2014年11月28日金曜日

名語録の整理

自分が病気になった理由を考えられるでなく、病気になった意味を考えようとしています。

ノートルダム大聖堂の建設に従事している三人の人に、今何をしているのかと質問したところ、それぞれ次のように答えました。
一人は、大きな石を運んでいるところで大変だと答えました。
もう一人は、家族のために頑張って働いているところだと答えました。
最後の一人は、ノートルダム大聖堂を建設しているところだと答えました。
このノートルダム大聖堂の建設が完了したのは、数百年後のことでした。

2014年9月6日土曜日

あなたがたの信仰はどこにあるのか

「あなたがたの信仰はどこにあるのか」

先月までヨハン教会連合の牧師であった金圭東氏が書いたメッセージ集のタイトルです。
ルカによる福音書の説教集ですが、上下巻それぞれ500ページ近くある冊子で、金圭東氏のメッセージが凝縮されたかなり濃い内容となっています。

メッセージ内容を読んでの感想は書ききれないほどありますが、今回はこの本のタイトルである「あなたがたの信仰はどこにあるのか」について考えさせられました。

聖書では、わたしたちの救い主はただイエスキリストおひとりであると教えています。そして、私はただイエスキリストだけを信じて歩んでいたと思っていたのですが、そうではなかったようです。

実際は、イエスキリスト以外のものにも何か信仰心のようなものがあったのかもしれません。それは、たとえば、教会に対する信仰、あるいは牧師や教会の先生に対する信仰です。

私の所属しているヨハン教会連合は次々と教職者や信徒を生み出し全国に開拓教会も建てどんどん大きくなっていきました。その中で、この教会にいれば将来は安泰だとか、この教会で将来役員等になっていけば、日本のキリスト教会の主導をとれるとか、そういう思いがあったのではないかと自分の心に手を当てて悔い改めざるをえません。また、教会の教職者からいろいろ励まされたり良いことをしてもらったことで、その教職者を頼ってしまう思いもありました。

クリスチャンの信仰は、特定の教会や特定の恩師などに向かう信仰ではなく、ただ主なる神様に求める信仰でなければいけません。どの教会に所属したとしても、どの人と別れることになったとしても、ただ主なる神様だけを頼る信仰です。

日本でいろいろな教会が内部の人間的な戦いや外部からの誹謗中傷などで分裂して倒れていく話を今まで聞いていましたが、ヨハン教会だけはそういうことはないだろうと思っていました。そのこと自体が高慢であり、主は私を含めてこのヨハン教会連合を徹底的に打ち砕こうとされているのだと今は感じています。

どの教会に属したとしても、どこに行ったとしても、ただ主なる神様とつながっているならば、福音を伝えることも、家族や同僚にキリストの愛を伝えることも可能でしょう。

「あなたがたの信仰はどこにあるのか」 これをいつも問いただしながら、これからは信仰生活を送っていきたいと思います。

2014年9月1日月曜日

ヨブ記とヨハン教会での出来事

昨日までヨブ記のデボーションの箇所でした。
ヨブは全く純粋な信仰を持ち主に「彼のように正しく神を怖れるものはいない」と言われるほどでしたが、主なる神様がサタンにヨブを攻撃することを許可したことにより、ヨブは財産をすべて奪われ子息を皆殺され、ついには、自らの体まで不治の重い病にかかって苦しみます。
ヨブにとって最も大きな苦しみは、自分が主に対して誠実に正しく歩んできたにもかかわらず、なぜこのような大きな苦難を受けるのかという疑問でした。悪いことをして苦難をおったり、何かの目的にために苦難を受けるのであればわかりやすいですが、理由のない苦難は人を絶望に陥れます。
最後には、主はヨブに現れヨブを叱りながらも憐れまれ、財産は以前の2倍祝福されます。

私たちの信仰生活においても理由がわからないことは起こりえますし、実際、今回、私が出席しているヨハン教会においてそのことが起こりました。

ヨハン教会連合の堂会長であった金圭東牧師による女性教職者に対するセクハラおよび暴力の疑惑が浮上し、韓国のニュースサイトに掲載されました。
http://www.newsnjoy.or.kr/news/articleView.html?idxno=197275
「日本宣教の巨人、女性教職者に常習的セクハラ疑惑」

その事実を金圭東牧師は認め謝罪し堂会長の職を辞任しました。
http://waseda.yohan.or.jp/cat686/cat687/
「金圭東牧師のお詫び」

金圭東牧師による礼拝メッセージは非常にレベルの高いものであり、霊的にも肉体的にも純潔を守り信仰に堅く立つための力強いメッセージを常にされていました。そのような方に今回のようなセクハラ疑惑が浮上し事実であったということは、あまりにも驚くできことであり、すぐには受け入れられるものではありませんでした。ただ、大勢の証言者がいることなどの客観的な事実に基づき、限りなく正しい事実であろうことを認識し受け止めました。

しかし、もう一つ驚くべきことは、被害者が金圭東牧師に謝罪を求めたとき、すぐに謝罪しなかったこと、それを隠そうとしたことであり、あまりにも残念でなりません。なぜ、主に対して真実であるべきことを説き続けまたそのように行動してきたかに見えた牧師が、心を堅くなにし謝罪を拒むのか、理解ができません。
そして、もっと不思議なことは、女性へのセクハラという大きな罪を犯し隠しながら、なぜあのように純潔なレベルの高いメッセージができたのか?ここは人間的に考えても答えが出るものではなく、本当に不思議というほかはありません。

今回のことは、多くの一般信徒にとって、まさに理由がわからない苦難ともいえます。ただ、すべてサタンの攻撃とは思えません。金圭東牧師が日本に来日して日本での福音宣教をはじめて約29年、主なる神様はここにおいて何か特別な意味をもって、今回の一連のことを行い、その先には、人間が想像しえないような、驚くべき日本福音化の一幕が用意されているような気がします。

ヨセフがエジプトの宰相になる前に牢獄で暮らしたように、ダビデが実際の王位に立てられるまでサウルから命を追われ逃亡生活をしたように、大きな祝福の前には必ず大きな試練が伴います。今は理由はわかりませんが、主が大きなことを準備されていることを信じたいと思います。
そして、金圭東牧師を通して示された日本の福音化のビジョンは間違っていないと信じます。すべての人を愛し赦し、一人でも多くの人の心の傷が癒され救われ素晴らしい人生を送ることは、主なる神様の願いであり、私の願いでもあります。

すべての栄光を主に帰します。

2014年7月8日火曜日

霊的指導者たちの孤独

◼2014/7/8
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:一テサロニケ5:12−28

★メッセージ

霊的指導者たちは努力しても周囲から理解されず孤独なことも多くあります。ある病院においてもシフトを決める病棟長はいつも看護師らから文句を言われており、すぐにやめてしまって欠員が生じている状態でした。しかし本当に愛を行い最後に感謝されるのは、ある程度厳しく人を教え諭す人です。小学校でも児童と仲良く遊ぶだけの先生はその時は良いのですが成長すると何も残りません。大人になって挨拶にいく先生は、たいてい厳しく教えてくれた先生です。
東京駅を歩いている人々の無表情を分析すると深刻な精神病者と同じ程度のものだという報告結果があります。クリスチャンはいつも喜び感謝するように聖書で言われています。この東京でも笑顔があふれることを祈ります。
霊的生活の充実のために、清さのために、家族のために祈りましょう。

2014年7月6日日曜日

風はその思いのままに吹く

◼2014/7/6
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:風はその思いのままに吹く
◼聖書箇所:ルカ4:21-27、ヨハネ3:5-8

