2012年12月31日月曜日

死ぬ前の問い


■2012/12/31
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■詩篇 150:1-6

★メッセージ
天国に対する確信のないものはすべて虚しい。
神は本当にいるのか?天国は本当にあるのか?という質問は、あるノンクリスチャンが死ぬ直前に聖職者たちに対して出した質問でした。

用いて下さったことに感謝しましょう。
使徒パウロは世の中の有益なものを排泄物かのようにみなしました。
人間に与えられた喜びの一つはいらないものを排泄することです。心の中のいらないものを取り去るときにもすっきりします。
イエス様を味わっていないから別のものに執着してしまいます。

私たちは個性を持ってあらゆる楽器で賛美するが、オーケストラのようにハーモニーで一つになって賛美できるのは、イエス様が指揮者であるからです。

他人を目立たせるために犠牲する必要があります。
ビジョンが2つ以上あるちdivisionになって分離してしまいます。
主は礼拝する者、賛美する者を探しておられます。

★ハットポイント
人はどんなに自分勝手に行き、富と名誉に囲まれたとしても、死ぬ直前になったら心配になり、神は本当にいるのか、天国は本当にあるのか、問いかけるものでしょうか。
この世に生活する者は誰も、神の姿や天国を見たことはありませんが、天国への確信があれば死は怖いものでなく、むしと主と出会える喜びのものになります。
死ぬ直前にその問いをするが答えがわからず苦しんで死ぬような者ではなく、事前によく学び自信と安心をもって死に臨むものでありたいです。

2012年12月29日土曜日


■2012/12/29
■ヨハン教会 土曜礼拝
■マタイ 6:5-6

★メッセージ
人は神を中心に置かずにして何かを考えることができません。
無神論者も神のことを語っています。どんな民族も神を持ち祈りたい心を持っています。

フォイヤーバッハは、弱い人間が自分にとって必要だから神を作り出している、人間が神を必要だから神は存在しないと矛盾を言いました。
本当に必要であれば存在しなければなりません。

仕事は何も救ってくれません。怖くても祈らなければなりません。
もし明日、終末だったら日本人はおそらく仕事に行くかもしれません。

訓練の特別コースでは祈りの訓練というものがあります。思い出せる限り古い記憶をさかのぼり悔い改めるべきことを悔い改めます。3時間くらい行い、休憩を置いて、それを何度か繰り返します。実際にどんなことを思い出し悔い改めて祈ったかの確認も受けます。

★ハットポイント
日常の祈りは時間がなくて5分~30分程度の祈りで、たくさんのことを思い巡らしながら超スピードで祈ることが多く、ゆっくり時間をかけて過去のことまで思い出しながら祈ることが少ないです。
祈りは機械的に効率的にするものでもなく、主なる神様とゆっくり深い交わりをするものですから、時にはそのような時間を持ちたいものです。

2012年12月28日金曜日

主に文句を言うのは主を知らないから


■2012/12/28
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■詩篇 148:1-20

★メッセージ
詩篇のこの箇所はエズラ記とネヘミヤ記を背景にしています。

主に文句を言うのは主をよく知らないからです。
私の名前を主は知っておられます。
ザアカイに初めて会ったイエス様はザアカイの名前を知っていました。
キリストが働くように自分の弱さを誇りましょう。

★ハットポイント
自分の心が満たされず主に文句を言っているとき、実は主が私をいつも愛しておられることを忘れて言っているのですね。私の名をいつも覚え祈っておられる主を感じていれば、自然と文句は消え喜びと感謝で満たされるでしょう。


2012年12月23日日曜日

神様に栄光、聖徒たちには平和


■2012/12/23
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■タイトル:神様に栄光、聖徒たちには平和
■ルカ 2:8-14

★メッセージ
旧約はイエス・キリスト誕生の予言、456回の予言がなされています。
そのうち8つ当たる確率は、カリフォルニア州に敷き詰めたコインに石を投げてある特定の石に偶然に当たる確率と同じと言われています。しかし、この予言はすべて実現されました。

キリストによって罪が購われた恵み、普通の恵みではありません。
ゲヘナ(永遠に苦しむところ)に行くべき者が救いを受けました。
キリストを信じている人には平和(シャローム)があります。


2012年12月16日日曜日

東方博士の信仰


2012/12/16
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル: 東方博士の決断を学ぼう
■マタイ 2:1-12

★メッセージ
東方博士は星を追って旅をしてきましたが、エルサレムの上空で消えてしまいました。そこであきらめて帰ることもできたのですが、そうせず、エルサレムの家々を周って星を見たかどうかを聞きました。

