2013年5月28日火曜日

生活に浸透している偶像礼拝

■2013/05/28
■ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
■聖書箇所:イザヤ書41:21−29

★メッセージ

22-24節 偶像礼拝が書かれています。日本ではおみくじや占いがあります。おみくじはあらゆるところに浸透し銀行のATMの明細書の裏にもあったりします。占いも浸透しており、朝テレビでの星座占いを多くの人が見ているのではないでしょうか。
エレミヤ29:11 平和の計画を持っていると主は言われます。

25-28節 イザヤ書は紀元前700年くらに書かれ未来の出来事を予言していました。悪は未来を予測することはできませんが、主は自らの計画を明らかにされます。
イエス 様についての直接的な預言は350、関節的なものも含めると450あります。

29節 偶像に従うものは無に等しくやがて偶像と同じようなものになってしまいます。私たちは自分の近くのものに似ていきます。夫婦は価値観や行動が似ていきますし、つきあっている友人や、一緒にいる同僚から影響を受けます。日本では偶像の近くにいる人が多くいます。彼らに偶像が虚しいものであることを伝え、真の神様であるイエスキリストを伝えましょう。

2013年5月26日日曜日

初代教会での熱心

■2013/05/26
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル:聖霊に満たされた教会
■聖書箇所:使徒言行録2:42−47

★メッセージ

イエスキリストが十字架につけられたのは過越の時期でした、それは偶然ではありません。
イエス様は復活して40日後に昇天され、それから10日後、復活からは 50日後に聖霊が降りました。御言葉と聖霊は神様が私たちに送って下さった最高のプレゼントです。御言葉はイエス様ご自身であり、それを解釈できるのは聖霊の力のみです。
教会という言葉はどこか静的な感覚がありますが、本来、原語では「エクレシア」といい、呼び出されたという意味です。私たちは神様によってこの世から呼び出され聖霊に満たされて新しい生き方をするものです。教会は聖霊の産物です。私たちは世から選び出されましたが、だからといって世から分離されるものではありません。むしろ、世に戻っていき主の光を放つものとなります。

初代教会は四つのことに熱心でありました。1つ目は、使徒の教えです。来られるべきイエス様を描いた旧約聖書、そして来られたイエス様、これらを教えるのが使徒の教えであり、御言葉はそのものでもあります。
第二、第三に、相互の交わり、パンを裂くことに熱心でした。聖霊に満たされたクリスチャンは、互いにわかちあうことになります。かつて日本の住宅は夫婦と子供二人で四人家族が暮らすことを前提に作られていましたが、今は一人暮らしが多くなりました。しかし、人はつながっていたいという思いがあり、最近はシェアハウスがはやっています。部屋は別ですが共同スペースがあります。教会はまさに集まるところですが、時にはけんかをすることもあります。それは真心が出るからです。世の中では表せない怒りや憎しみも出して癒されるところが教会です。本当の人間関係、愛の関係を実践するとことが教会です。
四つ目に、祈りに熱心な教会でした。祈りがなければ聖霊が働かれません。どんなにやっても恵みがなければ疲れてしまいます。たとえば、ヨハン教会では一年に二回もバイブルウィークといって二週間にわたって朝、午後、夕方と聖書勉強をしますが、ここまでやるのはクレイジーかもしくはワンダフルのどちらかでしょう。恵みがなければクレイジーですが、恵みがあればワンダフルであります。祈りは神様の心さえ動かすことができます。神様さえ動かせるのであれば人を動かすこともできるはずです。聖霊に満たされた教会は世の中に対してインパクトを与えなければいけません。
経済の原理は、持っているものがますます豊かになり、持たざるものがますます貧しくなるものです。現在の日本の円安経済もその傾向が表れてきています。教会はそれに対して新しい生き方を提示していかなければいけません。初代教会では自分の持ち物を持ち寄って共有しました。だからといってそこに聖霊が伴わなければ人間中心なものとなり、共産主義の国の多くが崩壊したことを歴史に見ることができます。
聖霊に満たされた教会は世の中におそれを生じさせます。世の中の人々から迫害されたり蔑視されることもありますが、それは聖霊が働かれている証拠です。

