2013年6月30日日曜日

弱さで出会って下さる神様

◼2013/06/30
◼ヨハン吉祥寺キリスト教会
◼聖書箇所:ルカ19:1−10

★メッセージ

ザアカイは 身長が小さいことで劣等感を持っていました。ザアカイが背が小さかったのはザアカイのせいでしょうか?彼が何か罪を犯したから背が小さいのでもなく、誰かの責任でもありません。でも、ザアカイはその劣等感で孤独であり誰もその心を知ることはできませんでした。
人は誰かから何か叱られるのでないか迫害されるのではないかといつもびくびくしてることがあります。誰もそのように思っていないのに、劣等感が自分を苛みます。本当に誰も愛の言葉をかけないのでしょうか。何人かはその人に励ましとなる言葉をかけるかもしれません。しかし、自分の心が自己中心的であり自分の劣等感だけにとらわれていれば他人の意見も聞こえません。これが私たちの大きな罪であります。

ザアカイは木に登っているときにイエス様に会いました。イエス様は人の弱さの中で出会って下さる方です。ザアカイにとってイエスが病人や罪人と一緒にいて助けてあげていることについて全く理解できなかったでしょう。しかし、何かザアカイの心を引くものがあって、自分のようなものを省みて下さるかもしれないと思ったのでしょう。ザアカイはイエスの噂を聞かなければ木に登ることもイエスに会うこともありませんでした。私たちは喜んでイエス様の名前を表し伝えましょう。

自分の惨めさの中にイエス様を求めましょう。もし仕事ができないならば上司に相談してみてください。もし過ちを犯してしまったならば隠さずに正直に誰かに告白してみてください。自分の罪を公に言い表すなら主は私たちの罪を赦し清めてくださいます。ザアカイが出会った場所は木の上でした。それはザアカイの醜さを表す場所です。背が小さいことがわかるものであり、そこまで登ってイエスに会おうとすう貪欲さが現れるところであります。人々はザアカイを見て嘲ったでしょうが、イエス様はそのザアカイに出会って下さいました。
ザアカイは職業柄、人の心を見抜くプロであったでしょう。もしイエスが下心を持ってザアカイに近寄ってきたとしたらそれを見抜くかもしれません。しかし、イエス様が本当に自分を愛して憐れんで下さることを知って心を開きました。ザアカイはイエス様の愛を知りその中で生きていきたいと決断しました。ザアカイは人の評価から自由になり自分がどれだけ人を傷つけてきたかを悟りました。そして、本来、自分がするべきことを知り行動に移したのです。ザアカイの振る舞いは神様の子供にふさわしく大胆で自由なものでした。

2013年6月27日木曜日

盲人の社会に望む神様の契約

◼2013/06/27
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:盲人の社会に望む神様の契約
◼聖書箇所:イザヤ書59:1-21

★BibleStudy

今は罪を罪といえない時代になってきています。アメリカでは同性愛者の結婚が認めらる州が増えています。わたしたちは世の中の基準ではなく聖書の基準に照らし合わせて罪であるとはっきりと言えるものでなくてはなりません。正義の神様だけでなく愛の神様であったことに感謝しましょう。神様は愛で今も私たちを待っておられます。
現代は罪の概念がばらばらであり何が罪なのかもよくわからない時代になってきました。かつてはお金がない人がお金が欲しいために罪をおかしましたが、現在は学歴ある者もお金がある者も基準なく自分の欲望のままに行動し罪を犯してしまう時代です。神様から断絶されているとこのようになります。
今は以前よりもっと救うのが難しい時代になっています。昔はコーヒー一杯、ラーメン一杯提供するというだけで人々が集まってきたこともありましたが、今は鼻で笑われるだけです。これからもっと救いが難しくなるでしょう。だからそれを想定していればがっかりすることはありません。今はキリストと断絶されている時代ですので回復する必要があります。
蜘蛛は糸だけ張って何もせず獲物が引っかかっるのをずっと待っています。そして獲物がかかりもがいて最後に動かなくなるまで待った後に食べます。同じようにサタンは穴を掘っておき人間が引っかかりもがいて動けなくなるまで罪に引きずり落とします。
悪を計画して犯す前は、得る利益しか考えず罪から生じる恐ろしさを全く考えませんが、罪を犯したとき罪の恐怖を覚えます。
8節 彼らは平和の道を知らず  今日のわたしの生活に平和はあったでしょうか。ただ仕事で忙しく終わってしまったのではないでしょうか。主に従わない者には平和がありません。
神様が祈りに答えられないのは、罪の告白と悔い改めがない、人に対する赦しがない、間違った動機で祈る(ヤコブ4:3)、疑って祈るから
今目の前にある小さなものではなく将来の大きなもののためにも祈って下さい。