信じてすぐのときは主の恵みがありますが、3年くらい経過すると感じられなくなることがあります。それは主による試練の期間です。

現在の利益のゆえに決断したくないのは祭司長たちと同じ。

新約聖書で喜びの表現は2:10以上のものはありません。キリストと出会った人はみなこの状態でなければなりません。

現代はベンチャーの世界 やらないものはどんどん埋没するか、またはやるものはどんどん進んでいいきます。


2012年12月13日木曜日

ラストインプレッションを大切に


■2012/12/13
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■ヨハネの黙示録 14:14-24

★モーニングチャペル
世の中ではファーストインプレッションが重要ですが、主との関係では、ファーストインプレッションよりもラストインプレッションを大切にしましょう。最初だけ人の目に映る姿が良いものは多いです。

ソロモンも最初は信仰深く主から「生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
」とさえ言われ祝福されましたが、晩年には1000人の妻を持ち、異邦人の妻を通して邪教の神に礼拝を捧げ大きな罪を犯しました。

一方で、初めは世の道を歩みながら最後には信仰を持った者もいます。たとえばC・S・ルイスです。リバイバルしても変質してしまうことが多いです。最後の信仰を大切にしましょう。

石巻での震災ボランティアにおいて、ある民家の壁にこのように書いてありました。
「その日は突然やってくる 聖書」
まさに、その日、最後の審判の日は突然やってきます。そのときに信仰を失っていることがないようにしましょう。

御言葉だけが罪を悟らせます。ぶどうの実としてではなく穀物として搾り取られるように。

★ハットポイント
人間同士の関係はファーストインプレションが重要で、それでほとんど、その人の印象が決まると言われたりしますが、わたしたちの全てを最初から知っておられる主は、ラストインプレッション、最後まで信仰の姿を守りとおすかを見ています。
人間の世界でもファーストインプレションがよくても、だんだんと悪くなり、最終的には離婚・絶交など良くない結末を迎えることも多いです。そういう人生はむなしいものです。
逆に最初はうまくいかなかったとしても、だんだんと親しみ深く愛するようになり、最後には良い関係になって一生続いたらすばらしいことではないでしょうか。

2012年12月12日水曜日

666の数字と私小説

ヨハネの黙示録 13:16-18
「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」

ヨハネの黙示録のもっとも恐ろしくまた謎に満ちているともいえる場面です。サタンの陣営に属する獣は、人々の右手か額に刻印を押させ、その刻印のある者でなければ、物を買うことも売ることもできなくなると書かれています。刻印がなければ生きていけない、そう言っているに等しい箇所であり、とても恐ろしいことです。

ところで、この箇所を初めて読んだとき、私はクリスチャンではありませんでしたが、非常にびっくりしました。なぜなら、私が中学生のときに書こうとしていた小説の舞台と同じだからです。

私は、2077年を舞台にしてあるSF小説を書こうとしていました。(結局、少し書いただけで時間がなくなり未完で終わりましたが。)
タイトルは「違法児」
内容ですが、その時代にはクローン人間を作成する技術が相当に進み、悪の組織が自らの欲望のためにクローン人間を大量に生み出し、戦争や強奪や数々の悪を行っていました。そのため国家は、政府によって認められたクローン人間および生身の人間から生まれた人間と、それ以外の人間を区別し違法とみなすことにしました。ただし、クローン人間と生身の人間から生まれた人間を区別することは難しく、科学者のアイデアによって体系化された方法は、生まれたばかりの赤ん坊に政府の電子証明書が入った小さなチップを埋め込み細胞と結合させてしまうことでした。そのチップが入っている人間は合法とみなされますが、チップが入っていない人間は違法とみなされ抹殺されることになります。
しかし、数々の戦争による荒廃や軍事政権の弾圧のおかげで、経済状況は最悪の状況化にあり、子供を産んでも育てることができずに捨てなければいけない親がたくさんいました。捨てられた子供たちは当然ながら政府のお墨付きのチップを埋め込まれることはなく、その存在は違法とみなされ、違法児と呼ばれるようになっていました。
人間の細胞と一体化されたチップにはその人固有の番号が特殊な暗号化を施されて埋めこまれており、それによって物の売買や交通手段の利用、あらゆる決済、個人の証明の用途に利用されるようになりました。つまり、チップが埋め込まれていなければ、公には何もできないことになります。自分が誰であるかすら証明できず、警察に見つかれば違法な人間とみなされて処刑されます。
そのため違法児と呼ばれる子供たちは、世間から離れ群れを作って地下等隠れて住み、細々と人生を送っていくことになりました。彼らは自分を証明できるものがないため、ときに悪の組織の格好の的になり、クローン人間の違法生産に利用されてしまうことも多くありました。
少年Aも違法児の一人であり、生まれてすぐに両親から捨てられて育ちましたが、あるとき、とても優しい家族に引き取られ匿われて育つことになります。高い費用がかかるが、ダミーチップを埋め込む手術を受けさせてもらい、彼は世間でまともな生活を送れるようになりました。
少年Aは中学生くらいになったころ、自分の両親に会いたくなり、苦労して探したすえに両親を探し当て、初めて両親と出会います。しかし、少年Aの両親は、少年に本来のチップが埋め込まれていないことから彼だと断定ができず、少年Aを突き放します。
少年Aはひどくショックで落ち込み精神病になって入退院を繰り返しますが、なんとか自分が本当に両親の子供であることを証明しようと堅く心に決め、何年後かに再び両親に会いにいきます。
再び戦火がひどくなり、彼が両親に会いにいったとき、家は炎に包まれていました。実の母の悲鳴が聞こえる中、少年Aは炎の中に飛び込んでいき自らの命を犠牲にしてまでも母を救うことで、自らが子供であることを証明しようとします。その結果、・・・・

