサウルの心が休まるほどの音楽家であり、詩篇の半分以上を記すほどの文学者でもありました。

主は献金の金額には興味はありません。やもめは2レプトン銅貨をささげましたが、主から最も多くささげたと言われました。

人生の満足とは


■2012/05/31
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■歴代誌上 29:20-30

★モーニングチャペル
祈りは主との素晴らしい関係によるもの、選ばれていることを確かにしよう。主なる神様の主権を認め走りぬきます。

★黙想
29:28 彼は高齢に達し、富と栄光に恵まれた人生に満足して死に、彼に代わって息子のソロモンが王となった。
ダビデは富と栄光に恵まれた人生に満足して死にました。富があっても満足して死ぬ人はほとんどいない中で、ダビデの富は主からくるゆえに真の満足を得られることができました。

★適用
富があるから満足になるのではなく、満足な人生ゆえに富にも恵まれることがあるということです。偉大な信仰者の中には、決して富に恵まれず、迫害と窮乏の厳しい人生を送った人もいますが、彼らは主の中で平安を得、本当に証する悔いのない人生を送りました。
主との豊かな関係がまずは満足のいく人生となります。

2012年5月30日水曜日

聖殿建築の条件

■2012/05/30
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■歴代誌上 29:1-19

★モーニングチャペル
ビルゲイツは得たお金をたくさん世の中のためにささげました。お母さんがクリスチャンでした。喜んでささげる心が大事です。

自分自身、自分の人生にとらわれてしまうと前に進むことができません。自分の小ささから離れて神の偉大さに目を向けると思い煩いから解放されます。

ダビデは王様になる前も後もたくさんの苦しみがありましたが、主に感謝し喜びがありました。

雑草さえもコンクリートの合間を縫って出てきますが、御言葉にはどんな状況も打破していく力があります。

★黙想
神殿建築のためにあらゆる身分の人々が自ら進んで資金をささげました。それでいながら自らへりくだり主の栄光を賛美し感謝したことが主に喜ばれました。

★適用
自ら進んで喜んでささげながら決して誇らない人々がいるときに聖殿建築も許可されるのではないでしょうか。開拓教会の聖殿建築のためには、開拓教会でもヨハン早稲田キリスト教会でも、そのような信徒がたくさんおこされますように、また自分自身がそのように喜んでささげる心と実力が備わりますように。

2012年5月29日火曜日

主が教会の建築家


■2012/05/29
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■歴代誌上 28:1-21

★モーニングチャペル
ダビデの信仰は告白信仰であり、人々の前で自分の信仰を宣言しました。
口にしたものは記録に残ります。

ローマ10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。

エベレストの登山家は、「夢は他人に話すとき実現する」と言いました。

心を燃やすには御言葉で読むのが良いです。私たちは愛された分だけ他人を愛することができます。私は確かに救われたという宣言が重要です。

★黙想
聖殿は主のものであり主自らが細かい部分に至るまで設計されます。ダビデはそれを受け継ぎ、実際に紙に書き記しただけでした。

★適用
教会は建築家が建てられるのではなく、主ご自身が建てられるもの。
聖殿建築に関わるとき、よく主の御旨を求めなければいけません。教会の奉仕も働きも人のためではなく主のために行うものです。主を意識して物事を行いましょう。

2012年5月28日月曜日

軍隊と礼拝の共通点

■2012/05/28
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■歴代誌上 27:1-34

★モーニングチャペル
英語の"service"という単語には、「軍隊」という意味、「礼拝」という意味があります。軍隊と礼拝はだいぶ違うもののように思われますが、"service"には仕えるという意味があります。軍隊では上官に仕え、礼拝では主なる神様に仕えます。それは仕えても仕えなくてもどちらでも良いものではなく、仕えることは命令です。

Ⅱテモテ2:4 兵役に服している者は生計を立てるための仕事に煩わされず、自分を召集した者の気に入ろうとします。
Ⅰペテロ2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