今は周囲の人々が皆他人の時代です。誰かが倒れていても誰も見向きもしません。
12節 罪は繁殖力があり罪はますます重くなります。良い罪、清い罪、素晴らしい罪、人を生かす罪はありません。罪はすべて汚いものです。罪は隠すことはできません。隠蔽したものは徐々にふくらんで必ず出てきます。
16節 罪をとりなす人が一人もいないのに神様は驚かれました。罪をとりなそうとする人はいたと思いますが、神様の心にぴったり合う人は一人もいませんでした。神様の心に合うように祈って下さい。私たちがいます、私たちの教会がありますと神様に言えるようになりましょう。
17節 主は熱情をもって私たちを救おうとしています。

恵みにふさわしい生活

◼2013/06/27
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:フィリピ2:12−18

★メッセージ

12節 恐れおののきつつ自分の救いを達成するように勤めなさい。人間は自分が本当に何を求めているのかもわからない存在であり、自分が本当に何を必要としているのか知るのが成長といえます。救いはただ一方的に恵みにより与えられたものですが、それにふさわしい生活をして生きることです。
1:27 キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。
どの教会にも世の中にも問題があります。問題がない教会や組織はないといっていいでしょう。すべてのクリスチャンが陥りやすい過ちは、自分が神様から与えられた恵みをお返ししなければならないと思うことであります。それが嬉しく感謝であれば良いのですが、返さなければいけないとして負担になってしまうことです。恩返しをするために、礼拝も参加し奉仕もします。もちろん恩を受けた人に対して返そうとするのは良い心がけであり親も喜ばれるでしょう。ただ、見返りを期待する信仰になってしまうのが要注意です。わたしたちは恵みを返すこともできませんし返す必要もありません。むしろ、恐れおののきつつ、受けた恵みにふさわしい生活をしようと励むことです。
KOSTA-JAPANが夏に行われますが、ただ私たちの教会の皆が集まって集会を行うことが目的ではありません。日本にリバイバルがおこされるように、その火種となるように祈って備え行うものであります。
具体的には従順しなさいと主は教えています。フィリピの信徒はよく従順していましたが、だからそれで終わってよいわけではありません。さらに用いられるように、常に従順であるように、主は望まれています。
第二テモテ2:3-4 戦争に参加している兵士は司令官に完全に従います。すべてを軍に委ねます。同じように、すべては主のものであります。良い兵士は召集して下さった司令官の気に入られようとし、そのような軍隊は百戦百勝です。現代のスポーツもチーム戦であり監督も采配の良し悪しが勝敗を決めることも多いです。
自分だけが恵まれて自分だけが従順して良い行いをすることがよいわけではありません。自分が所属している自治会が教会が皆が同じように従順して行えるように祈り励みましょう。自由を求める前にまずキリストの完全な奴隷とならなければなりません。キリストの中で完全にとらわれ奴隷となった者だけが、真の自由を得られるのであります。
星のように輝いて主に捧げるものになりましょう。わたしのような者でもやることがあることに感謝します。

