2013年12月31日火曜日

クリスチャン青年の生き方

◼2013/12/31
◼特別講義4
◼タイトル:クリスチャン青年の生き方

★メッセージ

我々をクリスチャンとして立てて下さったのは、それぞれ、聖書日本、聖書韓国、聖書中国となるためですから、自分の国を愛さなければいけません。自分の国の利益ばかり願うのではなく、日中韓の平安を願うPeaceMakerにならなければなりません。指導者のために祈らなければ神様に不従順していることと同じです。なぜ神様にとって日中韓が大切な国なのか
イザヤ書19:23ー25 イスラエルとエジプトとアッシリアは関係が悪かった国ですが、主がこれらの国を一つにしました。日本、中国、韓国は互いに力を合わせて正しく国を導かなければいけません。もし各国が仲互いするならそれに反対してデモを起こさなければいけません。三国の平和のために私が何をすれば良いか主に聞いてみて下さい。
会社生活や勉学生活の中でどうやっていつも主を崇めれば良いのでしょうか?目が覚めるときにはいつも三位一体の神様を崇めるようにならなければなりません。
Radicalとは急進的なという意味ですが、その語源Radは根っこという意味であり、最も基礎に忠実に従うクリスチャンが主の急進的な弟子となりうるということです。スマートフォンやテレビに触れる時間よりも神様といる時間をもっと増やさなければいけません。たくさんの働きをするのではなくもっと主と深く交わることが大切です。

クリスチャン青年のビジョン

◼2013/12/31
◼特別講義3
◼タイトル:クリスチャン青年のビジョン

★メッセージ

ローマ14:17 神の国は飲み食いではなく聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。
神に対するビジョンがなければ個人個人も弱くなり教会も弱くなります。箴言ではビジョンがなければ民が滅びると言っています。個人の問題ばかりにとらわれすぎると教会が弱くなります。
最も重要なのは正義です。平和を立てることではなくまず正義を求めることが平和に結びつきます。サタンに治められていると人間性も発揮することはできません。主はイエス様を送られサタンの統治を破壊されました。すでに神の御国が臨んでいるのですが、なぜ平和がないのでしょうか?なぜ罪に満ちているのでしょうか?私たちはすでにといまだにの間の緊張感に生きています。
クリスチャンはすでに神の国の平和の中にいますが、一方で、霊的な激しい戦いの中での疲れもあります。そのときは霊的に再生されて戦わなければいけません。これは必ず勝つ戦いです。
家庭を豊かにして下さい。日中韓ではあまり主に喜ばれる家庭とはいえません。どのようにしたらより経済的に豊かになるかばかり考えており地獄のようなところもあります。キリストの平安が家庭に満ち溢れるように期待しましょう。主は特別な計画を持って日中韓のそれぞれの国を作られました。自分の国を良く愛さなければいけません。ただ、他の国に危害を与えてまで自国を愛することはいけません。

経済的な利益を追求する国は神の国ではありません。正義を追求する国が神の御国です。
アジアではお金や物質の価値観が基礎となっていますが、ヨーロッパでは聖書的な価値観が基礎となっています。さらに、宗教改革を体験した地域とそうでない地域とでは違いがあります。それはサッカーの試合の方法にも違いが現れます。イギリスではフェアプレーを第一としますが、イタリアではタックルが多く相手をだます試合が多いです。
聖書的な国は知恵と知識がある国です。多くの国において指導者たちに知恵と知識が足りなくて滅びてしまいました。
聖書的な国家は祈りが答えられる国です。そして、正義と秩序の上に立てられた国です。神の国の人はどこに行っても閉ざされた扉を開くキーパーソンとならなければいけません。
神様に身を捧げないことによる恥ずかしさを覚えて下さい。
クリスチャンが果たすべき責任は個人的にも共同体としても世界宣教です。神様の宣教の対象は個人および国家です。霊的な部分だけでなく肉体的な部分も神様の対象です。

