2013年11月29日金曜日

太陽を止めた神様

◼2013/11/29
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:ヨシュア10:12−15

★メッセージ

太陽が動きを止め時間が止まったというのがこの箇所の話です。主はイスラエルの民のためどれほど御業を示しているでしょうか。聖書は恵みの宝庫であります。
この箇所について科学的に理解できないという人たちがいますが、むしろ科学的に解き明かすことができます。コンピュータにより計算した結果、この日ちょうど失われた時間があることが判明しました。
神秘主義に陥ってはいけませんが、この世に確かに主の神秘はあります。マリアも処女として子供を授かりました。アラムの軍隊が自分たちで殺しあって自滅したように、ヨハン教会関連でも、かつて牧師先生を攻撃した人々が自ら自滅してしまいました。
太陽をも止めることができる主であるならば、魂の心を開いてくださることを信じましょう。

2013年11月28日木曜日

主の軍の将軍として来られたイエスキリスト

◼2013/11/28
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ヨシュア5:13−15

★メッセージ

ギルガルは主による贖いを意味しクリスチャンそのものであります。イスラエルの民は恵みでヨルダン川を渡りました。すべての悩み苦しみ、思い起こしたくないことをすべて清めてくださる、それがギルガルです。感謝の意を表しましょう。
そのようにヨルダン川を渡った直後、抜き身の剣を手にした男が立っていました。ヨシュアは「あなたは味方か敵か」と質問します。これは私たちの考え方の特徴を表しています。あなたは私にとって有益か無益か、味方か敵か。
この男は、味方か敵か言わずに主の軍の将軍であると答えます。主イエスキリストは受肉する前に少なくとも6回地上に来られています。おそらくこの男は主ご自身である可能性が高いです。わたしはあなたの味方になりうる者でありそうなりたいが、そうならないケースもあります。わたしはあなたの味方にも敵にもなりうるということです。人が主に従えば主は味方であるし、人が主に逆らえば主は敵になります。
履物を脱げとは、今までの自分の価値観を捨てなさいということです。
アブラハム・リンカーンは、我々が主の味方になれるように導いて下さいという祈りをしました。主が私の味方となりどこでも導いてくださるように願うのも良いですが、しかし、むしろ、私が主の御旨を悟り主の想いを行う者にならせていただくように祈りましょう。
スティーブ・ジョブスは「人間は誰であっても天才的な素質を持って生まれた」と言いました。それなのにどうしてそれを使わず平凡なアイデアしか考えないのかと言いました。

2013年11月27日水曜日

祈らない罪

◼2013/11/27
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ヨシュア9:1−15

★メッセージ

イスラエルの民がエリコの城壁を崩し占領した事件を聞いてカナン部族は心が溶けるような怖さを覚えました。ギブオン人は戦っても勝ち目がないと思い賢く振る舞いました。彼らは協定を結ぶことを願いイスラエルはそれをなんとなく受け入れてしまいました。それが将来、イスラエル民族にとってとげのように厄介なものになります。クリスチャンは霊的に満たされようとするときサタンの攻撃が必ずあります。
当時のカナン族は非常に例的に堕落していました。動物と性的関連を持ったり戦争に勝つために自分たちの子供を火の中に投げて捧げたりしました。このような悪に染まった民族を完全に滅ぼそうと主は計画されました。
ところがギブオン人は完全に偽装して近づいてきました。これはサタンの騙し方と似ています。サタンは光の天使を装ってくるものであり完全に偽装してきます。光、天使、それぞれだけでも良いイメージなのに、両方を合わせもっているかのようにやってくるのです。
目に見えるものだけで判断しないように霊的な目を養いましょう。一番目として目に気をつけなければいけません。

8節 ギブオン人は自分たちはイスラエルの僕だと表現しました。ごますりにイスラエルの民族は完全に心が奪われてしまいました。二番目として耳に気をつけなければいけません。人間はたとえごますりとわかっていても言われると有頂天になってしまうところがあります。会社でもリーダーはごますりか本当かどうか見極めないといけません。異端は人間関係を通して侵入してきます。