2013年6月25日火曜日

主はどこでも働かれる

◼2013/06/25
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:イザヤ書63:1−14

★メッセージ

神様はどこでも働かれますがその結果は変わります。主はアメリカでも日本でも働かれていますが、アメリカで大きな実を結んでいても、日本での実はまだまだのようです。エサウとヤコブの受けた祝福には差がありました。エサウは長子であるにもかかわらず、最終的にはその座をヤコブに奪われることになってしまいました。ヤコブから学ぶことが多くあります。
甲府から先生がメッセージにいらっしゃったとき素晴らしい証のメッセージを聞きどこでも働かれる主の御業を聞いて感動を覚えました。素晴らしいメッセージでした、久しぶりに会えて嬉しかったですと言う人はいましたが、しかしその先生に対して何かさしあげる人がほとんどいなかったことは残念なことであります。感謝や恵みは愛を与える行動にまで結び付かないといけません。
主がわたしのゆえに悲しんでおられます、どれほど感謝なことであり、また心苦しいことでしょうか。
主はどこにおられるのかと周囲の人々が我々をあざ笑いまるで主が働かれていないように思えることもあるかもしれませんが、主は谷間を行くように守ってくださいます。

2013年6月23日日曜日

命の言の証人

◼2013/06/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:ヨハネ一1:1−4
◼タイトル:命の言の証人

★メッセージ

東日本大震災が起こったとき人々がまず行ったことは、身近な人に連絡をとることでした。電話がつながらなければ、メールやLINE、カカオトークなどを通してコミュニケーションをとりました。大変なことがあったとき誰かとコミュニケーションをとりたいのは古代から同じことです。
イエス様は我々にも真の福音を伝えようとしました。それは手紙という形を通して行われました。もし、福音が哲学のように難しく何十年も勉強しなければわからないものだったとしたら、福音はつまらないものであり一般的な人々が読むことはできなかったでしょう。しかし、福音は手紙という形で誰にもわかるものとして人々に伝えられました。
ヨハネ一1:2 なんとしてでも福音を伝えようとした意気込みが伝わってきます。イエス様の生き生きとした御言葉を思い起こしましょう。
裁判では多くの人たちが当事者となりますがその中でも重要なのは証人による証言です。良い証人は自分が見たこと、聞いたこと、体験したことを適切に伝えます。仮に、自分が主人公になろうとしてそういうストーリーを作って話し出したらおかしくなってしまいます。ある法学者は新約聖書を読んで、聖書が証言として書かれているとするなら最も優れた証言であり信ぴょう性が高いと言いました。完全につじつまがあってしまう証言や一貫しすぎている証言は逆に信ぴょう性が疑わしいということです。
花婿の友人は花婿に仕え花婿が喜ぶことでもっとも喜びを感じるものです。ヨハネはイエス様に対して証人の生き方を貫きました。イエス様が栄え自分は衰えればならないとまで言っています。

命とは何でしょうか。命とは個体が生きていることです。だが、20世紀から21世紀にかけて命に対する考え方が変わってきています。命とはつながりでもあります。誰かが病めばみんなが病むようになります。経済や環境の問題もそうであり、どこかで秩序が乱されれば全世界が影響を受けます。
命はわたしの中にあるのではなくイエスキリストにつながっているときにあります。本当の交わり、コイノニアがそこにはあります。イエスキリストを伝えるときに本当の交わりが生まれます。神様ご自身と交わるコイノニがあり、真の喜びをカラがあふれます。

2013年6月20日木曜日

不従順な羊

◼2013/06/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:苦しみを受ける僕
◼聖書箇所:イザヤ書52:13-53:12