2013年5月25日土曜日

罪の生活におけるアブラハムの召命

■2013/05/25
■ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
■聖書箇所:創世記12:1-9

★メッセージ

主はアブラハムにビジョンを与えられましたが、アブラハムが父親の偶像礼拝の中で暮らしているときにビジョンが与えられました。
ヨシュア記24:2 あなたたちの先祖は、昔ユーフラテスの向こう側に住み、他の神々を拝んでいた。
私たちが状況が良いときではなく罪の中を歩んでいるときにも主はビジョンを与えられます。それはなんという慰めでしょうか。私たちは何をないところから主に選ばれ呼ばれるのです。

生まれ故郷とは何でも備えられているところです。誰も生まれ育った家において家賃や食事代を請求されたりはしません。そのような生まれ故郷から旅立ちなさいと主はアブラハムに言われました。アブラハムはまだ子供がいませんでしたし何も成していませんでしたが、その状況の中で出発しました。何か完璧に準備されてから出発するのではなく、何もないところで主は呼ばれます。パウロもクリスチャンを迫害しているときに主から呼ばれました。

アブラハムが従順して主に従い旅立って主が導くままに進んだゆえに、主はアブラハムに「あなたの子孫にこの土地を与える」と言われました。アブラハムの従順は本人だけであく子孫の祝福につながりました。私が従順すれば、私だけでなく家族が祝福されます。会社の同僚が、友人が、知り合いが祝福されます。小さな従順が大切です。

アブラハムは主の約束と信仰を生活の中で実現していきました。8節 天幕を張ってそこに主のために祭壇を築き
信仰は自分の生活の中で実を結んでいかなければいけません。教会の中だけで礼拝し教会の外では何もしないとしたら敗北です。アブラハムが祭壇を築いたように、世の中に出ても主を礼拝していきましょう。

2013年5月23日木曜日

高い所に住む人

■2013/05/23
■ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
■タイトル:高い所に住む人
■聖書箇所:イザヤ書33:1-16

★BibleStudy

悪は必ず滅ぼされ善は主によって立てられます。
神様の民に警告を与えるために別の国々を用いることもありますが、それらの国も悔い改めなければその国もやがて滅ぼされてしまいます。バビロンはユダを侵略しましたが、やがて滅ぼされました。私から悔い改め主の前に進むことが大切です。
イザヤが祈るとき、私が行った善ゆえに癒して下さいと祈りましたが、神様は、イザヤが行った善ではなくイザヤが流した涙のゆえに癒すと仰います。
2年前の東日本大震災を契機にその年は少しクリスチャンの数が増えたようですが、それ以降また減り続けています。全世界の中でもクリスチャン人口が1%に満たない国はほとんどありません。イスラム圏でも数%のクリスチャンが存在しています。そのような状況の日本で私たちが神様から選ばれたということはどれほど素晴らしいでしょうか。開拓者はつらく苦労も多いですが、それに対して与えられる祝福は限りないものがあります。

7節以降はアッシリアに対する裁きが書かれています。戦争というものは簡単に起こるものではありません。領土問題が白熱しているとしてもすぐには戦争は起こりません。昔も同じであり簡単に戦争が起こらないように条約を結びます。アッシリアとイスラエルも条約を結んでいました。しかし、センナケリブは勝手に条約を破棄して、北イスラエルをほぼ完全に滅ぼし南ユダも侵略しようとしていました。アッシリア軍は非常に強くイスラエルには対抗する力がありませんでした。
神様はそのようなアッシリアの軍勢185000人を一夜にして滅ぼされました。主はこの戦争は私のためであり主の栄光のためにアッシリアを滅ぼすと言われます。悪を必ず滅ぼすのが主の品性です。
第二テモテ3:12「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」
第一テモテ4:7「信心のために自分を鍛えなさい。」
第一テモテ6:11「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。」

今は損をしているように見えたとしても結果的に見ると必ず正義の神様が勝利します。それを信じましょう。

2013年5月19日日曜日

イエス様がわたしたちの計画です

■2013/05/19
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル:イエス様がわたしたちの計画です
■聖書箇所:ヨハネ15:1−5