★メッセージ

エリシャの時代にはイスラエルには多くの病人がいたが、異邦人であるナアマンしか癒されませんでした。これは不思議なことです。

第一列王記17章を注意深く読んでみましょう。エリヤは主の御声に従ってアハブから逃れ遠い場所の川のほとりに身を隠しました。
そこでは烏が食べ物を運んで養われました。次には、シドンのサレプタに行き、やもめに養われることになりました。このやもめは非常に貧しく旅人を養う余力はないどころか自分たちさえ食べるものがなく餓死する寸前でした。やもめは主の言葉を信じたかどうかわかりませんが、その通りにしたら食べ物の祝福を受けました。なぜ彼女を祝福したのかはわかりませんが、神様はこの世の支配者であり、エリヤとやもめを祝福されました。
しかし、次には女の息子が病気にかかり死んでしまいました。どうしてこんなことになるのかと女は叫び求めます。ヨハン教会の皆さんはこのような祈りをしたことがあるでしょうか?エリヤは死んだ息子を受け取り主のもとにいって、もう一度奇跡を起こしてくださるように切に祈り求めました。主はその祈りを聞き子供を生き返らせて下さいました。辛い経験の中でも信じなさいと教えています。

第二列王記5章はアラムのナアマン将軍の話です。異邦人ですが、主は彼を用いてアラムに勝利を与えられたと書かれています。サマリアの預言者のところに行けば病気が癒されると進言したのは、イスラエルから連れてこられた奴隷である少女でした。少女は何歳だったのでしょうか。わかりませんが、彼女が苦しい生活をしているのもご覧になり憐れんで下さったのです。ヨハン教会の皆さんも、辛い時にもぜひ証して下さい。日本人は相手に迷惑をかけるのを恥ずかしいと思うためになかなかできないことがありますが、勇気を持ってぜひ証して下さい。ナアマンはエリシャのところに行ったところ、ヨルダン川に行って七回身を浸して清めるように言われ激怒しますが、彼の部下たちが諌めヨルダン川で七回身を浸して洗ったところ皮膚病が癒されました。

ヨハネによる福音書ではニコデモがイエス様にどうすれば新たに生まれることができるのか質問します。私たちはリバイバルのために切に祈るべきですが、しかし、いつどういう形で主がリバイバルさせてくださるかは、私たちにはわかりません。20世紀から21世紀にかけて世界中で多くの民族がキリスト教を信じ教会が建てられることは、かつては想像がつきませんでした。ただ、主が確かに共に働いて下さっています。

2014年7月3日木曜日

励まされる人生

◼2014/7/3
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:励まされる人生
◼聖書箇所:一テサロニケ3:5−13

★メッセージ

すべては主の御手にあることを悟ることが恵みです。
テモテはパウロに対して、テサロニケの人々の信仰と愛を伝えました。先に立てられた者の意識が必要です。信仰が弱い者の面倒をよくみて正しい方向に導く兄貴的な人が活躍するようにします。伝道に対する情熱が熱いのは良いことですが、それだけならば、入り込めない人がいるでしょう。そのようなときにコーヒーやジュースを提供したり何かプレゼントしたりして励まし和ませることも大切です。
愛された想い出や記憶が多ければ、たとえ一時不仲になったとしても回復や和解が早いものです。任された者に忠実なものに大きな報いが与えられるでしょう。
今任された人の信仰がしっかり立つようによく養育することです。何十年かたって信仰がなくなってしまい、その人のために悔いるようなことがないようにしましょう。

2014年7月2日水曜日

労苦は必ず実を結ぶ

◼2014/7/2
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:一テサロニケ1:1−10

★メッセージ

1節 パウロはテサロニケに行ったことを無駄ではないと表現しています。実際のパウロの働きではあらゆる迫害があり計画通りにならず行くだけ無駄かもしれないという状況でしたが、それでも行ったテサロニケで実が結ばれました。ヨハン教会の兄弟姉妹たちも労苦する中でなかなか状況が変わらず無駄ではないかと思うことがあるかもしれませんが、主の中での労苦は必ず実を結ぶことを信じ種を蒔き続けましょう。
福音を伝えるときには、復活について言及し、相手の罪性について伝えなければなりません。復活が歴史的事実であることを明確に伝えます。また、人間が罪人であることを伝えます。相手が嫌がるかもしれませんが、これが救いにつながるものであり主がもっとも喜ばれるものです。
8節にあるようにパウロは愛をもって福音を伝えました。福音は真理ですので、伝えられたときときにショックを受けます。伝えっぱなしではなく、よくケアしなければなりません。パウロは母親と父親の両方の愛をもって臨みました。母親の愛とは従順に献身し仕えすべてを包み込むような愛です。父親の愛とは強く教え諭しときには相手の問題を指摘しながら育てる愛です。

2014年7月1日火曜日

主と取引しないで下さい

◼2014/7/1
◼ヨハン教会連合 モーニングチャペル
◼聖書箇所:一テサロニケ1:1−10

★メッセージ

韓国で過去学生たちのリバイバルが起こりましたが現代では起こらないのはなぜでしょうか?現代の集会では良い設備ですべてが整えられているため、学生たちの魂の救いに対する想いが弱まってしまったのです。クリスチャンは野生がなければなりません。
地方教会での聖会においては各エリアで中心となる教会を中心に準備を行い大きな恵みを受けました。特に今回は兄弟姉妹たちの親が導かれました。日本では信仰を持つと家族から迫害されることが多いですが、むしろその家族を誘い恵みを受けました。
私たちは主から選ばれたことを感謝しましょう。恐れおののきながら深く主に出会うことに喜びましょう。信仰の最高表現は恐れおののくことです。
信仰のスケールを大きくして下さい。主と取引しないで下さい。ヨハン教会の皆さんはご両親と取引するでしょうか?そうしなくても主は報いてくださる方です。希望を持つならば忍耐して下さい。真の希望は将来神の国の祝福を受けることです。ヨハネの黙示録に書かれた24人の長老の列に加わることです。この世の教会での長老の地位を軽々しく求めてはいけません。長老は奉仕とともに牧会を兼ねる者です。その地位につくべきでない人がついて教会内で権力を振り回すことがあってはなりません。
スポーツの大会においても、選手出身の者は最善を尽くして負けた試合について非難をしたりしません。非難するのは周囲の観客だけです。誰も負けたくて負ける選手や監督はいません。スポーツ選手のように、ヨハン教会も宣教の働きに最善を尽くしていきましょう。
使徒パウロはテサロニケに三週間しか滞在しませんでしたが、恵みの教会が建てられました。

2014年6月29日日曜日

キリストにおいて満ちあふれる神の恵み

◼2014/6/29
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:キリストにおいて満ちあふれる神の恵み
◼聖書箇所:エフェソ1:3-6

★メッセージ

カリスマのカリスとはギリシャ語で賜物という意味であり、主からの贈り物です。自分の力で得たものではありません。恵みとは驚き、サプライズです。予想もしなかったのに与えられるのです。恵みを知る時に主に戻ります。
主なる神様は天地を造られた方であり命を与え奪うことのできる方です。主なる神様は軽んじられるべきではありません。旧約時代には聖所に入るときには身も心も完全に清めて入りました。そうでなければ打たれて死んでしまいます。主なる神様は畏れ多い方です。
3節にあるように主を賛美してその方に祝福を捧げることです。礼拝でも必ず賛美します。
4節ではさらに大きなサプライズが待っています。天地想像の前から、神は私たちを愛して、キリストにおいて選ばれました。宇宙を動かす原動力は愛です。歌の歌詞のように抽象的なものではなく、実際に働かれているキリストの愛です。この世の天地も動植物もすべて作られたのは、私たちに対する愛のためです。私たちが神様を選んだのではなく神様が私たちを選んだのです。私たちが主を探したのではなく主が私たちを先に探し当てたのです。イエスキリストだけを信じてとどまりイエス様だけに信仰を告白しましょう。主なる神様は清いものですから、清いものとなるように生きて下さい。主なる神様は私たちが清いから選んでのはありません。私たちが罪人であることをご存知ですが、それゆえその罪を贖い清くするために私たちを選ばれました。
5節では、神様は私たちをキリストによって神の子にしようと定められました。私たちの身分が変わり罪人から神の子とされました。古い習慣を捨て新しい習慣を身につけましょう。
6節 神の御子イエスキリストによって輝かしい恵みが与えられていますが、それを体験しましょう。主なる神様を褒め称えるためです。