三番目にイスラエルの民が祈らずに決めたことが最も大きな問題です。エリコとアイの戦いにおいてヨシュアはあれほど主により頼んできたにもかかわらず、ここでは全く祈らずにギブオン人の提案を受け入れてしまいました。どんな小さなことでも祈ることが大切です。祈らないことが罪です。パウロの勝利の秘訣は前の成功をすぐに忘れ次の戦いのために備えたことです。我々が伝道において素晴らしい主の御業があったとしてもそれはおいておき、次の働きのために備えましょう。

2013年11月24日日曜日

信仰の成熟を努めよう

◼2013/11/24
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:ペテロ二1:5−11
◼タイトル:信仰の成熟を努めよう
        ペテロの手紙講解18

★メッセージ

1.信仰の品性を成熟させましょう
信仰の問題は内側の成熟にかかっています。ローマ帝国は外側からの攻撃により滅亡されたのではなく内部の堕落が原因でした。
エフェソ2:8−10、ヘブライ語11:1
5節 信仰には徳を、徳はギリシャ語ではアレイであり、キリストの品性に近づこうとするときその人に現れてくるキリストの品性を徳といいます。クリスチャンは小さなイエスキリストのような品性を備えましょう。次の知識はギリシャ語ではグノーシスといいますが、一般的な知識から神様の御言葉の知識まで含んだ知識をいいます。
ホセア6:3 われわれは主を知ろう。堕落した民たちに主を知るようにホセアが命じています。
クリスチャンになって御言葉が確かなものであるか生活の中で確かめながら確信に至っていくものです。
知識には節制をと書かれますが、知識がある人は通常高慢になりやすく罪に陥りやすいのです。ガラテヤの信徒への手紙に記載された聖霊による9つの実の一番最後が節制です。ある聖書学者は節制が最も価値ある聖霊の実であると考えています。
信仰生活には必ず忍耐が要求されます。歴史をみるとクリスチャンはあらゆる形を通して迫害を受けてきました。どんな迫害にあってもただイエスキリストを主としてより頼み少しもぶれないことが忍耐であります。
信心とはホーリネスであり、これらすべてを忠実に心に止め信仰生活を行う敬虔さです。
兄弟愛とはフィラデルフィアであり、信仰によって家族となった兄弟姉妹同士でよく励まし合い助け合うことです。ペテロ一3:8
最後の愛とはアガペーの愛です。これはイエスキリストしかできない愛でありますが、キリストの似姿に近づくことによって私たちも実践することができます。

8節 主イエスキリストを知れば知るほどますます内側が潤され豊かになり、信仰の器が大きくなり高くなります。
9節 しかし、キリストの御言葉に従わない者は間違いを犯しやすいです。
10節 少しも無理をしてでも信仰生活を正しくするよう努めましょう。そうしないと、罪に陥り自分で自分を苦しめる結果になってしまいかねません。

2013年11月21日木曜日

エリコの戦いの中に学ぶべき教訓

◼2013/11/21
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ヨシュア6:8−27

★メッセージ

エリコの 戦いは単なる戦いではなく、主が選ばれた民が約束された地を占領していく過程であります。あなたたちの戦いはあなたたちのものではなく私、主が導くものであるというのが本編の趣旨です。あなたたちの人生の主人はあなたではなく主であるから主に任せなさいという意味です。
私たちの考えより主のほうがより遠くを見ることができます。人は皆自分は明日も生きていけると思っているかもしれませんが、実際明日どうなるかはわかりません。2年前の震災であれほど大きな津波が襲ってくると思った人はほとんどいなかったでしょう。それで逃げなかった人は津波に飲み込まれてしまいました。
主は私たちの人生のすべてをご存知です。私たちが弱い時も良い時も主は私の歩みをご存知です。その主に私のすべてを委ねるような体質にならなければいけません。私の力でできるなら主は必要ありません。私は何も持っていません、主よ恵んで下さい、そういう心で主に委ねます。