★メッセージ

ヨハネ15章はイエス様と私たちの関係を教えてくれます。私たちとって大切なのはぶどうの木についていることです。ぶどうの木についていなければ枯れてしまいます。私たちの人生の計画にはいろいろありますが、最も大切な人生の計画は、ぶどうの木についていることです。
かつてニューヨークでのハーレム街がひどく荒れていましたが、ジェフリーという人がその街を変えました。最初は高校を卒業した若者がなかなか就職することができませんでした。そこで、白人の一般的な家庭の子供の育て方と、黒人のハーレムの家庭の子供の育て方を比較してみました。白人家庭は3歳になるまでの幼い子供によく語りかけ教えました。しかし、ハーレムの黒人家庭では子供達に教えませんでしたので、まず、子供達に教えるためにベビーカレッジを作りました。すると、ベビーカレッジを出て成長した子供達がやがて高校を卒業し仕事についていきました。ハーレム街改善のために、警察官を増やしたり、就職窓口を増やしたりしても効果は現れませんでしたが、子供たちを教え変えることでハーレム街が変わりました。私たちは何がぶどうの木かを見極めてそこにつながる必要があります。私たちは経済や教育が問題であると考えますが、それらを変えたとしても私たちは変わることができません。ただイエスキリストにつながることにより私たちは変えられます。

イエス様は農業が好きで農作物のたとえをよくされました。ぶどうの木は地を這うような低い木が一般的でした。ある枝は低く根をおろして木になろうとしますがその枝はやがて切られてしまいます。ただ、ぶどうの木につながる枝だけが実を結ぶことができます。唐辛子を育てるために、ときに実をとって捨ててしまうこともあります。もったいないように思えますが、無駄な実を切って捨ててしまわないと、木全体が成長しないのです。
韓国ソウルの江南地域では顔を変えようとしている人たちがたくさんいます。整形外科がたくさんあり、その医者たちはたくさんお金を稼いでいます。周囲には顔に包帯を巻いた女性たちが多くおりまるでミイラの街のようです。しかし、どんなに顔を変えたとしても自分の根本が変わることはできません。ただイエスキリストだけが力を与えて下さり問題を解決する道筋を与えられます。
教会の近くに住居をおくのは非常に良い計画です。頻繁に礼拝を捧げ祈る計画を立てて下さい。ミョンソン教会でも教会の周囲は近くに住もうとする信徒たちが多く相場価格がなかなか落ちません。
私たちは決心したとしてもなかなか計画を成し遂げることができません。三日坊主で終わってしまうことが多いです。ですので、計画を成し遂げようと決心するのではなく、イエス様と共に歩む決心をして下さい。イエス様だけが私の人生の根であり、イエス様だけが私の人生の計画です。

私たちの人生にはできないことが多いです。行きたい大学、就職したい会社、取得したい資格、それぞれチャレンジしますが、なかなか思い通りにいかないことが多いです。自分の志望校に行ける学生はわずか2%ともいわれているくらいです。自分ができないことに固執するのではなく、神様につながり神様の御旨を求めて下さい。
聖書に登場するヨセフはエジプトに売られることも、エジプトで総理になることも、もともと 計画にはありませんでした。ただ計画としてあったのは、神様に人生を捧げることだけです。そのためにどこに行ったとしても神様が豊かに働かれ、主に捧げたヨセフの人生となりました。
エチオピアに病院を建て人を派遣しました。その地域で中心的な病院となりエチオピア国王も来る病院となりました。しかし、病院での治療によって人が救われるわけではありません。ただ、イエスキリストによって人が救われるのです。
私の中にイエス様が伴い、実を結ぶ人生となりますように祈ります。