2014年6月26日木曜日

南の王と北の王の戦い

◼2014/6/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:南の王と北の王の戦い
◼聖書箇所:ダニエル11:1−19
◼メッセンジャー:金ソンソプ宣教師

★メッセージ

聖書は単なる歴史書ではありません。イスラエルやギリシャの歴史など興味ない人もいるでしょうし、ローマや他の強大な国の歴史から比べたらたいしたことはないかもしれません。しかし、聖書の内容は私たち人間の罪からの救いの歴史であり、すべての民と人が知る必要があるものです。
ダニエルは多くの王に仕えました。ダニエルが最初に仕えた王は新バビロニア帝国のネブカドネツァル王です。バビロニア帝国の全盛期で他民族を捕囚し自国の文化を教えカルデア人に同化させました。次にはベルシャツァル王で、そのときには王朝は終わりを迎えていて、人の手が現れて終わりを予言しました。次に、メディア人のダレイオス王に仕え、さらにペルシア人のキュロス王に仕えました。
この世の国はすべて移ろうものであり、ただ神の国にしか真の平和がありません。
三人の王の一人はキュロス王で、イスラエル民族を解放しイスラエルに帰ることを許しました。次はカンビセス二世、そして、ダレイオス王一世と言われています。ダレイオスとは王の総称であるとも言われています。第四の王はクセルクセス王です。決起盛んな王であり、その軍隊は少なく見積もっても80万、多ければ530万もあり、ギリシャに挑戦しました。しかし、ギリシャを制服することはできず、やがて衰退し、次にマケドニアからアレクサンダー大王が現れます。彼は一気に勢力を広げるものの若くして死に、王朝は四つに分割され将軍たちがそれぞれの王になります。東はシリア、南はエジプトで、聖書では北と南の王朝として描かれています。

シリアとギリシャの王朝が激しく争いますが、これはいつも復讐の繰り返しで、勝ったり負けたりを繰り返します。この歴史は徐々にイエスキリストに向かっていきます。17節の和睦のために北の王から南に嫁いだ娘はクレオパトラですが、彼女は父親を裏切りエジプト側につきます。やがてギリシャは衰退し、ローマが台頭します。そのローマから遣わされたヘロデ王のもとで、ベツレヘムでイエスキリストが生まれることになります。

信仰の妨げが取り除かれるように

◼2014/6/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ダニエル10:9−21
◼メッセンジャー:柳廷勲宣教師

★メッセージ

信仰の妨げは何でしょうか?自分の内側にある問題でしょうか、外側にあるものでしょうか?自分を覆っている悪い皮をはいで下さい。今日の実りは、今日一日どれだけ敬虔に清く生きようとしたかが関係しています。聖霊に満たして下さいという祈りも大切ですが、何よりも、私が清く歩みたいという心がもっと重要です。亀のような心の硬い殻を脱ぎ捨てて下さい。赤ん坊のようにすべすべのきれいな表面になりましょう。私たちの自我はとても硬いものですが、主が柔らかくして下さいます。
リバイバルする教会は男性がお父さんたちが祈る教会です。韓国でも成長する教会では、国や企業の大きな責任ある立場にある人が前の方に出て涙を流しながら切に祈ります。国や企業のために祈ることはどれほど強いことでしょうか。
ダニエルは祈る人でした。
日本に霊的な流れが作られ東京オリンピックを通して世界にまでもその流れが伝わっていくことを期待しましょう。
ローマ8:38にあるように、私たちを主から引き離すことは誰もできないのです。マタイ8:26 主が命じられると嵐も静まりました。

2014年6月24日火曜日

ダニエルが見た夢

◼2014/6/24
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ダニエル9:20−27

★メッセージ

ダニエルが見せられた夢は難解でありますが、ダニエルになくて私たちにあるのは新約聖書とイエスキリストです。
23節 嘆き祈り始めたとき御言葉が出された  祈りに対する主の答えはすぐに出されます。祈り始めると瞬時に主は聞いて必要であれば答えを与えてくださいます。
24節から27節まで終末の予言が与えられました。ダニエル書では一日を一年と考えれば、7週は490年、約500年にあたります。ダニエルの時代から計算するとだいたいAD30年くらいに当たります。これはまさにイエスキリストが十字架につけられる年にあたります。油注がれた者:イエスキリストは、不当に断たれ十字架につけられます。

2014年6月19日木曜日

ダニエルの夢と幻に対する解釈

◼2014/6/19
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:ダニエルの夢と幻に対する解釈
◼聖書箇所:ダニエル7:15−28

★メッセージ

この世の国は栄枯盛衰です。今強い国はやがて弱くなって滅びまた別の国が強くなります。人の世界はこれを繰り返しています。人間の国は罪の法則によって治められており誰かの犠牲の上に成り立っています。一方、神の御国は神の法則、清さの法則によって治められており決して滅びることはありません。義と愛によって治められています。教会は神の国ではありません。羊も山羊も混在していますし、悪い者もいます。ただ、教会は神の国の印であり始まりです。
歴史は移り変わり艱難がやってきますが、歴史の主人公はただ一人神様だけです。主なる神様は今日の万国の人々の王です。その人が信じている信じていないは関係なくすべての人の王であります。
主のために苦しみを受けることはむしろ喜びと思わなければなりません。すでに救われており聖霊の力を受けています。キリスト教が入った国で変わらなかった国はありません。苦しみと艱難の中でもすでに勝利されています。
悪は裁かれなくとも自ら滅びます。この日本でも神様の御国が臨むように祈りましょう。

ダニエルの見た夢-王国の予言

◼2014/6/19
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ダニエル7:1−14

★メッセージ

新聖歌428番はビバリーシェアのお母さんによって作詞され、彼によって歌われました。この賛美は、1994年のビリーグラハム大会のときにも歌われました。
聖霊に満たされるには、一つは聖霊様を信じていること、二つ目は悔い改めの心があること、クリスチャンであっても誤ちはありますので、そのたびに悔い改めて赦していただくように。
ダニエルがあのように信仰を守り通したのは三人の信仰深い友達がいたからだともいえます。私たちも、信仰で強め合う友達三人以上を作りましょう。
第二コリント12:10 わたしは弱いときにこそ強いからです。パウロは窮乏状態にあったり迫害にあったりあらゆる苦難を受ける中で主が助けてくださいました。パウロはそれらをもって主に栄光を帰します。

バビロンの最後の王がべルシャツアルでした。1節から8節までは4つの獣の幻です。2章でダニエルはネブカドネツァル王の夢を解き明かしましたが、それと同じ種類の夢をみました。
第一の獣はネブカドネツァル王を意味します。ネブカドネツァル王はダニエルが夢を解き明かしたときには神を大いに賛美しましたが、あるときはとても高慢でした。そのため、彼は7年間獣のようになり荒れ野で過ごしました。その後、回復されてからは決して主を否定しませんでした。
第二の獣は、熊のようです。三本の肋骨はコレル、ダレオ、クセルクセスという三人の王様がいましたが彼らを意味するという説もあります。広い国を支配しましたが、ダニエルの時代よりは衰えていきます。
第三の獣は、ギリシャを意味します。鷲の翼でなく鳥の翼でした。早いことは早いのですが最強ではありませんでした。頭四つは四人の指導者を意味します。アレクサンダー大王が亡くなった後、王国は別れ、エジプト、シリア、マケドニアに分かれます。
第四の獣はローマを意味します。鉄は金や銀よりも強くこの世を蹂躙し500年以上にわたって支配しました。10本の角は、ローマが支配している10カ国、あるいは10人の強い王を意味します。もしくはローマ後の時代を意味するという説もあります。今はローマ後の時代です。現代のG7の国はほとんどヨーロッパにあります。もう一本の小さな角は反キリストです。
白い衣は父なる神様を意味します。巻物は聖書を意味するという意見があります。