主なる神様はただ厳しい方だといういうのは誤った考え方です。主人から預かったお金を自分のものとしたくて地に埋めてしまった人もいました。

歴代誌上 25:24-27 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。

2012年5月27日日曜日

世の仕事と奉仕は違う


■2012/05/27
■ヨハン教会 QT
■歴代誌上 25:1-26:32

歴代誌25:8 彼らは年少者も年長者も、熟練した者も初心者も区別なく、くじによって務めの順番を決めた。


★黙想
奉仕は得意だから自分がやりたいからやるわけではありません。主は、得意/不得意、未経験/経験済み、若者/年長者の区別なく、くじによって平等に選び出されました。

★適用
教会の奉仕は世の仕事とはちがいます。世の仕事はお客様に認められてお金を得ますが、奉仕は主に認められて主が喜ばれる忠実な弟子となります。
得意、経験で奉仕を探し決めようとしないで、主の御心を考えながら、いろいろ学ぶ謙遜な気持ちで奉仕をしましょう。また、そのように一緒に行う人々が起こされるように祈りましょう。

聖霊

■2012/05/27
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル: 聖霊様によって命あふれる教会
■使徒 2:37-47

聖霊に満たされると清く生きたいという情熱にあふれるようになります。子供のようになります。この世のあらゆるものが目に入らなくなります。

A.C.ウェルチは「人は自分の障害で何かをもって満たそうとする」と言っています。
聖霊様を能力や賜物で理解する人は多いが、一人の人格者としても見るべきです。

エゼキエル37章では枯れた骨に命を与える主が描かれています。今の自分が枯れた人生であるなら潤いを与えてくれる聖霊様が必要です。

人間の能力ではなく高いところから望み力を与える聖霊様が臨在するまで待っていなさい。鈍行列車が先に出ても後から出た特急や新幹線が追い越すように、遅く出発しても聖霊様が伴えば働きが違います。ペトロも聖霊様のパワーでメッセージをして3000人が一気に悔い改めました。

★ハットポイント
年齢を重ねていくと、いろいろあせることが多くなってくる人生でもありますが、聖霊様が伴えば一気に加速することも可能ですので、まずは、聖霊充満になることを求める必要がありますね。

2012年5月26日土曜日

聖殿を支えるために

■2012/05/26

■ヨハン教会 QT
■歴代誌上 24:1-31

★黙想
ダビデは聖殿建築の前に祭司の組織を定め誰が受け継ぐかくじ引きで決定しました。建築前から主の働きをする人々の体制や心の備えをしました。

★適用
聖殿のために祈るだけではNG、聖殿を支える人々が起こされるように祈りましょう。また、各教会から支援する者が起こされるように祈ります。自分自身もその一人となれますように。


最大の病気-高慢病


■2012/5/26
■ヨハン教会 土曜礼拝
■Ⅱコリント 12:1-10


病気にはいろいろありますが、高慢の病気がもっとも重い病気です。病状はたくさんあります。一見、謙遜だと思える場合でも高慢な場合はたくさんあります。信仰ある人が高慢になると一番大変であり、ときには主から捨てられることがありえます。


小さいことから感謝しましょう、生きていて感謝、食べられて感謝、住む場所があって感謝、眠られて感謝、そうでなければ大きなことには感謝できません。行き詰まりのときでさえ感謝します。


Ⅱコリント12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。


無視・無関心で配慮がない人が多いです。人のことを考えましょう。祈りは主の命令です。祈りを続けましょう。
忠誠を尽くした人、祈りを多くした人、献金を多くした人は高慢になりやすいですので。注意が必要です。


★ハットポイント
高慢が神様にとって最も大きな敵であり悲しまれることですね。特に気づかないで無意識的でいる高慢はなんとかして気づいて悔い改めなければなりません。会社でもよく最近の若手が、おまえは上から目線だと叱られていますが、自分で気づいていない高慢とはけっこう多いものです。それらに気づいて行動と言葉を変えられるように祈ります。

2012年5月25日金曜日

他部署の仕事にも関心を持つ


■2012/05/25
■ヨハン教会 QT
■歴代誌上 23:1-32

★モーニングチャペル
レビ人の任命に当たっては主に忠実であることが問われました。私たちは現代におけるレビ人です。

★黙想
レビ人はそれぞれの役目を受け持って神殿をよく管理していました。清掃から物の管理まで細々としたことはすべてレビ人で行いました。誰かに外部委託して効率化したり楽をしようとする者はいなかったようです。むしろ、神殿で心を込めて仕えました。