エリコの戦いの中に私たちが学ぶべき教訓があります。
10節 まず黙って主の言葉を聞かなければいけません。主の言葉を聞かない人は自分勝手にしゃべってしまいます。メッセンジャーは聖書を解き明かすために何時間も黙想しますが全く深い意味がわからないときもあります。その時は主の前にひれ伏しただ悔い改めの祈りが続きます。そのようにして夜を明かすとき、御言葉の深い意味を主が語って下さいます。
私たちは自分が偉すぎる、自分自身が大きすぎるのです。自分の人生の王座にいつのまにか自分が座っているのです。これを悔い改めて主に譲り渡すだけで大きな祝福を受けることができるでしょう。
ゴスペルシンガーのDunnykさんは高校生のとき父親が三十億ウォンの借金を負い極貧の中で過ごしました。ホルモン異常からか顔を5cmほどもある袋のような突起物が覆いみんなから怪物と馬鹿にされました。ある時は自分でその顔を切り自殺したいと思ったこともあります。その彼を救い今のシンガーである彼にしたのは、まさにイエスキリストの愛です。

人の計画の立て方には三つのパターンがあります。一つは、自分で計画を立てて自分自身で行う人、二つ目は自分で計画を立てて主に任せて行う人、三番目は主の御旨を覚えながら計画を立てて主に任せて行う人、このうち最も用いられる人は三番目の人であると、中国宣教で5000個の教会を建てた偉大な宣教師であるハドソン・テーラーは述べています。
一番重要な祈りは黙って聞く祈りです。主の御心を深く聞こうとするときに私の考えをおろし主から教えられることができます。言うことよりまず聞くことに集中してみて下さい。

12節 次に主の名を呼びます。民はラッパを響き鳴らしながら歩きましたが、これは主の名を呼び求めることです。神様がなさることを心から呼び求めることです。民らは7日間エリコの周囲を回り、最後の日は7回回りました。聖書の中で7という数字は完全を意味します。7回回ったことは完全な従順を指します。

2013年11月20日水曜日

神様が私たちの戦いの総司令官

◼2013/11/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ヨシュア5:13−6:7

★メッセージ

割礼とは古いものを脱ぎ去り新しいものになることを意味します。主の者に生まれ変わることを意味します。表面的な割礼ではなく心の割礼を受ける必要があります。心が生まれ変わる者になりましょう。
割礼を受けた男性は通常一週間動けませんでした。カナンの地は未知の場所であり戦えないという状況は非常に厳しいものでしたが、ヨシュアは神様が導くままに従いました。
抜き身の剣を手にした男が立っていました。まさに戦闘体制にある形で緊張が走る場面です。ヨシュアが警戒して近づいたところ、神様の軍隊の司令官であることがわかりました。天使なのか人なのかは区別がつきません。他の箇所にも出現しますが、神様に仕える僕として描かれています。
ヨシュアがひれ伏したとのことであり、天使ではないことがわかります。天使はひれ伏されたら、すぐに私ではなく神様を拝みなさいと断ります。天使は自分に栄光が帰されることを望まないからです。しかし、ここでは主の軍の将軍は断りませんでしたので、旧約聖書におけるイエスキリストご自身であると考えられます。
神様が司令官であるならば誰も立ち向かうことができません。神様が私たちの戦いの総司令官であることを認識して下さい。世界中のすべての戦いを主が導かれます。
神様が私たちを用いられるとき、能力があるから賜物があるから用いるのではありません。ただ一つの条件とは、イエスキリストに従順することです。神様は才能ある者を用いるのではなく、ただイエスキリストに似た者を用います。神様の御手に握りしめられた陶工は必ず強力な武器となります。

2013年11月17日日曜日

感謝は信仰成熟の尺度である

◼2013/11/17
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:コロサイ3:12−17
◼タイトル:感謝は信仰成熟の尺度である

★メッセージ

聖書でいう平和とは信仰告白によるシャロームです。主との関わりの中で全く問題ない平衡、それをいつも感謝する平安、そしてそれをすべての人々に伝えて神の国を実現する平和、これら三つがシャロームの要素です。