2013年5月17日金曜日

問題が大変だからこそ神様を頼る

■2013/05/17
■ヨハン早稲田キリスト教会 金曜徹夜礼拝
■聖書箇所:詩篇145:1-4

★メッセージ

詩篇145篇は神様の偉大さを語っています。
人はどれだけ弱いものでしょうか、ある人は触るだけで死ぬ人もいます。友達の家族は家の階段を踏み外して死んでしまいました。こんなにも簡単に死んでしまうものです。
数学が得意な人はどんな人でしょうか?韓国ではたくさんの公式を覚えていて計算が早い人が数学ができるとされています。しかし、その人が人生の問題を解決できるのでしょうか?数学にはノーベル賞はなくフィールズ賞がありますが、アメリカ人やフランス人が受賞しています。韓国人はいません。計算が早くできたとしても数学で賞をもらうことができないようです。

私はこれこれの力があるからこの問題はたいしたことがないと思う場合もありますが、むしろ問題を通して神様は私に真実を教えてくれます。私たちはみなちょっとした問題に苦しんでいます。
人間は寂しい存在だといえます。信仰があるかないかに関わらず寂しいものです。信仰がある人でも鬱になることがあります。これくらいの問題を乗り越えないとと思っているとどんどん鬱になっていきます。問題は簡単ではありません。
大学のチャペルでメッセージを聞いていたとき、勉強は難しいものだという話を聞いて、非常に感動しました。勉強は簡単というのは嘘であり難しいものです。そう考えて慰められてください。勉強は難しいものだからこそ、神様に頼らなければいけません。勉強だけでなく、就職も、結婚も、子育ても大変なものです。

神様は良い方であり善なる方です。ただ、それを知識的に知っていたとしてどうなのでしょうか。問題を神様の中で克服したときに、始めて本当に神様は良い方であるとわかります。問題にあったとき慎重な姿勢を持つ人がクリスチャンです。問題を適当にあしらうのではなく、神様に委ねて解決しようとする人が素晴らしい人です。困難なことは困難であると正直に目を向けることです。
男性はサムエル記上下を良く読むと良いです。若者のダビデが巨人ゴリアテと戦う場面が出てきます。サムエル記上17:37 「わたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からもわたしを守って下さるに違いありません」と告白しました。ダビデは凄かったのは強い戦士であったことではなく、主に絶対なる信仰を持っていたことです。この信仰によりゴリアテに勝利しました。
イエス様が褒めたのは信仰がある人でした。女性も父親も信仰のゆえに褒められ救われています。信仰が成長するところが天国です。

2013年5月12日日曜日

父と母を敬いなさい

■2013/05/12
■ヨハン吉祥寺キリスト教会 主日礼拝
■タイトル:父と母を敬いなさい
■聖書箇所:エフェソ6:1−3

★メッセージ

人は何かを教える時、教える対象の人が教えるにふさわしい人なのかどうかチェックし、ふさわしい人にだけ教えます。日本の職人の世界でも同じです。礼拝でも神様の御前に出る姿勢が大切です。聞く姿勢を正して神様にすべてを捧げる心で礼拝を捧げましょう。
今日は父母に関する御言葉です。現代では家庭教会がよくされていないうえに学校で先生の言うことを聞かない生徒が多くいます。家庭でしっかり教育されていれば他の人の意見を聞くようになります。信仰的な教育が最も大切です。家庭礼拝を守って御言葉で育った子供はどこに行っても適用し成功できます。

聖書でも厳しく命じられているのは親孝行です。ギリシャ語では厳しい命令形で、親孝行しなければならないと命じられています。
1節 主に結ばれている者として両親に従いなさい。キリスト教では何よりも親孝行について教えられています。親に対して反抗することは神様に対する反抗につながります。目に見えることではなく心の内にあるものです。親孝行をする者は社会でも成功します。もちろん、形式的にゴマスリで上司に取りいる人もいますが、そういう人は出世という目的を達すると突然変わってしまいます。しかし正しく親孝行をしてきた人は上司に本当の意味で信頼されます。

十戒の1版目から4番目は神様との関係、5番目から10番目は人間関係ですが、その人間関係の一番最初に出てくるものは、「あなたの父母を敬いなさい」というものです。これは実存の土台であります。また、人間が生きるための基本的な姿勢です。
あるとき、親孝行しない女の子がいましたが、ねずみが出てきたので米の粒をあげたら、すぐに食べずに穴に戻って目の見えない親のネズミを連れてきて食べさせたということがありました。女の子はそれを見て、ネズミでさえ親孝行するのだと悔い改めて、親孝行するようになったという話があります。