★BibleStudy

正しい僕は義なる僕です。正しいも合っておりますが、義と訳すほうがもっと正確かもしれません。
2節 見るべき面影はなく輝かしい風格も好ましい容姿もない。人は見た目で判断することが多いです。きれいな人や格好良い人を見るなら悪い人には見えず、心が優しく頭が良いように見えるのではないでしょうか。ある金持ちの留学生が賃貸アパートを探すために、みすぼらしい服を着て不動産屋に行ったら一番安そうな部屋を紹介してくれましたが、翌日いい服を着て別の不動産屋に行ったらとても良い部屋を紹介してくれたそうです。人は見た目で判断してしまう例です。イエス様は自分の栄光をひけらかすためではなく、私たちの罪を背負い仕えるために来られたのです。ヨハネ1:1-12を見ると、イエス様は光としてこられたが人々は受け入れなかったことが書かれています。
6節 「わたしたちは羊の群れ」羊は視力が悪いため分別力があまりなく牧者が導かなければなりません。また、羊は転んでしまうと自分で立ち上がることができず、誰かに助けられる必要があります。羊が従順するのは死ぬ間際だけで通常の生活をしているときは不従順で自分勝手です。方向感覚がなく絶壁があっても進んで行って落ちてしまうこともあります。中近東で「あいつは羊のようだ」と言ったとき、いい加減な人間をさすそうです。とにかく羊は牧者がいなければどうしようもない存在です。
7節 「屠り馬に引かれる子羊のように」豚や山羊は死ぬ直前まで暴れて抵抗しますが、羊は死ぬ直前になると従順してついていきます。
フィリピはエチオピアの宦官にイエス様を紹介しました。私たちの伝道は飢え渇く人にイエスキリストを伝えることです。聖霊に満たされてイエス様を伝えて結果を主に委ねるのが真の伝道です。伝えた人が教会に来なかったとしても落胆せず感謝しましょう。イエス様を教会を牧師先生を自慢して下さい。イエス様を伝えることもそうですし、教会や牧師先生の素晴らしさを自慢して伝えることも重要です。聞くか聞かないかは構わずに教会で受けた恵みを多く話して下さい。あらかじめ教会や牧師先生のことをよく話しておけば教会に導かれたときよく受け入れることができますが、何も話していないと教会に来てもどういうところかわからず落ち着きがなくなってしまいます。

52:13-15 イエス様は苦難を受けますが、はるかに高められて栄光を受ける存在になります。
フィリピ2:9-11 すべてのものがイエス様の名を崇め、すべてのものがイエスが主であると告白します。今も苦難を受けている主ではありません。誰よりも栄光を受ける方でありそれゆえに私たちはイエス様を待ち望んでいます。
53:12 私の罪のために苦難を受けられ今も私のために祈りをしてくださっています。ヘブライ7:25 今も生きていて人々のためにとりなしてくださいます。イエス様を信じるわたしたちは、今がつらく苦難があるとしても、必ず最後に勝利を与えて下さる方であると信じるものであります。イエス様は苦しんで終わったのではなく、わたしのためであり栄光を受けられるものとなりました。

2013年6月16日日曜日

イエス様の栄光のため喜びを持って苦難を共にしよう

◼2013/06/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:ペトロ一3:18−4:6
◼タイトル:イエス様の栄光のため喜びを持って苦難を共にしよう
        ペトロの手紙講解11

★メッセージ

1.イエス様は私たちの罪を一度で解決して下さいました

キリスト教の特徴をよくまとめたのがマタイ5:3以降であり、山上の垂訓の箇所です。
天の国ではすでに救いが完成されてサタンが近づけない場所であるから、サタンは生きているクリスチャンを迫害せざるを得ません。職場などでは、クリスチャンは本物かどうかチェックされ、本物だとするといろいろな攻撃に会います。ただ、それはずっと続くのではなく期限があり、それが過ぎると大きく高められます。
仏教では人生を空海とも読んでいます。虚しいばかりの海のようだといいます。クリスチャンの人生は主によって導かれる尊く意義のある人生です。

4章1節 イエスキリストも肉において苦しみを受けたのですから、あなたがたも同じ苦しみを共にしなさい。
信じられる恵みがあるように。もし自分の力で信じるならば、疲れたら信じられなくなります。恵みであれば、どんな状況でも信じられます。イエスキリストの恵みは信じてみなければわかりませんが、信じてみると変わります。心が前向きになり顔が生き生きとし感謝と喜びが生じます。メッセンジャーもイエスキリストを信じて以来、約40年、一度も不満に思ったことはなく主が喜びでみたしてくださいました。
ヨハネ3:16 神はイエスキリストをお与えになったほどに世を愛された 、これ以上の愛はありません。