2014年6月17日火曜日

ダニエルを陥れた禁令の期間の絶妙さ

◼2014/6/17
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ダニエル6:1−18

★メッセージ

どこに行っても聖書通り、主の御旨どおりに生きようとするものを主は祝福してくださいます。ダニエルは異邦の地でも主への信仰を守り通し主が命じられたとおりにしました。私たちも遣わされた会社で、自分がいるゆえに会社が祝福されているというような清いプライドを持ちましょう。
ダニエルがいた場所では多くの偶像崇拝的な行事が行われていましたが、ダニエルは明確に自分の信仰を表し決してそれらの行事に加わりませんでした。だから、大臣や総督たちは、30日もあればダニエルを陥れることができると考えたのでしょう。また、30日間の禁令というのはダニエルにとって大きな誘惑であったに違いありません。なぜなら、永遠に禁じられたなら、守ることができないと反対するかもしれませんが、短期間であれば妥協してしまおうという心が働くからです。

2014年6月15日日曜日

聖霊の力で福音のために戦う

◼2014/6/15
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊の力で福音のために戦う
◼聖書箇所:フィリピ1:27−30
◼メッセンジャー:金ソンソプ宣教師

★メッセージ

私たちはイエスキリストの救いの恵みによって救われるのです。自分の行いによるのではありません。ルターはこの真実を発見しました。もし救いが自分の行いによるならば、その救いはいかに脆いことでしょうか。私たちはすぐに弱り傷つき落ち込みます。そのたびに救いが失われてしまうことになります。
ヨハン教会の皆さん、私たちの信仰は単なる情熱や盲目的なものではありません。子どもたちは純粋に何でも信じ、仮に特別なマントを身にまとえば飛べると教えたら本当に信じてマントを身にまとって飛ぼうとするでしょう。しかし、実際には飛べません。このような盲目的な期待ではなく、信仰とは主の恵みによって実際に実現されるものです。
27節 キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。私たちは何にプライドを置いているでしょうか。自分の能力やお金や地位や名誉でしょうか。これらは変わってしまうものですが、変わることのない福音に、私たちが天国の市民であることにプライドを持ちましょう。フィリピの人々はローマ市民であることにプライドを持とうとしましたが、パウロはローマ市民でなく神の国の民であることに誇りを持つように勧めています。
ローマ人は知性においてギリシャ人に及ばず、体力においてはゲルマン人に及ばず、技術力はイタリア人に及びませんでしたが、どうして強い帝国を築けたのでしょうか?それは絶対に負けない忍耐強さと組織力でした。ローマの軍隊はきれいに隊列を組み毅然良く戦いに向かいます。
今日はワールドカップの日本の試合がおこなわれています。それにもかかわらず礼拝に来られたヨハン教会のクリスチャンは恵みですね。サッカーの試合はゲームですが、それでも11人が一つとなって試合に臨みます。福音を伝える働きは命の働きですから、ますます一つとなって霊的な戦いを戦いましょう。
29節 キリストを信じることだけでなく苦しむことも恵みとして与えられているのです。私たちが少しでもイエス様の苦しみを味わい苦労するならば、イエス様も苦しみを受けているのであり、より深く憐れんで下さるでしょう。私たちだけでなく世界中ではあらゆるところで福音のために戦っています。共産主義の国では、公に礼拝をすることができず教会は迫害と圧迫に遭い、地下で礼拝を捧げ戦っています。

2014年6月12日木曜日

ネブカドネツァルの二度目の夢

◼2014/6/12
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:ネブカドネツァルの二度目の夢
◼聖書箇所:ダニエル3:31−4:15
◼メッセンジャー:柳廷勲宣教師

★メッセージ

神秘主義が前面に出ることはいけませんが、乾いた信仰生活に潤いを与えるためには、ある程度の神秘的な事象も必要です。ネブカドネツァル王も燃える炉でも人を守られる神様を体験しました。ただ、ネブカドネツァル王は神秘を求める存在になりかねないかもしれません。
ネブカドネツァル王はときの最大の権力者であり、当時の権力者は現代の王や首相とは比較にならないほど絶対的でした。その王が奴隷として連れてこられた一少年にすぎない者が信じている神様を称えたのです。ネブカドネツァルは確かな信仰ではないかもしれませんが圧倒されて神を褒め称えたのです。日本でも、政治界や経済界の大物が突然神を褒めたたえることがありうるでしょう。
絶対的な権力者が少年ダニエルを偉大な者として称えます、これは滑稽にも思えるくらいとんでもないことです。

「そうでなくとも」の信仰

◼2014/6/12
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ダニエル3:19−33
◼メッセンジャー:金圭東牧師

★メッセージ

ダニエルとその友人三人は異邦の地で礼拝もすることもできず生活の中でも困ることだらけでした。しかし、彼らは一言も文句を言わず、信仰が落ち込むことも全くありませんでした。この姿を私たちは見習うべきです。
彼らは自分たちを燃える炉から必ず助けて下さるという信仰を持っていました。そればかりでなく、「そうでなくとも」と言い、助けがなかったとしても偶像崇拝の罪は犯しませんと宣言します。
会社では勤務時間には誰よりも一生懸命働いて実績を残す必要がありますが、だからといって、周囲の人の監視で心が弱くならないようにしてください。勤務後、休日には主と交わり霊性を常に保ちましょう。

2014年6月10日火曜日

ネブカドネツァル王の夢

◼2014/6/10
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ダニエル2:31−49
◼メッセンジャー:辻大輔宣教師

★メッセージ

なぜダニエル直接ではなくネブカドネツァル王を通して主は夢を見せたのでしょうか?ヨセフとエジプトの王ファラオの場合も一緒です。ダニエルと三人の友達の四人は異邦の地で捕囚の身であり、いつも命の危険に侵されていました。王様の食事を断るなど、いつ殺されてもおかしくない状況でしたが、信仰的に全く妥協しませんでした。この四人には権力も名誉もありませんでしたが、ただ信仰だけがありました。ですので、絶対権力を持つネブカドネツァル王を通して用いられました。主は周囲のノンクリスチャンを用いられ主を証するようにさせてくださいます。
金がバビロン、銀はペルシアとメディア、青銅はギリシャ、鉄はローマ、そして足の鉄と陶土はその後の混乱した国が国々を指しています。金から銀、青銅、鉄へと、だんだんと質が落ちていきます。これは統率する王の権力や国力が落ちて混乱して行く様子を表しています。
44節 天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます。これは、イエスキリストの降誕と神の国の到来を示しています。神の国とはこの地に建てられる教会であり全地に広がります。
ダニエルやネブカドネツァル 王が夢でしか見ることができなかった教会の勝利の姿を、私たちは現に見ることができます。信仰をもって職場や家庭で勝利をしましょう。その小さな勝利が神の国の大きな勝利につながります。ダニエル一人の証が民族全体の証となり、友人三人も高官として用いられました。やがてイスラエル民族は帰還することになります。私の今日の小さな証、小さな勝利、小さな一歩が、民族全体をリバイバルさせるうねりとなることを信じて歩みましょう。