ダビデの信仰の祈り

◼2013/12/31
◼断食祈祷会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:詩篇28:1−9

★メッセージ

自分の子供に王位と命を追いかけられているダビデの祈りでありひどく大変な状況です。自分が産んだ子供に狙われることがどれほどつらいことでしょうか。絶体絶命の状況でありますが、たいていは怒りがこみあがってきてその感情で支配されて、ただ嘆き怒り暴言を吐いて、さらに悪いことには周囲の人々に当たりながら解決しようとします
ダビデは感情的ではなく信仰的に解決しようとします。主からの救いを求めて叫び求めます。至聖所に向かって手をあげて祈ります。ヨハン教会の信徒たちも、大変なことがあるときに教会に来て講壇で祈る人がいます。
人に何度も相談したらしつこいために嫌がられることもありますが、主は何度叫んでも聞いて下さいます。痛いところには手を置いて祈って下さい。それは主の手だと信じて祈って下さい。
最後は感謝で祈りを閉じます。まだ問題は解決されていませんが信仰で祈りに答えて下さったと信じて感謝して祈ります。

聖霊の力

◼2013/12/31
◼聖会3
◼聖書箇所:使徒言行録1:4−8、2:1−4

★メッセージ

心の病で最も大きいものは人を赦せないことです。
ダニエルやエリヤに降った聖霊は私たちに降った聖霊と同じですが、なぜその働きが異なるでしょうか?ダニエルのようにすべて正しく生きたでしょうか?パウロのようにすべて妥協しないで主のために生きたでしょうか?私たちの心の動機の問題です。
証人は殉教者の代名詞です。イエス様に栄光を帰すために行きます。与えられる富や祝福は結果であって目的ではありません。聖霊に9つの実は聖霊の判断によって下さいます。聖霊の力によらないものは騒がしいだけです。
聖霊の力をいただくにはどうすればよいでしょうか?第一に聖霊を誤解してはいけません。第二に告白しなかった罪があってはなりません。聖霊の最も嫌われるのが性的な堕落です。

2013年12月29日日曜日

ダニエルと三人の友人の信仰

◼2013/12/29
◼聖会1
◼聖書箇所:ダニエル9:3−23

★メッセージ

ダニエルは小さなことから徹底的に御言葉を守る人物でした。
バビロンのネブカドネツァル王は優秀な少年を集めてエリート教育をしていました。ダニエルと三人の友人の信仰の基準は非常に高いものでした。他にもユダから来た少年がいたと思いますが、バビロン王国の子供たちをもっと優遇したでしょう。王は自分がとる食事を少年にも食べさせようとしました。しかし、ダニエルたちは異国の神に捧げられ食べ物としてそれを食べないと決心しました。三日坊主ではありません、確実な決断です。
能力が高い人はそれを悪用して弁明して自分の利益を目指す人が多いですが、ダニエルと友人たちは主のためにその賜物を用いました。キリスト教は道徳・倫理ではなく、人生の歩みそのものです。
キリスト教は主との関係の内容です。

悔い改め、赦し、感謝で締めくくりましょう

◼2013/12/29
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:コロサイ3:5−17
◼タイトル:悔い改め、赦し、感謝で締めくくりましょう

★メッセージ

30倍、60倍、100倍、1000倍の祝福があるように期待しましょう。1000倍という言葉は聖書に6回登場します。

1.残さず悔い改めましょう。
コロサイ3:5 みだらな行い→性的なみだらな行いだけに限らず悪い友達との交流など霊的な悪い行いも含まれます。偶像礼拝は主が最も忌み嫌われるものです。3:8 口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。クリスチャンが犯す罪で最も多いものは口で犯す罪です。口は天使もうらやむほどの福音を伝える素晴らしい器官ですが、一方で人をあざけったり主を冒涜したりの罪も犯しえます。
イザヤ59:1−2 主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのではない。むしろお前たちの悪が神とお前たちとの間を隔てお前たちの罪が神の御顔を隠させ
ルカ3:8 悔い改めにふさわしい実を結べ。悔い改めとは実を結ぶまで徹底的に悔い改めて行うものです。3:9 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる

2.残さず赦して新年を迎えましょう
3:12−13 互いに、責めるべきことがあっても赦し合いなさい。
99%赦したが1%赦さないということがないようにしましょう。特に親兄弟や親戚が赦せないことが多いです。いつも険しい顔の人は喜ばれません。赦す人はみな美男美女となります。
自分自身も赦し認めましょう。祈る時も赦さなければ答えられません。マルコ11:25 誰かに対して恨みに思うことがあれば赦しなさい。
そうすれば主が赦して下さいます。
赦す者には主が幾千代にも及ぶ祝福を与えてくださいますが、赦さない者には3代、4代までも呪われます。

3.すべてを主の中で感謝し、締めくくりましょう
シャロームはすべてが主の中で赦され清められ平安の中で感謝にあふれることです。
3:15−17 いつも感謝していなさい
コロサイ2:6−7 教えられたとおりの信仰を守ってあふれるばかりに感謝しなさい

2013年12月23日月曜日

一つも罪がないイエス様

◼2013/12/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:サムエル記下7:8−17、ルカ1:26−38

★メッセージ

ダビデは主に大きく祝福されましたが、その後、イスラエルとユダに分裂しました。ユダはダビデ家は永遠に続くとおごり高ぶりましたが、結局バビロンに滅ぼされました。それから長い間が経ち、ダビデ家の家系であるヨセフを通して、救いの御子イエスキリストが生まれます。当時のダビデ家の末裔には王朝の面影はなく貧しく名もない存在であり、ナザレから大いなるものが出るだろうかと言われていたくらいでした。しかし、主は約束を必ず果たされる方であり、どんな貧しく厳しい状況からも導かれ勝利を与えられます。
イエス様は弟子たちと生活を共にしながら弟子たちに教えられました。弟子たちと親密な関係になりながらも、弟子からは一つも罪を指摘されませんでした。完全に罪がないお方だったからです。表面的な関係であれば気になりませんが、通常、関係が深くなればなるほど相手の欠点が見えてきます。私たちは自分の目の中の丸太に気づかず相手の目のおがくずを指摘しまうような罪人であります。しかし、イエス様は一つも罪がなく弟子たちにしめされました。

2013年12月22日日曜日

主に栄光、地には平和!

◼2013/12/22
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:ルカ2:1−20
◼タイトル:主に栄光、地には平和!

★メッセージ

イエスキリストの生誕の正確な日はわかっておりませんが、AD300年ごろ全世界のリーダーたちが集まって、クリスマスを12月25日にしましょうと決定されました。

1.イエス様の誕生は歴史的な事実です
イスラエル地域では当時確かに人口調査が行われました。自分の生まれた場所に戻り住民登録をしなければなりませんでした。ヨセフの故郷はベツレヘムでありベツレヘムに戻ります。ダビデの故郷はベツレヘムでありダビデの直系であるヨセフもベツレヘムで登録します。イエスキリストはダビデの子孫から生まれるという預言は旧約聖書に多くあります。
馬小屋の飼い葉桶でイエス様が生まれたというのは、最も貧しく最も身分が低い形で生まれたということです。どんなに貧しい人も身分の低い人もイエス様の誕生よりは恵まれており弁解できないのです。神が人になられて飼い葉桶に寝ている、これが神様の神秘です。
聖書の登場人物の中で成功した人々はたいてい朝から活動した人たちでした。夜が強いが朝はダメという人はたいてい堕落した人々です。