2.イエス様の恵みで罪を赦されたならこれ以上罪の生活をしてはなりません

罪を赦され救われたとしても私たちの体にはまだ罪が残っています。それに任せた生活をするのはやめましょう。
4、5節 今までの罪人が突然清い生活を始めると周囲の人々が不審に思い迫害されますが、それに耐えましょう。

たとえ言葉で伝えなくとも私たちの言動を見る人々が、なぜあなたはそのようにうまくいくのですかと質問して主を知るきっかけとなるようにしていきましょう。
ローマ10:9-10 人は心で信じて義とされ公に言い表して救われます。

2013年6月13日木曜日

急いで出る必要はない

◼2013/06/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:イザヤ書51:17−52:12

★メッセージ

17節 立ち上がれ、エルサレムよ
イスラエルの12部族のうち北の10部族は滅ぼされ永久に消えてしまいましたが、ユダはバビロンに捕囚され大きな試練を受け徹底的に悔い改め主の憤りの杯を飲み干し、再び立ち上がる力を与えられました。私たちにも罪の問題がありますが、悔い改めるとき救いがあります。悔い改め告白しきって、主の憤りの杯を飲み干し、恵みの力をいただきましょう。罪とは習慣的なものであり同じ罪に戻りやすいのですが、二度と同じ罪を犯さないように主のもとに立ち返りましょう。

2節 首の縄目を解け、捕らわれの娘シオンよ
今日本でも多くのサタンに捕らわれている国民がいます。彼らが主によって助けられ罪から解放されるようにしてください。
6節 わたしの民はわたしの名を知るであろう
日本の国民が主の名を知ることができることを望みます。
7節 いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
福音を伝えることは素晴らしく主の喜びであります。喜んで主の名を伝えましょう。
12節 しかし、急いで出る必要はない
私たちの中には急ぐ心があるでしょうか。あせって早くやらなければいけないと思うこともありますが、主のご計画は必ず実現されます。主の想いを黙想しながら主と共に歩み、福音を伝えていく者になりましょう。

わたしの名のために

◼2013/06/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:わたしの名のために
◼聖書箇所:イザヤ書48:1-11

★BibleStudy

1節 まこともなく、恵みの業もすることもないのに
いちじくの葉に実がないことをイエス様がおこられたように、私たちのうちにも実があることを主が探されます。立法学者たちは偽善的な祈りをしてイエス様から叱られました。サウルがサムエルを呼んだとき、主が喜ばれるのは形だけの礼拝でなく従順であると言われました。私たちのうちにまことと恵みの業があるでしょうか。本当に主に従順しているでしょうか。

3節 初めからのことをわたしは既に告げてきた。
主は突然何かをするのではなく常に警告を発してきましたが、4節にあるように、彼らは頑固で聞きませんでした。当時の預言者もある日突然預言したわけではなく、預言者を養成する学校があり、そこで王様と対しても大丈夫な品格や預言の仕方を学びました。預言者たちはあらゆる訓練を受けた後に、確実に預言をしてきました。
本物の偶像を家に隠している人はいないかもしれませんが、自分の心の中に偶像がないでしょうか。主を主と呼ぶのであれば自分は僕であると認めなければいけません。自分の計画を優先するのではなく主の計画を重んじ従いましょう。
多くの人は最後の神頼みと称して、自分の力でやってどうにもならなくなったときに神に頼ろうとするのですが、クリスチャンは最初から神に頼るものであります。

イスラエルの10部族は完全に滅ぼされ失われてしまいました。何度警告しても聞こうとしなかった人々の結末です。その部族がアメリカに渡ったとかいろいろな説がありますが、本当のことはわかりません。20世紀になってイスラエルという国が建国されました。当時のイスラエルとどこまで関係があるかわかりませんが、それでもユダヤ人による国が立てられたのは主の御業です。