2014年6月8日日曜日

聖霊様と親密になりましょう

◼2014/6/8
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊様と親密になりましょう
◼聖書箇所:使徒言行録1:3−11
◼メッセンジャー:金圭東牧師

★メッセージ

聖霊降臨主日のメッセージです。
使徒1:8は未来形で書かれます。あなたがたの上に聖霊が降るとあなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなくユダヤとサマリアの全土でまた地の果てに至るまでわたしの証人となる。
ヨハネ13:34ー35 互いに愛し合いなさい、ヨハネによる福音書の真髄的なメッセージです。
最後の晩餐を終えてゲツセマネの祈りに行かれる前に、ヨハネ14〜16章の聖霊論を教えてくださいました。
イエス様が昇天してから120人の弟子たちが約10日間祈っていました。
すると聖霊が降臨し、祈っていた弟子たちに宿られ、突然あらゆる言葉で語り出し、120人が120万人を制覇するほどの勢いでした。ペトロは聖霊様に満たされて大胆にメッセージをしました。

聖霊様は聖霊の人格の実を結ばせてくださいます。ガラテヤ5:22ー23  徐々に聖霊様の性質が我々の人格になっていきます。
一テサロニケ5:16ー18 いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい。
二テモテ3:16 御言葉と聖霊の働きは不可分離です。

聖霊様は超自然的な働きをさせてくださいます。同僚、友人、知人、周囲の人々も地の果てに至るまでの伝道対象者です。伝道と弟子化訓練に必要な、財政的な問題、健康の問題、知識の問題、霊的な問題、あらゆることを解決し、驚くべき働きをできるようにしてくださるのが聖霊様です。万事を益としてくださいます。だからどんな苦難の中でもいつも喜びあふれて生きましょう。聖霊様は喜びの霊であり平和の霊です。
聖霊の内在だけで満足してはいけません。

2014年6月7日土曜日

盲人バルティマイの信仰告白

◼2014/6/7
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:ルカ18:15−23
◼メッセンジャー:金ソンソプ宣教師

★メッセージ

本日のヨハンソウル教会の男子宣教会によるミュージカルは、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書に登場する盲人バルティマイに関するものです。彼は毎日、その日生きていくお金を求めて物乞いをしていました。盲人であることで家族を失い仕事を失い多くの苦労と問題を抱えて乞食になったのでしょう。現代のように障害者が優遇される時代とは異なり、障害があることは罪の結果であるとみなされ皆から迫害されました。体の問題だけでなく精神的に大きな痛みも負っていました。すでに治る望みもなく、ただ今日一日生きるお金が与えられることが全ての望みでした。
あるとき、ナザレのイエスが近くを通ると聞かされました。ナザレのイエスとは人々がイエス様をけなすときに使った表現でした。ナザレは田舎町で何ひとつ良いものが出ないと言われました。盲人バルティマイはそのナザレのイエスの話を聞いて「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫びました。ここに彼のイエス様に対する正しい信仰告白がありました。人々はナザレのイエス様と呼びましたが、彼はダビデの子イエスと告白しました。ダビデの名はイスラエル国家の象徴であり、ダビデの名はすべての人に頭に刻まれ、メシアがダビデの子として来られることは聖書で予言されていました。バルティマイはイエス様を救い主であると告白したのです。私たちの信仰告白とは、まさにただイエスキリストだけが唯一の罪からの救い主であると告白することです。

人は皆自分が何者であるかを知りたいと思っていますが、人は自分を知れば知るほど、自分が罪人であり愚かでどうしようもない存在であることを知り落胆します。それを受け入れることで気持ちが楽になることもありますが、それで救いには至りません。救いとは、自分や他人を知ることではなく、宇宙の真理を悟ることでもなく、ただイエスキリストを信じることにあります。
私たちにはイエス様に何か要求する権利はありません。イエス様は私たちに何も借りがないですし、私たちの親でも教師でもヘルパーでもありません。それでもイエス様はただ愛と恵みで私たちを憐み救って下さるお方です。
バルティマイが大声で叫んだときイエス様は聞こえなかったのでしょうか?いや、来る前からバルティマイの存在を知っていたはずです。イエス様は彼の信仰の本質を見ようとしておられたのです。あなたは犬だと言われて犬もテーブルから落ちるものを食べて生き延びますと答えた女もバルティマイもイエス様の前に完全にひれ伏す信仰の持ち主でした。

イエス様はバルティマイに何をして欲しいのかと問いかけました。私たちはイエス様に何をして欲しいと願っているのでしょうか?ヨハン教会の皆さん、目の前の利益にとらわれるのではなく、信仰を願う者になるようにしてください。

2014年6月5日木曜日

ダニエルの信仰

◼2014/6/5
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:ダニエルの信仰
◼聖書箇所:ダニエル1:8−21
◼メッセンジャー:金ソンソプ宣教師

★メッセージ
ユダヤ人が通常の民族と違うのは神様から選ばれたという意識であるといえます。
ダニエルがいたバビロンでは、イスラエルが完全に敗れて国が滅び捕虜となっている状態で絶望的な状況でありましたが、ダビデは全く信仰を失わず、主なる神様を求めました。国がどうなっても命がどうなっても最後まで信仰を守り切ることをダニエルは決心しました。信仰とは流れではなく決心するものです。ダニエルは主への信仰を明確に表明するとともに、自分の立場をわきまえ侍従長が不利にならないように知恵をもって行いました。
神様は信仰を持つ者に対して何にも勝る知恵を与えられます。17節にあるように、ダニエルと友人3人には知識と才能が与えられました。主が与えて下さる賜物を私たちはふさわしいことに利用しなければなりません。
私がダニエルのような人になりましょう。知恵が与えられるように祈りましょう。知識とは違い知恵は感覚的なものです。何が正しいか間違っているかわからないことも多くあります。
この世を本当に治めるのは、天皇でも政治家でも経済界でもなく、主なる神様です。

人間的な弱点が見当たらないダニエル

◼2014/6/5
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:ダニエル1:1−21

★メッセージ

ヨハン教会に新たに一つの聖殿が与えられました。現在のヨハン吉祥寺キリストが移る予定です。

ダニエル書1章から6章はダニエルと友人を通して信仰的な勝利をする場面です。7章から12章までは幻と知恵を授けてくださいます。その後に起こることをダニエルを通して予言されます。旧約の黙示録がダニエル書といえます。それを一部補完するのがエゼキエル書です。ダニエルは人間としてほぼ全く問題がなくパーフェクトであったといえます。聖書の登場人物であるアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセらは皆どこか人間的に至らない箇所があったものです。しかし、ダニエルには人間的な弱点が見当たりません。
第1章ではお酒の問題が出てきます。新約ではお祝いのときにぶどう酒を飲んだりしましたが、旧約ではアルコール飲料は断じて禁じられるものでした。ダニエルは侍従長に自分たちは主なる神様の信仰ゆえにぶどう酒を飲まないとはっきりと言いました。
ダニエル以上に知恵にあふれた人物はいませんでした。王様の夢を説いたりしました。その力を与えられたのは聖霊様です。その同じ聖霊様は現代の我々の生活している現場にも宿っておられます。この日本にも働いてくださり、世界宣教の火種として下さい。