2013年12月19日木曜日

カレブの信仰を見習い本質的に変わる

◼2013/12/19
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ヨシュア14:1−15

★メッセージ

本質的に心の底から変わらない限り年が変わっても同じ生活を繰り返します。2013が2014に変わるだけです。
枝切りをしなければいけません。先週のメッセージから一週間経ちますが、何か切り捨てた枝はあるでしょうか?御言葉を聞いても枝を切り落とさずに変わらなければ意味がないことになります。人には習慣的な罪があります。深く根をおろし縛り付けています。
年末のメッセージにふさわしい人物がいます。カレブはこのとき85歳でした。通常の85歳ならばもはや力がなく夢もあきらめてのんびりと暮らすものです。しかしカレブはその年にしてなお燃えていました。今年できなかったからできなかったでいいやではなく、来年こそやろうという意気込みを持って臨んでいくならば祝福されます。
カレブは決して一つも劣るものではありませんでしたが、モーセはヨシュアを後継者として立てました。ここで人は同僚が上に立てられたら葛藤しもがいたりするものですが、カレブはそんなことはまったく気にもとめませんでした。45年前の神様からの約束を覚えていたからです。必ずへブロンの地をカレブに与えるという約束でした。へブロンの地は最も強い民族であるアナク人が住んでいた場所ですが、カレブは私に侵略させて下さいと力強く願います。状況や環境が良くないからといって決してひるみません。
12節 主が私と共にいてくださるなら必ず与えられると確信しています。
主にかなわないなら何をやっても無駄であります。どんなに一生懸命に働いても主の御心にかなわなければすべてなくなってしまいます。一年間、一生懸命やったのに結果がなかったのはなぜでしょうか?主に喜ばれなかったものがあるか振り返り悔い改めて下さい。主の名によって始めたのに結局主の心にかなわないことは最も怖いことです。

2013年12月15日日曜日

割礼および清めの期間とシメオンの賛歌

◼2013/12/15
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:ルカ2:21−33
◼タイトル:割礼および清めの期間とシメオンの賛歌

★メッセージ

第一にイエスキリストはすべての律法を守られました。ルカ2:21-24 割礼および清めの期間を、イエスキリストも律法どおり受けました。男の子は生後8日目に割礼を受け、生後33日目に聖殿で清めの儀式を行います。女の子は生後66日目に清めの儀式を行います。
イエスキリストは律法を一つも守る必要がない方でした。イエスキリストは完全であり一つも罪がなくまったく律法にしばられる必要はありませんでしたが、律法を忠実に守られたのです。私たちは生まれながら罪人であり本来主とは交わることのできない存在ではありますが、それゆえに主はすべての律法を受けることで私たちの側に来られました。
山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽を捧げるためと書かれていますが、ヨセフとマリアは相当に貧しい家庭であったと考えられます。イエスキリストは私たちのためにそこまで貧しくなられたのです。
マタイ5:19 律法の一つでも守らないように教える者は天の国で最も小さいものであるが、一つでも守るように教える者は天の国で最も大きいものです。

シメオンは祖国イスラエルが慰められるのを待ち望んでいました。イスラエルは約430年間、霊的な暗闇の中におり世の中は戦争の連続でした。ローマをはじめその時代の為政者から支配され苦しめられました。各国から侵略され奪われるという歴史の連続でした。
聖霊に満たされている人は自分の祖国を真に愛することができます。クリスチャンだけが真の愛国者です。そうでない人は結局は自分の利益のために国の発展を願っているだけであり、自分の利益と相反すれば愛を失います。
第一コリント2:10−12 聖霊は一切のことを神の深みさえも極めます。聖霊によって神から恵みとして与えられたものを知るようになりました。
約束されたただ一つしかありません。神の御子イエスキリストが受肉して来られました。我々はすでに救われいつ主が再臨されても大丈夫ですが、シメオンのようにこの世に残されているのは、天使をうらやむほどの働き、すなわち一人の魂を救うための伝道に用いられるためです。シメオンが天の御国から我々を見る時、おそらくものすごく羨ましく思っていることでしょう。

万人のために整えて下さった救い、異邦人を照らす啓示の光、イスラエルの民の誉れです。
日本は福音化が遅れていると言われていますが、ヨハン教会の信徒である我々は、これから主が一気に成し遂げてくださると信じましょう。
35節 あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。