主にあって親孝行しない者は多くの呪いを受けるとも厳しいことが書かれています。箴言30:17
肉親の親は実際的に仕えるために主が与えて下さったものです。親孝行することは大変なことですが、聞いて終わる者には恵みはありません。実際的に聞いて行う者は主が祝福されます。牧師先生は9人兄弟であり8番目でありながら、どの兄弟もやりたがらなかった親孝行行ったら大きく祝福されました。会社でも多くの実績を残し、東北大学に留学した際にはノーベル賞候補と言われた佐藤先生から信頼されました。
親の心をよく伺う習慣が身に付いている人は会社でも上司の心を良く伺うことができます。上司の機嫌や状態をよく見ながら適切にふるまい場を和ませることができます。

最大の親孝行は天国に行く切符を買ってあげることです。イエスキリストを伝えて神様のもとに導くことです。時間があるたびに祈りを植えて下さい。日本では状況は大変かもしれませんが、亡くなってしまったら本当に後悔します。イエス様を伝えるとともに、クリスチャンとしてふさわしくあらゆる善いことをして下さい。

2013年5月10日金曜日

バイブルウィークにて

■2013/05/10
■ヨハン早稲田キリスト教会 金曜徹夜礼拝
■聖書箇所:

★メッセージ

私たちの原罪はどこにあるでしょうか?楽しいといえば楽しいことだけ思い出され苦しければ苦しいことばかり思い出されます。一週間の自分の状況はいかがでしたでしょうか?そんな状況でも、イザヤ書43章にあるように、主は私たちを守って下さっています。
幸福は苦難を伴います。例えば、家庭にて集中して何かをしなければならないときに、子供や孫が部屋にきて邪魔をします。可愛いがゆえになんともしがたい状況です。夫婦の間でもそんなことはないでしょうか?愛する配偶者ですが、一方で衝突する面もあります。

ヨハン教会ではこの二週間、バイブルウィークで聖書勉強会が開かれていますが、来れなかった人も、なんとかして来て学ぼうという心を持ち続けて下さい。その気になれば会社で休暇をとってでも来て参加する価値と恵みがあります。
神様と共に立てた目標に対して妥協して目標を下げないで下さい。私ができ無いとしても、神様が成し遂げられます。神様に委ねましょう。

主のために働いているとき過労から腸の病気にかかり入院しなければなりませんでした。医者からは警告を受けました。その病室では次々と患者が死んでいきました。昨日は無事で話をしていた人が今日は死んでいくのです。しかし、教会のことがあまりにも心配で早く退院してしまったこともあります。

ダビデが偉大な働きを出来たのはよく祈ったからです。ダビデはくださいという祈りはなく神様に栄光を帰しますという力強い祈りです。一方で、ソロモンは下さいという祈りが多くありました。

祈りはなく三段階です。
まずは必要なものを求めて下さい。経済的事情など。
次に、
最後に本当の親孝行を実践して下さい。

2013年5月6日月曜日

ヨハン教会でバイブルウィークスタート

2週間にわたるヨハン教会のバイブルウィークが本日から各地で始まりました。これは聖書の重要な教理、約数十課分を体系的に学ぶことができるものです。通常であれば半年くらいかけて学ぶ神学的内容が、ヨハン教会ではたった2週間で学べてしまうのです。
ヨハン教会ではバイブルウィークが毎年2回実施されていますので、私はかれこれ10数回聞いていることになるのですが、毎回なかなか仕事が忙しくてすべて聞けないのが残念です。ただ、今回は恵みで初日が祝日でしたので、頭が最もさえている午前中に聞くことができました。
御言葉を何度も読んでも忘れてしまいますので、一から学べると思うとなかなか期待感が高まります。以前は、また同じ内容だとあまり期待していなかったこともあったのですが、最近は、特に忘れてしまうことが多く、逆に新鮮さが高まります。だんだん歳をとっていって忘れっぽくなると、こういう利点もあるのですね。でも、絶対に忘れてほしくないことは忘れないように祈っていきたいです。
ヨハン教会での聖書勉強会は、韓国の教会等に通っていたことのある方から言わせると、けっこうレベルが高いそうです。自分はイエス様を信じ受け入れてからずっとヨハン教会の礼拝に出席し続けていますので、他の教会はあまりわかりませんが、ヨハン教会でのバイブルスタディではかなり難しい神学的内容もあり、確かにレベルが高いのかなと思います。
2週間、少しでも多く学べるよう恵みを求めていきたいです。