2014年6月4日水曜日

今日一日誰かを感動させたでしょうか

◼2014/6/4
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ローマ16:17−27

★メッセージ

ローマによる福音書は新約聖書の真髄ともいえる箇所です。今日の箇所では偽預言者に対する警告をしています。サタンは私たちに誤ったことを教え行動させます。そして、私たちが間違って罪を犯しても責任はとってくれません。むしろ苦しむ姿を見て大笑いしているかもしれません。
もし周囲に甘い言葉や惑わすようなことを言う人が現れたなら、その人が本当に私たちの助けとなってきた人なのか思い起こして下さい。苦しんでいるとき助言してくれた人でしょうか?よく教会や兄弟姉妹に仕えてきた人でしょうか?そうでなく新しく現れたばかりの人であるならば、注意しましょう。口先だけでいろいろ言って何もしないかもしれません。
今日一日誰かを感動させたでしょうか、また感動を受けたでしょうか?パウロは常に同労者の名前をあげ感謝しました。日々感謝の念をもって歩みましょう。

2014年6月2日月曜日

ローマ15章-異邦人宣教について

◼2014/6/2
◼ヨハン教会連合 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ローマ15:20−23
◼メッセンジャー:金圭東牧師

★メッセージ

聖霊の力で勝利することが今年の目標です。聖霊様は神秘的な働きをされることもありますが、通常の生活のどこにおいても働いておられます。
9、10、11章は個人伝道に関して、特に11章ではイスラエル人だけでなく異邦人も救われるが、同族の救いのための切なさも訴えています。
主は異邦人伝道に力を入れられますが、ある日突然その道が閉ざされるかもしれません。そのときはイスラエルの救いをもっと行われるでしょう。
12章は教会論です。教会が何をすべきか教えています。13章は国家観です。教会は国家と対立してはいけません。税金を納めるのを拒否したりしてはいけません。これはキリストの愛のゆえに行うものです。14章は再び教会論です。当時は食べ物がなく食べ物が非常に貴重であったために食物のことで問題になりました。食べながらあちこちを歩き回ることは良くないことでした。持っている者が貧しい者に分け与えないことが特にコリント教会で問題になっていました。現代でも子供の食事のしつけがなっていないことが見受けられますが、聖書では基本的な振る舞いを教えるように諭されています。
15章は、異邦人宣教についてです。福音が伝えられた確かな証拠は教会が建てられたことです。小アジアのトルコから東に向かっていくことをパウロは考えました。広大なアジア大陸があり多くの人々が住んでいました。しかし、主は幻によりパウロを西のほうへ導かれました。
幻はあるものですが、あまり過信しないで下さい。幻を見たといっても決断がなく生活も何も変わらない人は本当に主に出会ったといえるでしょうか。
ヨハン教会では、全部で50の教会が建てられました。9つの地域毎に中心となる教会を立て、弱い教会を助けるようにしました。
パウロはローマに行こうとしましたが、22節にあるように何度もそれを妨げられました。最後には、囚人として、費用も払うことなく食事も提供され船に乗ってローマに向かいました。
人間は人々が成功したと褒めてくれないと成功と感じられないことがあります。しかし、どんなことでも喜びましょう。
宣教師が集まった会合では世界の地域別に集まり宣教の働きの話し合いをしました。その中で特にヨハン教会の働きが取り立てられました。アジアのあちこちに来てほしいという要請がありました。世界の宣教の突破口を開いてほしいという考えがあるようです。
30節からはエルサレムの訪問についてです。エルサレムではパウロは歓迎されずいつも苦しめられました。しかし、エルサレムはイスラエルの首都であり宣教のルーツとなりました。現代でも無国籍を主張する人が大きく用いられることはありません。自国を愛しルーツを意識しましょう。

2014年5月29日木曜日

福音が本質的な問題です

◼2014/5/29
◼ヨハン教会 BibleStudy
◼聖書箇所:ローマ14:13−23
◼メッセンジャー:柳廷勲宣教師

★メッセージ

毎日同じことでも日々感謝する心を持ち他人に配慮してチームワークをもって行いましょう。

ローマ14章後半は批判に対しての対象の仕方について言及されています。
今でもイスラム教の信徒たちは豚肉を食べないように、当時も一部の人々にとっては食べ物は非常に重大な問題でした。市場で通常売られている肉は偶像に捧げられたものが多く信仰深いユダヤ人たちは食べないことが多くありました。そして、肉を食べないユダヤ人たちは肉を食べる人たちを批判しました。
食べ物は本質的な問題ではありません。兄弟に対する愛、福音が本質的な問題です。韓国でも世代間の問題が起こることがあります。年配の人はスーツで礼拝に出席しますが、若者の中にはラフな格好で礼拝に出席するものもいます。服装や髪の色についてはある程度までは許容するべきです。ただし、信仰が成長がした者は他の弱い人をまどわさないようにある程度自制すべきです。

18節 キリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。23節 確信に基づいて行動しないこと、自分の決心にやましさを感じる人は罪です。リーダーシップは口先だけの知識から生まれるのではなく、人格から生まれます。自分の弱さも表し反省しありのままに受け入れる人はよく人々に喜ばれます。
13節 つまずき:ギリシャ語でプロスコンバート、怒らせる、壊すというような意味があります。妨げ:ギリシャ語でスカルダルオン、後の英語のスキャンダルという言葉になります。非本質的な問題により本質的な問題を見えなくすることがサタンの働きであり、良い知らせが伝えられず、つまずかせ妨げます。このようなことが罪です。キリスト教会での長い歴史では、この種類の罪がたくさんありました。

2014年5月25日日曜日

イエス様による愛ノミクス

◼2014/5/25
◼ヨハン教会 ゴスペルナイト
◼タイトル:イエス様による愛ノミクス
◼聖書箇所:ルカ9:25−37

★メッセージ

阿部政権の施策による経済成長がアベノミクスと言われていますが、愛による霊的な成長を愛ノミクスと呼んでみましょう。
この世の中には政治や経済などのいろいろな問題がありますが、クリスチャンはその問題を見て自分でやる人です。評論家のように激しく指摘して雄弁に語る人がいますが、このような人はクリスチャンにはふさわしくありません。善いサマリア人が追い剥ぎに襲われた人を見て哀れに思って助けたように、隣人を見て愛する心が生まれる人になりましょう。マザーテレサは「愛とは見て哀れんで実際に手を差し延べること」と言いました。自分のことばかり考えるのではなく、開かれた心で周りを見渡し、今私ができることを行うことです。
心が鈍感で他人の苦しみに気づかなかったことがあるかもしれませんが、これからはイエスキリストの愛を持って隣人に関心を持ち憐れみ助けていきましょう。

2014年5月18日日曜日

私たちがなすべき霊的礼拝

◼2014/5/18
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:私たちがなすべき霊的礼拝
◼聖書箇所:ローマ12:1−2

★メッセージ

ローマ1章から11章まではイエスキリストの十字架上の死による罪の贖いの恵みを説いています。そして、12章1、2節では、その恵みをいただいた私たちがどのように進むべきか教えています。
しかし恵みにもかかわらず、私たちの生活はマンネリ化して、ランニングマシーンのトレッドミルのようにいつも同じところを回っているリスのようなものであったりしないでしょうか。
すべての楽器のピッチが合い調和を保っているときに聞きやすい音楽となるように、主が示して下さった御言葉と我々の生活が一致すると調和し生活が生き生きとするようになります。そのスタートが礼拝です。御言葉を聞いて悟ったことをまず認めることから始まります。これもダメ、これもできないではなく、私たちが足りないなかでも喜んで捧げるとき主が認めて下さることを信じましょう。
中国で明の時代、戦乱が続いて泥棒がはびこる中で、ある人が王陽明に、このように泥棒が多くいて大変な状況をどうすれば良いかと質問しました。すると、外の泥棒を捕まえるではなく自分の中にある泥棒を捕まえるほうが重要だと言いました。自分の内側から変わらなければ外の環境を変えることはできないということです。この世の誘惑やサタンの圧力に負けてしまわないように聖霊様の力を与えて下さいと祈りましょう。
牧会者にとって、自分の語った言葉によって自分の首を締めているのではないかという怖さがあります。御言葉はこの世のすべての人に等しく適用されます。
エフェソ5:8 光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。御言葉によって内側から作り変えてくださるように祈りましょう。新聖歌444番の歌詞がよく身にしみてきます。