★適用
現代の会社はあまりにも仕事や部署が細分化しすぎて特化しており、それぞれの社員は自分の領域の仕事だけしかやらないことが主流です。それぞれの営業マンや技術者はとても優秀です。私の会社の営業マンでも、本当によく気づいて、機敏に行動したり言葉をかける人がいて、見習うべき人だという人はけっこういます。しかし、それにもかかわらず会社全体としてはどこか停滞感を感じたりするのはなぜでしょうか?
社員が自分のごく一部の領域しか見えず他の部署の仕事に関心がないのが原因かもしれません。理想的には、社員が会社で必要なことをすべて分担して担当するといいかもしれません。例えば、開発、営業、企画といったメイン業務から、経理、人事、保守、警備、清掃といった裏方まで。そこまでできなくても、各サービスや企画が、誰によってどんな過程を踏んでどんな想いで作られており、またどんな人たちによって運用保守されているのか関心を持ち知ることで、商材ももっと心を込めて売りやすくなるでしょう。

2012年5月24日木曜日

10兆円の献金


■2012/05/24
■ヨハン教会 QT
■歴代誌上 22:1-19

★モーニングチャペル
ダビデの悔い改める姿勢を見習いましょう。二度と失敗しない人は過去の失敗を心に刻んでいる人です。

Ⅱコリント6:16 神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。「『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、/彼らはわたしの民となる。

私たちは生ける神の神殿です。主から使命を与えられたものは怖れてはなりません。

★黙想
ダビデは主から神殿を建てるのがその子ソロモンであると示されたとき潔く従いました。10万キカル、今のお金に例えたら約10兆円台でしょうか、そんな大金を主にささげましたが、自分の名声にしようとしませんでした。
現代でもビル・ゲイツやロックフェーラーなど多くのお金を寄付しながら自分は全く目立たないようにしている富豪がいます。一方で、日本の富豪のほとんどは自分で資産を蓄えるだけで何かどこかに献金したり助けたりしたという話をほとんど聞いたことがありません。

★適用
祈っても主から待てあるいはNoと示されるなら潔く従うこと、それですねないで他の人が偉業を成すとしても良く備えることが大切です。
私のやりたいこと、祈っていること一つ一つに主がどうすべきか教えて下さるように、他の人がやるべきなら惜しまず助けるようにしよう。
日本でも潔く献金しそれを全く誇らない信仰の富豪が現れることを祈ります。

2012年5月23日水曜日

マイナスからプラスへ


■2012/05/23
■ヨハン教会 QT
■歴代誌上 21:18-30

★モーニングチャペル
ダビデの人口調査は自己満足であり、自分がどれだけ偉くなりどれだけ勝利を収めたのか数えたくなって、主から罪とされ罰を受けました。

エブスのオルナンの麦打ち場は、モリヤ山でアブラハムがイサクをささげた場所、ソロモンにより神殿が築かれれることになります。


★黙想
罪を犯しましたが悔い改め祭壇を築くことで新たな主との交わりの場所となりました。罪の悔い改めは主の大きな祝福と新たな出発を伴います。マイナスからゼロではなく、マイナスからプラスへと逆転されるのが神様です。

★適用
私と両親との関係、両親と主との関係、私と主との関係、これらが今もしマイナスならばプラスに逆転させて下さるように、もし憎しみがあるならばそれが愛に逆転されるように祈ります。

2012年5月22日火曜日

主は高慢を一番嫌う


■2012/05/22
■ヨハン教会 QT
■歴代誌上 21:1-17

★モーニングチャペル
サタンの誘惑パターンは、物欲、権威欲、偶像礼拝です。現代でも人の数を数えることはよく行われますが、なぜ人口調査が罪になるのでしょうか?
ダビデは主が自分を無の立場から立ててくださったことを忘れて、高慢になり、軍隊がまるで自分のものであるかのように考えて、自分がどれだけ強いのか調べようと思い人口調査をしたからです。