7節 それはいま、創造された。昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。
今まで何度も預言を聞いてきたのに、突然新しいことがやってきます。本当に新しいものを創造できるのは主だけです。私たちは、それらを加工したり組み合わせたりできるだけです。
8節 聞いても聞こえず、見ても見えていないのが当時の民の状態でした。聞いても聞こえない、見ても見えない、これが最も大きな裁きです
スポンジのように主の御言葉をすっと吸い込むようにならなければいけません。
9-11節 主ご自身の栄光のために主はことを起こされます。私たちが何か重要な存在でしょうか。私のような小さな者がいなくても宇宙や地球は回っていきます。私たちは救われるにも値しないものでしたが、主がご自身の栄光のために私たちを救われました。
罪を悟ることだけがキリスト教ではありません。罪を悟るだけならどの宗教でも論じています。罪を悔い改め赦される恵みを体験しましょう。

信じて祈る

◼2013/06/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マタイ21:18−22

★メッセージ

立法学者は私は祈りに献金に正しいことをしていると祈りましたが、徴税人は目もあげずに私は罪人ですと祈りました。どちらが主に喜ばれる祈りであったでしょうか。ご存知のとおり後者でした。
私たちの祈りは人に見せつけるための偽善的な祈りになっていないでしょうか。本当の祈りは言葉で行うものではありません、霊から来るものであります。私たちは本質的に祈れない者であります。赤ん坊が顔を真っ赤にしてまるで死んでしまうのではないかと心配するくらいに泣き叫びますが両親はそれを聞いてくれます。主なる神様も私たちの切なる祈りに答えられるはずです。
奉仕、賛美、祈り、それらが私のための行いになってはいないでしょうか。アダムは罪を犯したためにそれを隠そうと木の葉で覆いました。
様々な行いが主からの隠れ蓑にならないように、主の前に自分の罪を告白し赦しを受けましょう。

アブラハムは100歳になろうとするときに子どもが与えられました。アブラハムもサラも決して子供を産めるような年と体ではなかったのですが、どうしてアブラハムは子供が産まれると信じることができたのでしょう。アブラハムは主の導きのもとに人生を送ってきました。どこでも導いて下さる主に絶対的な信頼を寄せてきたのです。
目の前の山も信じて祈るならば動かされます。疑わずに信じましょう。
22節 信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる
これは御言葉どおりに祈るならば何でもかなえられるという意味です。自分自身の利益のために祈る祈りは答えられません。むしろ私たちの人生にとって逆効果だからです。主の御心と私の反応が違う時どうするでしょうか。待って下さい、私はできませんと言ってしまっていないでしょうか。イエス様はゲツセマセの祈りで、十字架にかかりたくないという心を打ち明けながらも、私の願いどおりではなく御心のままにと言って主に従いました。魂の救いに対する祈りは絶対に100%答えられます。主がもっとも望まれることだからです。毎日ごとに魂の名前をあげて祈っているでしょうか。ときに名前をあげ忘れてはいかないでしょうか。最後まで信じて祈りましょう。

2013年6月12日水曜日

あなたはわたしの民

◼2013/06/12
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:イザヤ書51:9−16

★メッセージ

9節から16節まで貫いているテーマは「怖れるな」ということです。なぜ人々は怖れるのでしょうか。主なる神様が守って下さることに対する認識が足りないからです。そのため、12節のように神様は私が守ると民にご自身の意思を示されました。
主の力を知っていても主の導きが見えなくなるときに恐れが生じ前に進むことができなくなってしまいます。何の希望を見出せず打ちひしがれているイスラエルの民に向かって、主はイザヤを通して言葉を送ります。人は草に等しいものであり主の伴わない人生ははかないと説きます。草は枯れ花はしぼむが主の言葉が永遠に残ります。
13節において、なぜ主を忘れ恐れてやまないのかと問いかけます。14節、主の救いは速やかに来ると言われます。16節、あなたはわたしの民と明確に言われます。主が働いて下さることを明確に覚え信仰を持って全身全霊で従っていく必要があります。どんな悲惨な状況にあっても慰め主である主は不変であります。日々、感謝と喜びをもって歩みましょう。