長くなりましたが、という内容なのです。
これを書いていたとき、中学生であった私は聖書を全く読んだことがなく、この記載について聞いたこともありませんでした。ただ、なぜか近い未来はこんな時代が来るのではないかという想像のもとに書いていました。チップがなければ物の売買ができない、そんなことを想像で書いていたのですが、聖書を読んでそこに同じことが書かれていて本当に驚きました。
たとえ御言葉を聞いたことがなくても、人間の記憶や思考、想像には聖書のメッセージが入り込んでいるのでしょうか?神様は人を愛しておられるので、イエス様に出会う機会がない者にも、そのように真理を教えてくださっているのかもしれないと、ここを読む度に何度も考えてしまうものであります。

2012年12月11日火曜日

悪とは実存がないこと


■2012/12/11
■ヨハン教会 モーニングチャペル
■ヨハネの黙示録 13:11-19

★モーニングチャペル
主の弟子を訓練させ強めるのが黙示録
霊的な戦いは単純です。戦えば勝利し、戦わなければ敗北します。

サタンは頭が良いかもしれませんが想像力がありません。神様の真似しかできません。だから、サタンは何一つなく新しく生み出すことはなく、模倣して人々を惑わします。

アウグスティヌスは「悪とは実存がないことである」と言いました。存在することは善であり、悪とは無であります。

悪霊には立ち向かう必要はありません。ただ神様を礼拝するのみです。なぜなら悪には実存がないからです。

サタンは飲食という人間にとって基本の問題で最後まで私たちを惑わしますが、イエス様はパンの誘惑を受けながらも勝利しました。

刻印を押すことは、聖霊が印をつけることの出来の悪いパロディです。サタンの刻印に対する方法は、聖霊の印を受けることです。

数字の666とは人間をさします。人間が人間の中心になるようにサタンにより惑わされています。

★ハットポイント
悪は実存がない、だから悪に立ち向かう必要もない、というのは実に活気的な悟りです。いつも、サタンの勢力に立ち向かい主の力で打ち負かしたいと躍起になっていながら、なかなか実りがなく疲れているのではないでしょうか。
サタンがいかに凄くとも、何かの真似しかできないし、存在が難しいのですから、聖霊様に満たされることをまず祈り聖霊の考えで歩みましょう。

2012年12月8日土曜日

ドラマや映画に見る人間の死と聖書

最近ヒットしているドラマや映画を見ますと、恋人や家族が病気になって死んでしまう内容が多いように感じられます。今までは問題なく健康だったのに、あるとき、不治の病であることが明らかになり、本人も周りの人も苦しみ戦い葛藤しながら生きますが、最終的には亡くなってしまいます。

人の死というのはそれ自体が重いテーマであり、誰もが関心を抱くものだから、ドラマや映画にもしやすいのでしょう。それを見た人は何かを考えさせられ、また涙も流して、悲しさや寂しさを味わいます。

ところで、人が病気になって死んでいく過程を描く中で、本人にとってまた身近な人にとって、もっとも大きな問いは、「なぜ?」というものです。なぜ自分なのか、なぜ苦しまなければいけないのか、今までの自分の人生は何であり、これからは何のためなのか、そういった根源的な問いが、ドラマや映画の中に出てきますが、それにきちんと答えている作品はないように見受けられます。

たいていの場合は、「頑張れ」「必ず治るから」「朝の来ない夜はないから」と周囲の人が励ましますが、本人は自分がそう励まされるのを嫌になり放っておいてほしいと思って引きこもってしまったり、そんな葛藤の連続が描かれています。

「なぜ自分だけが病気になり死ななければならないのか?」
そんな根本的な問いに対して、わたしたちは答えを持っていないのでしょうか?