罪を犯したならば、主の御旨に託するのが最も弱い罰ですみます。愛の心により主は私を憐れまれます。間違いは言い訳せずに悔い改めることです。


★黙想
人はいつでも高慢になり罪を犯し得ます。完璧なほどまで謙遜で勇敢だった少年ダビデも年老いて安定したらこのようになりました。
ダビデの姦淫の罪は歴代誌には登場しません。ダビデの悔い改めのために主は赦して下さったのでしょう。


★適用
信仰生活を長く送ってもすきを狙うサタンに対して常に霊的に目覚めて祈り身を守らなければいけません。姦淫よりも高慢の罪のほうがもっと重いようで、人口調査の罪では7万人の民が打たれました。特に高慢には注意して悔い改めなければなりません。

2012年5月21日月曜日

完全な勝利

■2012/05/21
■ヨハン教会 QT
■歴代誌上 20:1-8

★モーニングチャペル
主なる神様は私たちの行為を見ておられます。善意をもって行えば善意で報いられます。
ヤコブ1:10  また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。


アンモン人はいつも相手を疑って自分が常に正しいと思っていました。アンモン人は豊かであったためお金に頼りました。


★黙想
イスラエル軍は敵対する勢力を放っておくことなく倒すか和解するか決着が付くまで戦い主の国の安全を確保しました。


★適用
サタンとの戦いでは中途半端な解決ではなく完全な勝利を目指すことが必要です。

2012年5月20日日曜日

聖霊降臨


■2012/05/20
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル: 聖霊降臨の確かな約束
■ヨハネ 16:1-15

クリスチャンの危機、信仰の危機の時代、ポストモダニズムですべてが相対的な時代にあって、絶対的なキリストをもって戦います。霊は思慮分別の霊です。

霊という言葉は日本にもたくさんありますが、何がキリスト教の主なる神からの霊でありそうでないのか考える必要があります。ジブリ作品に登場するものも日本古来の霊に関するものです。

7節では、主が去るのはあなたがたのために有益となります。聖霊が来られるからです。
旧約時代、主は天におられ一部の預言者のみが交流可能でした。
聖霊降臨後の主イエスの働きは加速し、ペトロを通して3000人が救われました。

聖霊様が与える9つの実のうち最初の3つが神との関係、次の3つは対人関係、最後の3つは自分自身に関するものです。

2012年5月19日土曜日

葛藤が起こらないようにするのは悪い癖


■2012/5/19
■ヨハン教会 土曜礼拝
■歴代誌上 17:1-16


恵まれたならHowToがなければいけません。日本の多くの教会では御言葉で恵まれることがありますが、その後のHowToがありません。実際に私がどうしていくのか方法と決断がなければなりません。
苦難や迫害があるときには負担ではなくチャンスとして考えます。神様中心に考え、神様の名が侮辱されているときはそのために立ち上がります。
ソロモンは1000頭の焼き尽くすささげものを捧げました。本来は一頭でよいのですが、1000頭捧げることで主なる神様への心を示しました。ジョン・ワーナー・メーカーも10分の9の献金を捧げました。
葛藤をなくそうと葛藤が起こらないようにするのは悪い癖です。人生は葛藤がつきものですので、葛藤と向き合っていく必要があります。
「言葉は神であった」と御言葉にありますが、言葉には、思想、考え、御旨がすべて入っています。御言葉で満たされて真理の人になりましょう。


★ハットポイント
確かに私たちは葛藤から逃げようと、葛藤が起こらないように無難な人生を送ろうとする傾向があります。そればかりでは、葛藤はなくなるかもしれませんが、主の大胆な証は起こりません。あらゆる葛藤の中でも主が働いて下さると信じて向かっていく必要があるのですね。

2012年5月13日日曜日

親孝行


■2012/05/13
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル: あなたの両親を敬いなさい
■マルコ 7:8-14、エフェソ6:1-3

韓国にある親孝行の逸話があります。
あるところに貧しい家庭の母と子がいました。王様が近くを通られるとき王様の姿を拝見するのが母の楽しみでしたが、足が不自由なために自分ではそれができませんでした。そこで、息子は母親を背負い王様が通る前に行って、母が王様の姿を見られるようにしました。その母子の姿を見た王様は後で王宮にその母と子を呼びました。その親孝行の姿に対して金銀のほうびを与えました。
一方、それを知った不良息子は自分も金銀をほしいという欲望から、母親を無理やり背負い王様が通る前に行きました。王様はその不良息子と母親を見て後で王宮に呼び、同じように金銀のほうびを与えようとしました。そのとき、側近の者が王様に、あの者は実はとんでもない不良息子でありほうびが欲しいから母親を背負っていたのだと忠告しました。しかし、王様は、他人の真似でも良いから親孝行をするのは良いことではないかと言い、同じように金銀のほうびをとらせました。