2013年12月12日木曜日

実を結ぶ信仰生活

◼2013/12/12
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ヨハネ15:1−10

★メッセージ

毎年12月になると私はこの一年間どのように信仰生活を送ってきたのか振り返る時になります。年始の祈祷会で祈ったわけですが、なかなかうまくいかなかったこともあります。実りがない理由はなぜでしょうか。ビジョンが明確でない可能性があります。
主は私たちは地の塩、世の光だとはっきりと示してくださいました。あなたがたの行いを見てあなたがたの天の父をあがめられるようになるためであると。職場、学校、家庭において主を示す生活をしなさいとおっしゃいます。それにもかかわらず、私たちの信仰にあいまいなところがないでしょうか。
答えは単純です。答えは常に基本的なところにあります。信仰とは主につながることです。生活のすべての領域において主につながっているならば必ず豊かな実を結ばせてくださると信じます。何を祈れば良いか何を行えば良いか聖霊様が豊かに示してくださいますので、聖霊の満たしが最も重要なことです。
私たちを罪に結びつけている枝があるならばそれを切れば生きることができます。枝切りをしなければ実を結ぶことができません。テモテニ2:3−4 キリストイエスの兵士は兵役に集中しようとします。私たちを絞り上げているこの世の罪から自由になりイエスキリストに関心を集中する必要があります。
ぞうきんを絞って放置すると乾いてこちこちになります。霊的にも乾いてはいないでしょうか。お金、職場での地位、豊かさではなく、霊的な満たし、シンプルライフを求めましょう。
ぶどうの木の特徴は支えが必要であり支えに寄り添って枝が延びていきます。ぶどうの木は決して建築材料にはなりません。ぶどうの木は価値はただその実を結ぶことにあります。よく実を結んだぶどうは、水々しいぶどうにも、干しぶどうにも、ぶどう酒やワインにもなります。

2013年12月11日水曜日

主の計画を信じましょう

◼2013/12/11
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ヨシュア18:1−10

★メッセージ

残された7部族の生活に対しては主が計画を持っておられます。主はイスラエルの民をエジプトから導かれどこに定住するかをすべて計画を持っておられました。私たちの人生も同様であり最初から主が計画されています。その主の計画を信じましょう。
神様が選ばれた者にとって偶然というものはありません。決められた時と場所にすべてが整えられた最高のものを与えてくださいます。くじ引きをしたイスラエルの民は単なる運と思ったかもしれません。それは主によるくじ引きであり、主を信じる者が堂々とくじを引くことができました。
1950年ごろある老人が子供達のためにと思い聖書の中に当時5万ドルの小切手を残して亡くなりました。当時の5万ドルは現在では5000万円くらいでしょうか。しかし子供達は聖書を開きませんでしたので聖書の中に小切手があることを知らず、苦しい生活を送りました。聖書を開いて小切手を手にしていれば学校にも行き勉強しもっと豊かな生活ができたでしょう。苦しくてどうしようもなくなったあるとき、子供は聖書を開き小切手を発見し豊かに祝福を受けました。

2013年12月8日日曜日

マリアの賛歌

◼2013/12/08
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:ルカ1:26−56
◼タイトル:マリアの賛歌

★メッセージ

1.選ばれたマリア
ナザレの町に遣わされたガブリエル天使長は乙女マリアのところに来ます。ダビデの子孫からメシアが生まれると言います。ダビデは人であり大きな罪を犯しましたが、真心から悔い改めたことが主に受け入れられ、このように主の栄光を受ける家系となりました。
喜びの天使長ガブリエルと戦いの天使長ミカエルがいますが、これらの天使たちは我々を守って下さっています。「おめでとう、恵まれた方」喜びの天使長は三位一体の神様と同じです。主イエスキリストは「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と仰いました。
クリスチャンも罪を犯しますが、内在する聖霊様が罪を指摘してくださり、変な弁解をせず悔い改めれば祝福してくださいます。
婚約中に関係を解消することは当時は非常に恥であることでしたが、ヨセフはそれをものともせず、マリアを告発することもなくひそかに縁を切ろうとしました。ヨセフは普通の信仰者でなく主に選ばれるにふさわしい信仰の持ち主でした。

3.マリアの本格的な賛歌
47節のような主への賛美を捧げるとすべてがうまくいくようになります。不平不満がなくなりマリアのように喜びにあふれすべてのことに感謝できるようになります。クリスチャンには失敗がありません。すべては主の御手の中で導かれています。