2013年5月5日日曜日

子供たちに手をおいて祝福された

■2013/05/05
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル:子供たちに手をおいて祝福された
■聖書箇所:マルコ10:13−16

★メッセージ

問題の子供はいません、問題な両親がいるだけです。
問題の子供はいません、問題な家庭があるだけです。

1.イエス様は子供たちを本当に愛されました。
16節 手を置いて祝福された、つまり按手祈りをされました。イエス様の周りに群がってきたのは、いつも子供たち、そして名前も登場しない女性たちでした。14節 妨げてはならない 。ありのままを人格を許容しありのままで受け入れなさい、ということです。大人で人格的な関係をとれない人は、子供のときに、両親と人格的な交わりをしたことがなく、また、両親同志も人格的な交わりをしていない場合が多いです。一方で、人格的な交わりを持って育った人は明るく職場でも人を和ませます。しかし、たとえ人格的な交わりを受けて育って来なかったとしても、イエスキリストを信じ受けた人には主が伴い、人格的な交わりが聖霊様によってできるようになると信じます。
我々は逆に子供たちから学ばなければいけないことがたくさんあることを覚えて悔い改め、純粋さ、謙遜さがどのくらいなのか、自分を省みましょう。

2.純粋な子供の心を良く理解し学ぶにはどうするべきでしょうか
127編2節 主は愛するものに眠りをお与えになる。霊肉ともに安息を与えて下さいます。今は多くの人が疲れており疲れからあらゆる病が発生します。
自分がある程度の役割をしていても子供たちがそうなるわけではありません。たとえば、エリ大祭祀長の二人の子供は悪質な者たちで主から罰されました。叱るべき時に叱らなかったからです。サムエルの息子もそうでした。また、モーセの子供たちもよく育ちませんでした。あまりにも働きに集中しすぎて子供たちを省みなかったようです。

3.実際的な勧め
17〜22節 金持ちの青年のたとえ  世の人々は結局お金を愛しています。お金が手に入らない証は人々はあまり注目しません。人格が滅茶苦茶でも給料が高いと自分が偉いかのように錯覚します。こういう人はある程度までは一緒にやってついてくるかもしれませんが、決定的には用いられません。

2013年5月4日土曜日

二つのJを愛する

■2013/05/04
■ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
■聖書箇所:ヤコブ1:12−27

★メッセージ

聖書の言葉とは反対に、私たちは聞くのに遅く話すのに早く怒るのに早いのではないでしょうか、すぐ言い訳が出てきます。しょうがなかったです、皆がやっていることですと弁明します。人の意見を受け入れられないという高慢さがあります。理系の学問では学会発表などで相手の意見をデフェンスする場面が多いですが、それを神様に対してまた兄弟姉妹たちに対してやってしまったらどうなるのでしょうか。他の人が相談を求めてきているのに、後でと言って無視したらその人は嫌な思いをするのではないでしょうか。
日本人は儒教的なしっかりきちんとやる価値観と神道的ないい加減な価値観が交錯しています。建前は儒教的な態度でよく見せつけ本音は神道的な態度でいい加減にします。かの有名な内村鑑三は二つのJ、JesusとJapanを愛すると言いました。なかなかカッコ良い言葉ですが、実際にはイエスキリストを日本と同列に愛した人でした。最初はイエスキリストを信仰して天皇を拒否したことにより不敬罪で裁かれますが、最後は日本への愛から離れられずイエスキリストへの信仰が薄くなっていきます。最近のニュースを見ると、日本という単語が目立ちます。自分の国、日本を強調する増えてきている感じがあります。
私たちは自分の顔にいろいろなブランドものの化粧をします。そのブランドの名前は偽善という名前です。人間の目を騙すことができたとしても、主の目を騙すことはできません。
主の愛と世の愛とは違います。主の愛は義を伴う愛です。義が伴わない愛はなく愛が伴わない義はありません。不義に対しては主は非常に怒られました。