聖書では旧新約で183回、親を敬うように言われています。それは、主の強い御旨であり命令です。
ヨハネ2章のカナの婚礼を見ますと、まだイエス様が働かれるときではありませんでしたが、ぶどう酒がなくなって困っている母親が来ましたので、水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。

エサウは両親の話を聞かずに勝手にしましたがヤコブは両親に従い、イスラエルの家系となりました。

両親へは服従ではなく従順が必要です。強制されてではなく心から敬うことです。ギリシャ語では「ティマ」といい144回書かれています。両親の実際的な必要を満たしましょう。

詩篇92:15「白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし」
とあるように、老人でも何でもできます。ソクラテス、プラトン、ベーコン、ミルトン、ウェスレーみな高齢になってから偉業を成し遂げました。

★ハットポイント
韓国の逸話は面白いですね。たとえ不純な動機から出たとしても、結果として親孝行になるのであれば良いという発想です。そのくらい親孝行はしましょうということですね。

2012年5月6日日曜日

家庭の円満


■2012/05/06
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル: 家庭の円満は全てを良く導く
■詩篇 127:1-128:6

家庭が良ければ万事が益となります。
アメリカの企業も家庭第一を考え始めています。

家庭の主人は主であり、主が伴わないといけません。
問題の子供はいません。問題の両親が子供に悪影響を与えるのです。

ジョナサン・エドワードとマックス・デュークという主に従った者と逆らった者の二人に関する話があります。十八世紀、ニューヨーク州に、ジョナサン・エドワーズとマックス・ジュークスという二人の男が住んでいました。
ジョナサン・エドワーズは主に従い、大リバイバルを導いた人でした。彼の子孫から729人が生まれ出ました。その子孫を調べてみると、内、300人が伝道者や宣教師になって主に仕え、65人が大学教授となり、13人が大学の学長になり、60人が素晴らしい作家になりました。また3人が国会議員になり、その内のひとりが副大統領にまでなりました。ひとりの人が暗闇から光に区別された時、後々、子孫が祝福されます。
一方、マックス・ジュークスは、神様の働きに敵対しました。イエス・キリストを信じても何の徳もないと反発しました。それで、彼は同じような考えを持った人と結婚しました。それで18世紀から今世紀に至るまで、彼の子孫が増えていきました。マックス・ジュークスを通して、1026人の子孫が生まれました。それらを調べてみると、家系の中で300人が早死にし、不幸な死を遂げました。そして、100人が平均13年刑務所で生活を送りました。また、190人が売春婦となり、また100人がアル中でした。マックス・ジュークスの家系の中で、社会的に貢献した人は見あたりませんでした。

教育は一方的に教えるものですが、訓練は実際的に実を結ぶようになります。
すべての祝福は「おそれ」に通じます。
家庭が正しくなければ上の立場になれません。聖書で成功した人物は皆、両親と家庭を大切にしており、失敗した人物は両親を大切にしていません。アメリカの大統領であったアイゼンハウアーの母は、御言葉を暗記しなければ子供に食事を食べさせませんでした。