2014年5月13日火曜日

律法の役割

◼2014/5/13
◼ヨハン教会連合 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ローマ7:1−13

★メッセージ

律法は男が生きている間妻を縛りますが夫が死んだなら妻は律法から自由になると言われています。律法とは自分が罪人であることを教えてくれる役割をします。救いの喜びが薄れてしまうのは、自分が救われる以前の姿を忘れてしまうからです。また、なかなか信仰を持てない人がいるのは自分が罪人であることを認識できないからです。
ガラテヤ3:23−25 救われる前は律法の監視下にいてキリストのもとへ導く養育係となった。
ただイエスキリストを信じたならば、すでに律法にとらわれてはいません。いつまでも罪の問題で悩み続けることはありません。ローマ7:4 キリストの体に結ばれて律法に対しては死んだ者となったのです。7:6 自分を縛っていた律法に対しては死んだ者となり
律法は罪が何であるかを教えてくれます。7:11 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き。罪は人を欺きます。罪を罪として認めて主の前に告白し悔い改めて清められた者になりましょう。自分を欺いてきた部分をあらわにして赦していただくようにしましょう。

2014年5月11日日曜日

主の中であなたの両親に従順し敬いなさい

◼2014/5/11
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:主の中であなたの両親に従順し敬いなさい
◼聖書箇所:エフェソ6:1−3

★メッセージ

現代では多くの年配の人たちが孤独死を迎えています。両親は子供達に大切にされない時代となりました。ヨハン教会の聖徒たちは、聖書に書かれている両親への尊敬を実践する者になりましょう。
カーネギーは自分以外に誰がお母さんを見れるかと言ってお母さんが亡くなるまで結婚しませんでした。お母さんが亡くなって52歳になって始めて結婚しました。
ある日、主なる神様は天使長ガブリエルにこの世でもっとも美しいものを持ってきなさいと命じました。最初は美しい花を持ってきましたが、やがて枯れてしまいました。二番目に赤ん坊の笑顔を持ってきましたが、やがて大人の貪欲的な顔に変わってしまいました。最後に母の愛を持ってきました。母の愛はいつまで経っても消えることなく輝いていました。
親孝行と火の用心は時が遅れると取り返しのつかない悔いが残ると言われています。孔子は親孝行はすべての奉仕の根っこであると言っています。
申命記27:16 父母を軽んずる者は呪われる。
出エジプト20:12 あなたの父母を敬え。
箴言23:22 父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない。

聖書に登場する成功した人物はみな親孝行でしたが、その最大のモデルはイエスキリストです。ヨハネによる福音書2章でのカナでの婚礼ではまだ公の時が来ていませんでしたが、お母さんがぶどう酒がなくなったというのを聞いて、お母さんのために従順して水をぶどう酒に変えました。十字架につけられた最後のときには、ヨハネに母マリアを世話するように頼みました。
ヨハネ8:29、10:29−30、エレミヤ35:14−16、歴代誌上10:11−12
第一テモテ5:4−8 自分の親族、家族を世話しない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり未信者よりも劣る。

私たちはなぜ親孝行しなければならないのでしょうか。エフェソ6:1 主に結ばれている者として両親に従いなさい。クリスチャンとして主に従いなさい。クリスチャンならば、ノンクリスチャンよりも愛を持って両親への孝行を実践しなさいということです。十戒の第4戒までは神との垂直関係に関するもので、5戒からは人間関係すなわち水平関係について言及されていますが、その最初が父母を敬えという命令です。
コロサイ3:20、箴言3:16、詩篇92:5
親孝行する人は目上の人に可愛がられ社会でも成功することができます。エフェソ6:3 そうすえばあなたは幸福になり地上で長く生きることができる。
出勤するときも退勤するときもお母さんの部屋に入り報告して話すとお母さんはそのために祈ってくれました。それゆえ会社で神話的な業績を残し出世を果たしました。
親孝行しなければ不幸な人生となります。箴言29:15、箴言20:20  サウル、エリ大祭祀長らがその例です。

2014年5月7日水曜日

信仰義認とビジョン

◼2014/5/7
◼ヨハン教会連合 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ローマ4:1−12

★メッセージ

第一に、人は信仰によって義とされます。創世記15:5−6において、100歳近くになっても子供ができなかったアブラハムに主はあなたは多くの民の父となることを告げ、アブラハムはそれを信じたので、主はアブラハムを義とされました。自分も妻も高齢で妻の体はすでに子供を宿せない体であると知っていながらアブラハムは信仰を捨てませんでした。ローマ3:24 神の恵みにより無償で義とされるのです。
第二に、割礼は救いとは関係ないことを明らかにされました。旧約聖書で主はイスラエルの民に割礼を施すことで神の民となることを約束しましたが、新約聖書では肉体的な割礼ではなくむしろ心に施す割礼こそイエスキリストの弟子の証であると言っています。
第三に、主は私たちに多くの人々に福音を伝える者となるビジョンを授けられました。創世記17:4 あなたは多くの国民の父となる。アブラハムは弱いものであり一度は不信仰から女奴隷と結ばれてイシュマエルを産んでしまいますが、それでも神様はアブラハムとの約束を守り妻サラから子供を産まれました。今、私が福音を伝えている人たちが、家族や友人や職場の人がすぐに信じないとしても、決して落胆せず信仰を持って聖霊様の導きに従って歩んでいきましょう。

2014年5月6日火曜日

神の義と信仰

◼2014/5/6
◼ヨハン教会連合 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ローマ3:21−33

★メッセージ

第一に、イエスキリストを信じることによって神の義が表されます。パウロは義とされるという表現を27回利用しています。私たちは自分自身に高慢になってはいけません。救われる価値がないにもかかわらず主は私たちを救って下さったのです。そのことを感謝しましょう。
第二に、私たちは自らの努力ではなくただ信仰によって救われました。一コリント1:26−30を見ますと、主は世の無学な者や無力な者を選ばれて立てられたと書かれています。だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。信仰を持って進んでいく者になりましょう。
第三に、神は異邦人の神でもあります。ヨハン教会では日本人、韓国人、中国人が集っており、最近はベトナム人も多く礼拝に参加しています。すべての国の民に福音を伝えていきましょう。

2014年5月4日日曜日

御言葉教育の恵み

◼2014/5/4
◼ヨハン吉祥寺キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:御言葉教育の恵み
◼聖書箇所:申命記6:4−9

★メッセージ

日本では安産の神様、健康の神様、商売繁盛の神様など、人間が必要な分だけ神様がいます。これは人間が作った神であり人間のほうに主導権があり偶像礼拝となります。
4節 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。民たちよ、まず神様の言葉を聞きなさい。そして従いなさい。
もっとも重要な掟は5節にあるように、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛することです。イエス様もこの箇所引用されて人々に語りました。百人隊長が褒められたのは、イエス様の御言葉さえあればそれを信じて歩みますという信仰のゆえです。心をこめて聞くことは相手に愛をもって対することです。
6節 わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、人には教えるには自分自身がその教えを守られなければいけません。そして、勉強するときだけでなく、家にいるときも歩くときもあらゆる場面で教え聞かせなければいけません。これを実践して今まで生き残ってきたのがユダヤ人です。ノーベル賞受賞者の4分の1がユダヤ人と言われています。ユダヤ人は子供のときから徹底的に御言葉を学ばせます。成人するときには、モーセ5書と詩篇をすべて暗記させます。そこまでして御言葉を徹底的に体に身につけます。自分は存在価値があることと自分は神様から愛されていると考えられるようになることがポイントです。
ユダヤ人の教育の特性は、まずその子の長所を見極めて、それを十分に伸ばす計画を立てて、その子のペースで教育させます。そのようにして一人一人の特性を磨いていきます。日本では人の評価を気にすることが多いですが、あまり効果的な教育になっていないようです。
第二テモテ3:14−17 聖書は生活のあらゆることを学び訓練をするうえに有益です。神様の計画に用いられるように整えられていきます。
8節 自分の手に結び覚えとして額につけ。大事なことは御言葉に行動を従わせることです。
9節 戸口の柱にも門にも書き記しなさい。私の信仰だけでなく周囲の人々にも御言葉を伝えて守らせなさいということです。