2013年5月2日木曜日

正しい終末感

■2013/05/02
■ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝(BibleStudy)
■聖書箇所:ヨエル4:1−21

★メッセージ

家庭の月であり愛が見直される月でありますが、愛とはどのようなものでしょうか。世の中の愛はどうでしょうか。不倫はねじまげなげられた愛であり正しい愛ではないために深い傷が伴ってしまいます。愛には義がともなわければいけません。主なる神様は愛と義、恵みと慈しみが一緒の方です。
ヒンディー教の歴史観は輪廻説です。現在の苦しみは前世の罪の影響を受けているといいます。正しい歴史観はありません。初めもなければ終わりもなく終末の概念はありません。このような場合は、無力に陥ります。一方で、歴史観の強い人でも、主を知らない人は自分たちの力で何かをなそうとします。その典型例は共産主義でありユートピアを実現しようとしましたが失敗に終わりました。
主なる神様は必ず最後に義を成し遂げる方であります。必ず悪しき者を裁き正しく清い者を救われる方です。私たちには誰一人救われる資格のある者はいませんが、キリストを信じる者を救って下さいます。
2節 主の民を蹂躙した民族を裁くと言われます。イスラエルの民族はバビロンによって侵略されましたが、そのバビロンも主は裁かれます。主はどの民族も公平に扱われます。主は選ばれた民にご自身を送りましたが、否定されイエスキリストは十字架につけられました。その後、ローマにいるユダヤ人たちは完全に散らされてしまいます。その地には塩まで蒔かれその地に全く作物が育たないようにされます。現代では、パレスチナの領土となっていますが、ガザ地区の一部だけはあきらめられずあらゆる紛争が起こっています。そこをあきらめればどれほど平和が訪れるでしょう。
主の民を苦しめる者は神様を苦しめるのと同じと主は扱われます。主の日は皆が裁かれる日であります。主の民もそうでない者も裁かれます。だから怖れなさいと言われます。わたしたちの行いはどうなのでしょうか。その日に私も裁きの対象とならないように気をつけましょう。信仰を持っている者としてふさわしく生きましょう。私の行いを常に改めて主の日を待つ者となりますように。

キリストが世の中でも生きている根拠となる歴史がいくつかあります。
一つ目は、教会の歴史です。教会が強い時、世の中と対立します。教会が弱い時には世はあまり関心を持ちません。教会が強いと世は教会を潰そうとしますが、決して教会が潰れたことはありません。韓国では教会がリバイバルし、東洋のエルサレムとさえ呼ばれています。かつて韓国は北朝鮮より厳しい経済的状況にありましたが、苦しい状況の中から大きな成長を遂げました。北側の共産圏では、キリスト教に対する
迫害が特に激しくほとんどのクリスチャンが南に移ってきました。最も強かった長老教会は北の平壌にありましたが、その人たちが南に移ってきて教会を次々に建てました。今の韓国の強い教会は北側からやってきたのです。
二つ目は、聖書の歴史です。神様に敵対する者は聖書をなくそうとし、あらゆる学説を立てて反対しましたが、聖書がなくなることはありませんでした。
三つ目は、ユダヤ人の歴史です。ユダヤ人を売り捌いて蹂躙した民族は皆なくなってしまいましたが、ユダヤ人は残りました。エジプト、アッシリア、バビロニア、どの国もなくなりどこにも残っていません。今のエジプトに住んでいる人たちはアラブ語圏の人たちであり、古代のエジプト文字はその地の人たちは誰も読めず西洋の学者たちの研究によってはじめて読めるようになったものです。ヒトラーによってユダヤ人600万人が数年のうちに迫害され殺されましたが、それでもユダヤ人は現在全世界に行き続けています。神の民は決してなくなりません。
裁きの日が来る前に主なる神様が私たちの民を憐れみ一人も滅ぼされないように祈りましょう。