人類最初の礼拝は収穫感謝礼拝でした。創世記4章には、アベルが肥えた羊の初子を捧げたこと、カインが農産物を捧げたことが書かれています。主はアベルの捧げものを受け取り、カインの捧げ物は受け取りませんでした。まずは、捧げる人の心が問題です。日々、主の御言葉を守り従い清い生活を送っていたかどうか。アベルはすべての羊の中から最も良い羊を選んで捧げましたが、カインは形式的にやればいいと思い虫が食ったような良くない農作物を捧げました。

1. 感謝は信仰の成熟度を語ります
罪の結果は癒されない精神的な病に陥ります。罪に陥った人々には同性愛があります。アメリカでは急速に同性愛者が増えていますが、平均寿命は45歳くらいと言われています。すぐにパートナーを変えてしまう人が多いという研究結果もあります。
仕事があることに感謝しましょう。現代は仕事がない人や、会社で追い出し部屋で追いつめられている人々もたくさんいます。
感謝する人々は周囲の人々をよく観察し長所、短所を把握しており変化があるとすぐにわかります。良い変化があれば共に喜びます 。
詩編103:1 わたしの魂よ主をたたえよ。
あふれるばかりに主に感謝する。先進国で最も使われる言葉は感謝ですが、開発途上国では感謝の言葉が少ないです。
16節 感謝して心から神をほめたたえなさい

2. 感謝は恵みを忘れないことです。
らい病を癒していただいた10人のうち9人のユダヤ人はそのまま行ってしまいましたが、1人のサマリア人は戻ってきて感謝しました。

3. 感謝は信仰告白を基に奇跡をなす力です
感謝thankと考えthinkの語源は一緒の意味です。何を考えるにしても感謝しましょう

4. 感謝は幸せと豊かさの秘訣
感謝は逆境を豊かさに作り変えて下さる神秘の薬です。
スポルジョン 不幸なときに感謝すると不幸はそこで終わり、うまくいっている時に感謝するとますますうまくいくようになります。

2013年11月10日日曜日

蜜よりも甘い御言葉

◼2013/11/10
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:詩篇119:97−104
◼タイトル:蜜よりも甘い御言葉

★メッセージ

本文は御言葉に触れることのこのうえない喜びと楽しさを表現しています。まるで恋人と過ごす時間のように、子供がゲームをして楽しむ時のように、神様の御言葉を楽しんでいます。
16節 わたしはあなたの掟を楽しみとし御言葉を決して忘れません。
ヨハン教会の皆さんも御言葉を愛し楽しんで下さい。

この世の中の愛はゼロサムゲームであります。誰かを愛すれば別の誰かへの愛が薄くなります。二人の恋人を同じように愛することはできません。この世の愛は干渉しあう愛です。しかし、聖書の神様の愛はそのようなものでなく、永遠であり平等の愛です。
132節 御顔をわたしに向け憐れんで下さい、御名を愛する者への裁きに従って

ダビデは暇だったから御言葉に触れようとしたのではありません。王であったのでいろいろな事案があり愛に来る人々や内政や外交などで非常に忙しかったでしょう。絶え間無く昼も夜も忙しく仕事をしている間にも神様の御言葉を覚えて口ずさみましょう。
98節 あなたの戒めはわたしを敵よりも知恵ある者とします
御言葉を読むならばわたしたちに知恵が与えられます。ルカ10:21、知恵は学者や身分の高い者ではなく幼子のようなものに与えられました。自分自身の知恵よりも主の知恵の方がはるかに多いことを覚えましょう。インターネットや書籍などから情報を得たことで自分があたかも何でも知っているかのように高慢になっていないでしょうか。それよりも真実で力ある主の御言葉を頼りましょう。私たちの経験、考えではなく、聖霊によって神様の力をいただいて下さい。

御言葉を愛するダビデはその愛の程度を述べています。
103節 あなたの仰せを味わえばわたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。
食べ物の美味しさは食べてみないとわかりません。映像や言葉では伝えられません。自分で味わってみないことにはわかりません。神様の御言葉の美味しさ、甘さは聖霊様の恵みで味わってみて下さい。時には苦いことがありますが、それは私たちの罪性に対する霊的な薬でもあります。苦さの後での甘さはさらに引き立ちます。
神様の御言葉は私たちの感覚、本能さえも変えます。私たちの考えだけでなく行いと言葉を変え、人々がそれらはどこから出たものなのかと驚くようになります。