2013年12月2日月曜日

信仰によって喜びましょう

◼2013/12/02
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:テサロニケ一5:16−24

★メッセージ

最後の月です。ドイツには、終わり良ければすべて良し、ということわざもあります。悔いのない実りある月となるように祈りましょう。

18節 どんなことにも感謝しなさい これが主がいつも望んでおられることです。前の節の、いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさいが実践できるときに、どんなことにも感謝できます。
ヨハネ15章はぶどうの枝と実について書かれています。枝の役割は実を結ぶことです。実がないイチジクはイエス様に呪われてしまいました。実とは内側の実りのことです。
クリスチャンは祝福されたことだけをただ考えてはいけません。喜ぶべき条件で喜ぶのは子供のような未熟なことです。どんな状況でも信仰によって喜びましょう。ヨハン教会の信徒たちも主にあっていつも喜ぶことを期待し祈ります。感情と環境で喜ぶのは人は内側に実りがなく主が残念に思う人であります。

次に祈り勝利のマスターキーであり、主なる神様へのホットラインであります。イエス様は朝早くから祈られました。疲れていてもモーニングチャペルの時間には目覚めると素晴らしいです。モーニングチャペルでは何かを求める祈りよりも父なる神様と交わる祈りが良いです。イエス様の祈りの中でも9割は父なる神様への感謝の祈りでした。
ヨハン教会のいくつかで聖殿を祈ってきました。本日はヨハン藤沢キリスト教会の入堂式があります。いろいろな建物を見ながら最終的に最も良い物件を与えてくださいました。大分、新潟、愛媛も恵みで与えられました。
聖殿が与えられるとき、そこに遣わされている主の僕の信仰を完成させるかのように試されます。

2013年12月1日日曜日

真の安らぎを下さるイエスキリスト

◼2013/12/01
◼ヨハン吉祥寺キリスト教会 主日礼拝
◼聖書箇所:マタイ11:28−30
◼タイトル:真の安らぎを下さるイエスキリスト

★メッセージ

私たちにとって安らぎはとても重要であり常に求めていますが、問題なのは求める安らぎはどこにもないことです。たとえ休んでも疲れます。バケーションシンドロームという現象があります。長期休暇で旅行に行ってきて家に帰ってくると疲れてしまい一日休む必要があったりします。
疲れとはギリシャ語では自らの問題によって負っている疲れのことです。重荷とは他人の原因によって負っているものです。負荷がかかって小さなことでも嫌になってしまうことがあります。部屋に引きこもったりします。自分自身も忘れ他人との人間関係もすべて切ってしまいたいという衝動にかられます。アメリカでは、国民の約5%がうつ病にかかっており年間3兆円の予算が使われています。
現代人は特に安らぎを楽しむことができません。自分が休んでいる間にも誰かが仕事をして自分を追い越していくのではないかという衝動にかられ、休むことさえできません。
あるピアニストは言いました。自分の弾く音符は他の人と全く同じものです。ただ違うのは、休符でどのように間をおくのか、それが私の音楽のポイントです。休符での間の取り方一つで音楽の世界が全く違ってきます。これこそ安らぎの美学です。
イエスキリストは真の安らぎを提供して下さいます。イエスキリストに癒された一人にサマリアの女がいます。何度も男と結婚しその挙句捨てられ周囲の人からも嫌われどうすることもできなくなった女でしたが、イエスキリストは彼女に話しかけ真の命の水を与えられました。他に癒された人にザアカイがいます。徴税人として豊かにはなりましたが、それで人々から煙たがられ背も低くコンプレックスがあった彼の家に来られ、彼の根本的な問題を解決されました。
イエスキリストはわたしは道であり真理であり命であると言われました。ヨハン教会の皆さん、イエスキリストのところに来て下さい。イエスキリストがあなたの重荷を担って下さいます。
また、わたしの軛を負いわたしに学びなさいと言われました。軛を負うということは、イエスキリストが共にして下さることです。