2013年6月11日火曜日

自分で起こす火が邪魔になる

◼2013/06/11
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:イザヤ書50:4−51:8

★メッセージ

4節 12弟子はイエスキリストから呼ばれて従いました。召命を受けて従うものが弟子です。12弟子たちは何か優れていたところがあったわけではありません。ある弟子はすぐに切れやすく雷の子とさえ呼ばれていました。しかし、主は恵みにより呼んでくださいました。私たちクリスチャンも何も救われるに値するところはありませんが、恵みにより呼ばれたものであります。
5節 主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず退かなかった。  苦しみに対する良い方法は逃げないということです。
主が味方ですから、むしろ喜んで向かっていきましょう。
10-11節 闇の中にあるとき、光がないとき、そんな人生を歩まなければいけないことがありますが、どうすれば良いでしょうか。こういうとき、たいてい人々は自分で火を起こし始めますが、それがどんな頼りになるのでしょうか。小さな頼りない光は逆に邪魔になってしまいます。小さな光はすぐ周りを照らしますが、それで遠くが見えなくなってしまいます。夜に懐中電灯をつけるとすぐ近くは見えても星が見えなくなってしまうようにです。自分の光を消すと主の光が輝き私たちの進路を示されます。

51章3節 荒れ野をエデンの園とし荒れ地を主の園とされる
これこそ主が望まれることです。私たちは自分が考えている枠から抜け出さない限り成長がありません。多くの人が枠の中で競争し勝利しようとしますが、それはその枠の範囲の中でのことだけです。荒れ野がエデンの園に変えられるのは主でありますが、我々は単なる傍観者ではなく当事者になりたいものです。今の自分で大丈夫と思っていないでしょうか。自分が設けてしまった枠から抜け出て主が望まれる者になっていきましょう。

2013年6月9日日曜日

同じレコードを再生して進めない!

◼2013/06/09
◼ヨハン吉祥寺キリスト教会
◼聖書箇所:ローマ8:26−27

★メッセージ

私たちは大人になってもなかなか成長できず子供のような問題がずっと引きずることがあります。
cdやレコードを再生するときにレンズや針にほこりや傷があると同じトラックばかり読み取って次へ進まないように、人生で次に進めない人たちが多いようです。今自分がいるところから脱皮できずいつも同じ問題にとどまっていることはないでしょうか。30歳、40歳の大人になってもときどき非常に子供のようにわがままをいうような場面をみることができます。こういう人はアダルトチルドレンと呼ばれています。
子供のときに経験した恥ずかしいことや嫌なことは苦い根として私たちの中にあります。私の弱さは私の中にありますが、それを認めるところから始まります。自分の問題、弱さを直視して認めるところから始まります。問題を問題と思わないことが一番の問題です。
手術をするときには、医者がどんなにやる気だとしても、本人や家族が認めなければ手術はできません。自分の問題に対してサインをすることで問題を認めることになります。

次にはその問題から抜け出したい、癒されたと切に願うかどうかが重要です。多くの人は問題の解決をあきらめてしまいます。ヨハネのよる福音書5章では、38年間も病気が癒されずベトザタの池の周りいた人がいます。イエス様が「よくなりたいか」と質問したのに、彼はそれに答えず、他の人が先にいってしまうと不平不満を言います。なかばあきらめてしまい癒されたいという心がないことが最も問題です。

2013年6月3日月曜日

ToBeはToDoのために

■2013/06/03
■ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
■聖書箇所:イザヤ書44:21−45:17
■メッセンジャー:金圭東牧師