2013年11月9日土曜日

運命論ではなく聖霊の力によって

◼2013/11/09
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:使徒言行録3:1−10

★メッセージ

神殿の門の前で物乞いをしていた乞食は、おそらく運命論者であり、私はこのような環境に生まれたから仕方ない、このまま一生物乞いをして生きていくしかないと考えていたかもしれません。しかし、クリスチャンはそうではなくどんな環境であっても主に希望をおいて歩むものです。
この乞食はペトロとヨハネが通りかかったとき、ただお金を欲しくて私に何をくれるんだろうという思いで話しかけました。私たちも目の前にあるものだけ追求していて今日誰かから何をもらえるだろうかとばかり考えていることはないでしょうか。
フィリピンに視察に出かけたとき貧しい子供たちを助け福音を伝える宣教師に出会いました。子供たちのところに行く時に、絶対にお金やものを渡さないように注意を受けました。ところが、ある人がどうしても子供が可哀想になり自分の腕時計をとって渡してしまいました。それがばれてその宣教師からひどく叱られました。この子供の人生をダメにするのかと。自分が貧しい姿を見せてただ人からお金やものをもらう体質になってしまったら将来の成長はないということです。彼らは自らの人生を切り開いていく力を身につけなければいけないのです。
ペトロとヨハネは乞食に対して「金や銀はないが持っているものをあげよう」といいました。それは永遠の命、救いに至る福音でした。目の前の必要を満たすものではなく、真の救いを与えようとしたのです。ペトロは自分の力で与えたのはなく、イエスキリストの名によって、立ち上がり歩きなさいと命じました。聖霊の力によって乞食は立ち上がり変わりました。
ペトロ自身もかつてイエスキリストを三度知らないと否認したものでしたが、聖霊の力によって完全に生まれ変わり、福音を伝えて殉教するまでに至りました。

2013年11月4日月曜日

真実があるところに偽りもあり

◼2013/11/04
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ペトロ二2:10−21

★メッセージ

真実があるところには必ずうそも伴います。ペトロの手紙では、偽預言者たちに気をつけるように指摘しています。偽預言者たちはイエスキリストについて、自分が信じたい部分だけ信じて信じたくない部分は信じませんでした。自分の必要を満たすために信じようとしました。自分の利益のためにイエスキリストを利用しようとしました。自分が従いたい分だけ従い好きなところだけ信じます。これが偽預言者たちの特徴です。
しかしイエスキリストは私たちの主です。イエスキリストのありのままを認め従いましょう。イエスキリストは唯一の誠の神様であり、死と戦って勝った方であります。再び戻って来られる方です。この世が始まるときからイエス様はおられました。この世界はイエス様によりイエス様のために作られました。
イエスキリストは必ず戻って来られます。おそれおののきながらイエス様が戻ってくるのを期待し待ちましょう。イエスキリストは私たちのすべてを愛しておられます。私たちは罪ある存在ですが、イエス様は私たちを決して見捨てることはなく体も心も救って愛して下さいます。ですから、クリスチャンは禁欲主義にも快楽主義にも陥りません。ただ、イエスキリストに従がって歩むものです。
イエス様を苦しめた律法学者たちは禁欲主義者たちでした。守ることが厳しい規律を人々に要求し、それが守れないと裁きました。一方、使徒パウロを苦しめたのは快楽主義者たちでした。自分たちの人生を自由にする権利があると主張し欲望どおりに生きようとしました。そして、たくさんの罪に溺れました。自由のようでありながら実は快楽の奴隷になってしまいます。タバコや酒のように好きで始めたことがやがてそこから離れなくなり奴隷となってしまうのです。
罪を知る必要はありますが罪を研究してさらに知る必要はありません。むしろ、イエスキリストをもっと研究して知って下さい。24時間、イエス様だけを考えてイエス様に集中しましょう。