イエス様を信じるがゆえに苦難を受けたことはあるでしょうか?それらを共に分かち合いましょう。ただし、復讐は主のものです。悪は必ず自ら自滅します。神様の最も恐い裁きは放置することではないでしょうか。叱られるよりもっと怖いことであり、滅びるしかありません。

16節 裁きのとき主は民の避けどころ、人々の砦です。神様は清さを回復して下さいます。
神様が再び来られるとき新しい御国をここに打ち立てられることを願いましょう。そして、裁きの対象とならないように祈りましょう。唯一の砦である主なる神様だけを頼っていきましょう。

私たちは正しい終末感を持ちましょう。ただし、終末が来て救われるから適当にやってもいいというものではなく、むしろ、まだ救われていない人に主の福音を伝えて皆が救われるようにしましょう。

未熟だからこそ用いられる

■2013/05/02
■ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
■聖書箇所:ガラテヤ1:11−24

★メッセージ

他の宗教では信仰によるものではなく理解できるからついていきます。何か存在するものを何かわからないまま信じるます。キリスト教はただ信仰によるものです。
戦争の英雄は戦争を恐れます、なぜなら、戦争でどれだけ多くの人が亡くなったか知っているからです。優秀な将軍が退役すると次の就職先をなかなか教えてもらえません。多くの犠牲の上に成り立っているからです。試験がよくできる人ほど試験を恐れます。失敗する可能性も知っているからです。
Forever21の社長は、あまり証をしないようにしていると語りました。クリスチャン事業家の証を聞いていると本人の恵みと聴衆の要求が異なるそうです。自分が恵まれた証をすると聴衆はあまり反応しませんが、少し誇張して作り話に仕立てて話すと聴衆は喜びます。主はすべてを知っておられる方ですから、その主の前でそういう証をするのはいけないと思い、証をしなくなっていったそうです。またゴルフもしません。多くの人は人付き合いだからという理由でゴルフを始めますが、徐々に飲み込まれていってしまいます。
事業家は自分がどんなに苦労したとしても、それによってお金を稼いだなどと言わないことです。自分の自慢をせず謙遜に生きるのが良い身の振り方です。
主によって高められた人は人々には知らされてもそれによって自慢したりはしません。6:8 霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
聖霊によらなければイエスキリストを主と告白して信じることはできません。信仰告白する前から聖霊は働いています。
主の栄光を妨げることに罪意識を持ってください。全く人を意識しないことは不可能ですが、自分の自慢をしないように気をつけましょう。
聖霊がどのように働かれるのか耳をすませてください。完璧だから用いられるのではなくクリスチャンは未熟だから用いられます。用いられる中で成長していきます。

2013年5月1日水曜日

異端に対する警告

■2013/05/01
■ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
■聖書箇所:ガラテヤ1:1−10

★メッセージ

当時は間違った教えをするものが現れ教会の信徒たちを惑わしていました。そのため、パウロは異端に対する警告の意味で手紙を送りました。救われるだけで何もする必要がないとか、逆に行動だけで救われるというのも異端です。初代教会を苦しめたのは、信仰だけでは足りず何かを付け加えなければいけないという考え方でした。天使の降臨説を唱えたり天使も呪われると言ったりしました。天使が来て直接福音を宣べ伝えられるという間違ったことを話しました。天使とは主に使われる単なる僕にすぎません。天使は神のみならず聖徒にもつかえる存在であり霊的な奉仕者です。コルネリウスは祈っているとき夢の中で天使が現れましたが、これを曲解する人たちがいます。
イエスキリストが復活されたということはサタンの最大の武器である「死」を乗り越えたことです。主イエスキリストを最後まで拒む人は最後に裁きを受けるしかありません。ガラテヤの手紙の核心は、イエスキリストによる救いに対する確信です。聖霊が、私たちが御言葉を守れるように力を与えてくださいます。また十字架によってすべての罪を受けたことを知ることができます。イエスキリストは身代わりとなって死なれました。
3節 恵みと平和がみちあふれるように。受ける資格のない私たちが恵みを受けました。確信して世の中に惑わされず主だけを見つめていきましょう。