原罪と人間の本質

■2012/5/6
■ヨハン教会 聖書勉強
■世界史

アダムとエバが最初に犯した罪で、神と人との完全な関係を破壊しました。

神が食べてはならないと命じた善悪の知識の木から取って食べたことは罪ですが、ここには人間の本質的な罪性の問題が隠されています。
神は、人に次のように言われました。すなわち、一つは、すべての木から取って食べなさいという許可であり、もう一つは、善悪の知識の木からは食べてはならないという禁止でした。
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2:16-17)
つまり、人が食べてはいけないのは、善悪の知識の木の実だけであり、その他のすべての木の実は食べてよいものでした。その中には、命の木(創世記3:22)も含まれます。人が命の木から取って食べ永遠の命を得ることを神は許されていました。しかし、人は食べても良い命の木を取って食べることなく、むしろたった一つだけ食べてはいけない善悪の知識の木から取って食べてしまうのです。
まず女が蛇から誘惑を受けました。
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」(創世記3:1)
神が人にすべての木から取って食べてはいけないと禁止したかのように、蛇は女の心を揺さぶります。禁止されたことはたった一つだけであるにもかかわらず、すべてを禁止されたかのような感覚を抱きます。神が自分たちを束縛しようとしている考えがあり、ここには神への反発心が潜んでいます。現代でも人間は実際、人からたくさん良いことをされたとしても、一つでも気にいらないことがあると、それを根に持って反発したりその人に対して否定的な感情を抱くことがよくあります。
蛇の誘惑に対して女は答えますが、その答えは神の命令とは違うものになっています。
女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」(創世記3:2-3)
神が命じられたことは、食べてはいけないということだけですが、女は、触れてもいけないと加えています。蛇の誘惑に陥って神に対する反発心を強めた女は、次の蛇の言葉でだまされて、善悪の知識の木から取って食べてしまいます。
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。(創世記3:4-6)
ここで蛇が誘惑に使った決定的な言葉は、「目が開け、神のように善悪を知るものとなる」でした。神のように善悪を知るということは、つまり、神がいなくても自分がすべてを知っている、自分が神になるということに発展します。
現代でも自分は神であると自称する人が数多くいますが、本当の神を差し置いて自分が神になりたいという欲望はアダムとエバの時代から内在していました。自分が神のように振舞うことは神が最も忌み嫌われた罪です。
アダムとエバは善悪の知識から取って罪を犯しましたが、もしここで悔い改めて神に赦しをこうたら赦してもらえたかもしれません。しかし、人はそのことを隠そうとし、隠せないとわかると、男は女に、女は蛇のせいにします。つまり、うそをつき、さらに責任転嫁するという罪を重ねます。
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」(創世記3:9-13)
結局、人は神から罰を受け、労働の苦しみと産みの苦しみを味わうことになります。人だけでなく、土も呪いを受け、自然や動植物を苦しみを負うことになります。また、罪を犯す前は許可されていた命の木から取って食べることもできなくなります。
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
(創世記3:22)
人は罪を犯すことで、本来、許可されていたことも神から禁止されてしまいます。
原罪とは、単純に善悪の知識の木から取って食べたことに限らず、それ以前から人が持っていた、神に対する反発心、自分が神になることへの欲望が大きな罪といえるでしょう。

2012年5月2日水曜日

歴史意識と経済意識

■2012/5/2
■ヨハン教会 Morning Chapel
■歴代誌上 4:1-43


12部族の中ではユダ族が最も強くシメオン族が最も弱かったです。創世記のヤコブの祝福の中で、シメオンとレビは剣を持って暴力をふるうとして呪われましたがそれが原因かもしれません。
最近は歴史意識が軽んじられ経済意識ばかりが重視される時代です。経済意識だけ持つと、うまくいくときは高慢になり、状況が悪くなると落胆してしまいます。経済意識だけ持つ人は、現在で名を残したとしても、将来は何も残りません。歴史意識を持つ人は、今はあまり名を知られなくても将来有名な人物として名が残ります。


旧約の捧げ物は5種類ありましたが、焼き尽くす捧げものを主は最も望まれました。罪に対しては人間ではなく神様に賠償するものでした。日本の法律では相手が死んでしまえば民事的な責任はなくなりますが、神様は罪を覚えています。


イスラエルにとって70年間の捕囚時代は歴史上最も大きな恥でしたが、一方で守られた期間でした。他の異邦の民はすべて滅ぼされましたし、自分たちが主の民であることを見直し主への信仰を新たにする期間でした。


祈る時は祈り求めるものの順番を間違えないようにしましょう。まず神の国と神の義を求める必要があります。そうすれば求めなかったものを祝福として与えられます。霊的な目が開かれれば求めるべき順番がわかります。