実は、その答えはわたしたちの中にはありませんでしたが、バイブルという一冊の本の中に見出すことができます。

ヨハネ9:1-3

◆生まれつきの盲人をいやす
「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

生まれつき目の見えない人がいるのは、その人に問題があるからではなく、その人を通して神様の偉大さと栄光が現れるためだとバイブルは言っています。このあと、イエスは目の見えないその人を癒し、完全に目が見えるようになりました。神様は生まれつき目の見えない人に神様がどれほど大きな御業を行うかを現すための大きな使命を与えられたのです。

病との闘い、あらゆる葛藤の日々を通して、人は病や死に対して無力であることを学びます。医学がどんなに発展しても、多少、延命を図ったり痛みを抑えたりできるだけです。ただ祈ることしかできないことに気づかされます。金銭や知識、そして自分の力だけが全てと考えてきた人たちに、実はそれらが何の価値もないことを悟らせ、神様に対する飢え渇きを起こさせます。


また、バイブルにはこんな言葉もあります。

ヨハン12:24 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」


一人の人の死を通して、家族、友人、同僚、関係する全ての人々の考え方、生き方が変わります高慢な者は謙遜になり、無関心だった者は愛し合うようになります。

かつて、私の大学時代の親友Kが、ある時から精神的な病にかかり精神病院に入退院を繰り返していましたが、徐々に治ってきて仕事にもつけるようなり、さあこれからというときに、何らかの事故で亡くなってしまいました。私と同じく一人っ子であったため、両親の苦しみと悲しみはどれほどのものだったのでしょう。あまりにも辛くて今まで生活してきた場所にいることができず、引っ越してしまい、住所も聞かされてはいません。

彼がなぜ精神的な病になり最終的に死んでしまうことになったのか私は未だにわかりませんが、少なくとも彼の闘病生活を見ていた私は、自分は何でも人にしてあげられるという高慢な心から、自分は一人の友人さえ救うことさえできないという謙遜な思いに変えられ、イエス・キリストを信じるという恵みにあずかった気がしています。

両親からの最後の連絡には、「Kは牧師に見守られて昇天しました」とありましたので、彼の両親も
信仰を持って救われたのかもしれません。

ドラマや映画の中で死に行く主人公がバイブルに出会っていたらと、何度も思わずにはいられないこのごろです。

2012年12月2日日曜日

孤独の痛み

2012/12/02
■ヨハン吉祥寺キリスト教会 主日礼拝

■タイトル: 私と伴うイエス様

■マタイ 11:28-30、黙示録3:20



★メッセージ
福音を伝えたら、ミッションスクールに通った以下大学の女子学生が、詩篇109:115を聞いて思い出し悔い改めました。日本では子供のころや小中学生のころに福音を聞いている人が意外といるものです。

生きる希望がなく死のうとしている人が聖書を読んで死ぬのを思いとどまり救われる人がいます。聖書は命綱となります。だから、ホテルの部屋には聖書がおいてあります。

エデンの園は苦も痛さもありませんでした。人間とライオンなどの猛獣が一緒に暮らしていました。が、私たちの罪ゆえに神との断絶が発生し苦難が生まれました。

人間ももっとも疲れさせるのは孤独です。人間は存在するがゆえにある孤独「存在論的孤独」を持ち合わせています。パスカルは神様でしかそれを埋められないと言っています。
医学的な実験では、物理的な痛みを体に与えたときの脳波と、孤独のときの脳波は一緒であるという結果が出ています。孤独のときには同じ痛みを感じます。

チャンスが来たのに健康が衰え年をとっていて動けない悔しさが誰にでもあります。人生の大きな問題です。「青春は若者にはもったいなさすぎる。」と、ある韓国の小説家は言っています。

「老人と海」をヘミングウェイは書きましたが、その話の中では、せっかく苦労してとったマグロを帰る途中にサメが食い尽くしてしまい最後に残ったのは骨だけになってしまいます。
この世は技術が進めば進むほど休む場所がなくなっていきます。

★ハットポイント
体が痛いときの脳波と、孤独のときの脳波が同じとは大変興味深いです。確かに孤独だと感じている人は寿命も短い気がしますし、昔、自分が孤独だと感じたときも言い知れぬ痛みがあったような気がします。ただ、イエス・キリストだけが人の孤独という痛みを癒せるのですね。