★メッセージ

旧約聖書は私たちの努力で主を喜ばせることが不可能であることを悟らされる書であり、新約聖書は主を信じている人々に大きな恵みがあることを教えてくれる書です。
私たちは神の御国の首都のような存在です。主は地上における御国を再建されます。キュロスは主によって用いられましたが、ダビデはもっと用いられました。ダビデは主の心にかなうものであったからです。どのような者が主の心にかなうものでしょうか。主の働きをなす人です。多くの教会がToBeを強調しますが、それだけでは不十分です。ToBeはToDoのためにあります。
人々が自分や自分の教会を誉めるたびに怖れを感じます。賞賛されてしまったらそれで終わりのような気がするからです。高慢になってしまったらあとは下り坂でどんどんスピードをつけて落ちていきます。
バビロンからの回復を警告するために、エリヤ、エリシャ、ネヘミヤらの預言者を主は送りました。そして、キュロス王により9年間で成し遂げられました。キュロス王になったその年に何の条件もなくイスラエルの民を解放されました。帰還の費用をすべて賄いました。これが彼の名誉として永遠に聖書に記録されています。キュロスは何か天から与えられて費用を捻出したのではありません。彼が持っている中から費用を出しました。主は今持っている中から主に捧げることを喜ばれます。
今までどのような失敗があったとしてもそれを心配せずただ主の恵みだけをしたい求めましょう。自分にはできないと思えることでも、主の恵みで行いましょう。

カインのような捧げ物をしないで下さい。カインは農業をして農作物を作りましたが、アベルは羊飼いで売って生計を立てなければなりませんでした。アベルは最も良いものを主に捧げようとしました。教会に長く通って何を得ようとしているのでしょうか。地位なのか、様々な人間関係なのか。自分の利益のために主を利用しないで下さい。教会は神様の垂直の関係と人間の水平な関係が出会うところです。
私たちはキュロスより恵みが劣るものではありません。大きな未来が約束されたものであります。私は何もできないといって小さな心でのぞむならば、それは主を辱めることになります。
今月主のために何をすべきか目標を定めて下さい。どのような人になるべきかは限りがありません。信仰が長くなるとToBeばかりを考えToDoをおろそかにする傾向があります。キュロス王より多くの恵みを受けているにもかかわらずキュロスより多くを成していないことを悔い改めましょう。キュロスは現在の価値に換算して500億円の費用を国庫より出しました。

2013年6月2日日曜日

迫害の中でも勝利できる信仰の秘訣

■2013/06/02
■ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
■タイトル:迫害の中でも勝利できる信仰の秘訣
        ペトロの手紙講解10
■聖書箇所:ペテロⅠ3:13−17

★メッセージ

キリスト教は平和の宗教です。自分の心で信じれば良いのですが、人々はキリスト教をばかにしたり批判したりします。あるばあいはひどい迫害を加えたりします。どうしてでしょうか。キリスト教は生きている宗教だからです。人々はそれぞれ自分なりの信仰を持って生きていますが、それに対して間違っておりイエスキリストだけが唯一の神だと教えるので反発するのです。もちろん、世の中の指導者たちも尊敬はしますが、救い主はただイエスキリストだけだと教えます。

第一に、クリスチャンは神の人です。
12節 主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。13節 善いことに熱心であるなら誰が危害を加えるでしょう。
主イエスキリストは我々の祈りを喜ばれ耳を傾けられます。ときに私たちが祈れないときは、うめきをもってとりなして下さいます。
ローマ8:31-34 主イエスキリストはすべての物を賜り私たちのためにとりなしてくださるのです。この箇所を読む時感動と涙なしでは読むことができません。私は何も変わっていないのに主がすべてを下さるのです。
マタイ10:16- あなたがたを遣わす。裁判にかけられるが心配してはならない、聖霊が語ってくださる。
迫害する人々を恐れずに自分の信じている主イエスキリストを説き明かしなさい。
神様が私たちを愛するのは、まるでおじいちゃんが孫を愛するかのように、あまりにも可愛くてたまりません。誰もおそれずいつもニコニコして感謝と喜びを表しましょう。
御言葉通りに行なう決心をしましょう。そに決心が三日坊主であるなら、また三日経ったらまた決心しましょう。
12:20 善をもって悪に立ち向かいましょう。