★ハットポイント
学校では、中学生くらいまでは歴史の勉強も人とおりしますが、高校・大学となってくると理系・文系にわかれ理系の場合は歴史の勉強をほとんどしないような気がします。今現在の教育過程はわかりませんが、自分は私立の高校に通っていて1年生のとき世界史だけ学びました。ただ、そのとき自分は受験に必要ないからといってテスト前だけ暗記して後はぜんぜん勉強しませんでしたので、後になって考えるとちゃんと歴史を勉強しておくべきだったと思います。
科学技術が進歩しても人間の本質は変わっておらず、結局、同じことを繰り返していますし、将来も繰り返す可能性があります。歴史を学ぶことで人間がどんなものであり、将来自分たちがどうなっていくかがある程度予測がつきます。そういうことを学校でも社会でも教えなくなってしまいましたので、教会やクリスチャンがその役目を果たさなければいけないのですね。
個人的には、大学では理系・文系にこだわらずに、歴史から文学、経済学、物理化学、数学、神学など幅広い分野を学ぶべきかと考えています。大学は就職訓練所ではなく、本質を学ぶ場所であり、それがどの分野にいっても基本的な糧となるからです。とは言っていても誰もそんなことは考えませんので、そういう大学を自分が将来創設したいと思います。

2012年5月1日火曜日

選ばれし者たち

■2012/5/1
■ヨハン教会 Morning Chapel
■歴代誌上 1-3章


旧約時代は月初三日間を特別に捧げていました。日本では家庭というと軽く感じられてしまう感があります。特に夫婦の肉体的関係や生活の雑時などが強調されます。
聖書の登場人物では、親孝行なほど偉大に用いられました。子供の教育については箴言に10箇所くらい厳しい教えがあります。自我が形成されるころから、その自我をへし折ってでも教えるべきです。
今は韓国の離婚率は50%以上です。親が離婚するように仕向けています。


さて、旧約聖書の最初のほうは、アダムからアブラハムまではちょっとしか登場せず、アブラハムからが本格的なイスラエル民族の歴史です。彼らは神様から選ばれたわけですが、選ばれたことばかり強調して傲慢になりました。主がなぜ選んで下さり何を望まれているかを理解しなかったのです。彼らは、イスラエル人でなければ救われない、また、いったんイスラエル人になれば後はOKと考えていました。
旧約時代、長男は特別に祝福されました。ただし、ルベンは父のめかけと関係を持ちダメになりました。


レムナント、人々が続けて脱落していく中で、残った者たちのことをさし、彼らの姿勢をレムナントスピリットといいます。レムナント思想とは選ばれた人たちの系図です。聖書では、イエス・キリストと共に自分も十字架につけられたと告白するものが本当に残った者です。これだけ情報にあふれている現代でもイエス・キリストを正確に知る人はどれほど少ないことでしょうか。キリストが救い主であることを知っているクリスチャンはまさに残った者であり、選ばれた者です。
アブラハムの時代の出来事がこの日本でも感じられる、アララト山での出来事が富士山でも感じられる、そういう清いプライドを持ちましょう。使命感を持つ人とは"to be"に満足せず、"to do"を考える人です。
ダビデは賛美者に最高レベルの生活保証を与えて賛美させました。


★ハットポイント

子供のときゲーム好き(とりわけRPG)だった私は、大ヒットしたRPG、「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」を思い出しました。英語版のタイトルでは、「Dragon Quest: The Chapters of the Chosen」といい、まさに選ばれし者たちを意味しています。要するにこのゲームに登場する勇者や戦士や商人、踊り子などは神々から選ばれた者だというわけです。もちろん、「神々」とは決して聖書の神様ではないし、実在しない神々が人間を選べるはずもありませんが、なんとなくかっこいいからこのようなタイトルがついたのでしょう。自分も子供のとき何も考えずにゲームをやっていました。
ゲームをはじめとして古代の話など見ると、神から選ばれるという概念が非常に多く含まれているような気がします。現代では、人間は自分の力で頑張って勝利を勝ち取るという考えが多いですが、実は、歴史的に見ると、権威者から選ばれた者であるのか、正統な家系であるのかどうかのほうが重要なようです。
クリスチャンはイエス・キリストを救い主と信じるだけで主から選ばれた者です。神の国へ入れる者として、この世のまだイエスを知らない人々に福音を告げる使者として選ばれました。そのことに感謝とプライドを持って生きたいと思います。