2014年5月1日木曜日

偶像礼拝を裁く神様

◼2014/5/1
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:偶像礼拝を裁く神様
◼聖書箇所:ローマ1:18−32

★メッセージ

神様は愛の神様です。あるときは愛しあるときは憎む、そのような二重的な神様ではありません。神様による裁きも愛と慈しみの中にあります。
真理とは論理的なものであり心が良いか悪いかに関わらず理解できるものです。理性の問題であり感情や霊性は関係ないように思われるかもしれません。しかし、聖書では、真理を曲げるのは不信仰の問題であると断言します。
偶像礼拝とは非常にもったいないことであります。きれいな壁紙に落書きをして台無しにしてしまうように。主なる神様に捧げるべきものを別の意味のないものに捧げることはもったいないことです。人間には神様を知ることのできる力、神様と語ることのできる霊性、神様の御言葉を実行できる力が与えられています。それを偶像に利用することは非常に愚かなことで惜しいことです。
聖書には認識論的な考え方、すなわち何を行い何を行ってはいけないかという内容と、もう一つは存在論的な考え方、すなわちどういう状態にあるべきかという内容の二つの考え方があります。後者はToDoではなくToBeを要求します。神様は立ち戻ってきた人間に対して、本当に悔い改めているのか行動はどうなのかは問いません。主のもとに戻ってきて共にいるという状態が重要です。私たちの存在自体がイエス様の求めているものです。私たちは主の中にとどまらなければいけません。人は霊肉一体の存在ですから、自分の体のあるところに心もあります。
罪の本質は自分勝手に生きることであり、自分の人生は自分で決めるというような高慢な考え方です。

家庭とは

◼2014/5/1
◼ヨハン教会 家庭生活セミナー
◼聖書箇所:エフェソ6:1−4

「終身制家治国平天下」とは孔子の言葉ですが、まず自分の身を治める家庭を治めてこそ国も治めることができるという格言です。
家庭は人格形成において重要な場所です。夫婦円満な家庭の子供たちは笑顔に満ちています。
サタンが社会を乱すのに最も用いるのは家庭を崩壊させることです。家庭が乱れれば、子供達が非行に走り堕落するようになり、若者が弱くなります。

★ハットポイント

現代の世の中にはいろいろな問題があり、政府や経済界のトップたちが、景気対策、環境対策、税金対策、雇用対策などいろいろな対策を打ち出そうとしていますが、すべての問題の根本が家庭にあるとするならば、まず家庭から変えていかなければならないのですね。どの家庭も夫婦円満で子供もよく育てられていれば、仕事も学校もうまくいき、ほとんどの問題は個人的に解決されてしまうのかもしれません。

ローマ書1章

◼2014/5/1
◼ヨハン教会連合 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ローマ1:1−17

★メッセージ

ローマ書では前半は理論、後半は実践について書かれています。主題は福音の確信を説くことです。すべての人には罪がありますしこの世に完全な教会はありません。でも挫折せずにキリストに従って豊かに歩みなさいと教えられています。
ローマ8章では信仰による義について説明しています。私たちは罪人でも主への信仰によって義とされます。
1章前半はローマ書全体の総論です。
サタンは罪が地獄に至るものであることを知っていますが、悔い改めることができません。イエスキリストと出会って信じることができることはなんという恵みでしょうか。
6章では洗礼を例にしながらキリストと共に生きることについて触れています。7章では結婚の観点で書かれます。かつてイエス様と離れていましたが福音を信じてイエス様と一つになったのです。
16、17節が確信です。福音は信じるものすべてに救いをもたらす神の力です。少しも陰りのない完全な力です。イエス様の御言葉を聞く時は帯を締めるつもりでどんなことも逃さないようにしましょう。神の力を知りながら福音を恥とすることができるでしょうか。福音を恥とするのは、間違った考えを持っているからです。

2014年4月30日水曜日

霊的な熱気

◼2014/4/30
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:詩篇36:1−13

★メッセージ

霊的な熱気があればその勢いで常に喜びと感謝にあふれ、信仰的な決断ができます。お風呂に入った後は体に熱が残っているのでそのまま布団に入ってしまっても暖かいのと同じです。霊的な熱気がなければ人間的な不平不満が多く出てきます。みんなが祈らない時にも祈る人々は霊的に目を覚ましている人の特徴であります。
ダビデは非常に苦しい状況の中でも主を告白して賛美しています。主は羊飼い、私には何も欠けることがない。これがダビデの信仰の基準です。いくら文明が進んでも人間の力をはるかに超えていることがあり、それを主に委ねる姿勢が重要です。日本では医療技術が進んでいますが、それでもがんで亡くなっている人が年間で何十万人もいます。人間の科学的な力ではどうしようもないことが多くあることを謙遜に認めるべきです。

2節から5節までは悪を犯し続ける罪人を表現しています。そして、6節からは、主の慈しみと恵みを賛美します。甘美な流れとは大河のような勢いのある流れです。この恵みを受けて霊的な熱気を失うことなくあらゆる問題を今日一日乗り越えていけるように祈りましょう。

2014年4月27日日曜日

復活した主と私との関係

◼2014/4/27
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:復活した主と私との関係
◼聖書箇所:ヨハネ21:1−14
◼メッセンジャー:金圭東牧師

★メッセージ

主と私は一体された関係です。私たちが失敗した姿では主は喜ばれません。私が清められ回復された姿になることを主は望んでおられます。主はただ天の御座に座っているだけではありません。いつでも私のところに来られて助けて下さいます。
いつも主にあって喜びなさい。すべての人に寛容力を持って表しなさい。万事を益としてくださる主です。30倍、60倍、100倍の実を結ばせてくださり、そして旧約聖書では1000倍の祝福も書かれています。1000倍をさらに1000倍したら100万倍になります。ヨハン教会の皆さんもそのような祝福が望まれることを信じて大胆に歩みましょう。
日本人は底力がある民族と言われています。普段はできないと言いますが、いざやってみると最後までやりとげます。福音宣教においてもこの底力が生かされれば、日本は最後の宣教の働きに大きく用いられるでしょう。
主なしでは何もできませんが、主がいらっしゃれば何でもできます。ヘブライ13:5 決してあなたから離れないし、決して置き去りにしない。24時間365日、いつでもあなたも見守り助けられます。主は我々の人格を好きでいつも尊重して下さいます。我々は皆気質が違い、どれが良いとは断定できませんが、主はどの人をも愛して下さいます。

ヘブライ12:6 主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。よその子は放っておきますが、自分の子であるならば、しっかり成長してほしいので、鍛錬を与えられます。ヘブライ12:11 鍛錬は最初は悲しいものと思われますが、後では義という平和に満ちた実を結ばせます。
蘇った主イエスキリストは我々と常に共におられます。我々のすべての罪を赦し勝利させて下さいます。

2014年4月24日木曜日

幸いな者

◼2014/4/24
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:幸いな者
◼聖書箇所:使徒32:1−11

★メッセージ

たいていな人は自分が罪人であることがわからず何を探しているのかわかりません。探し求めて自ら教会に来て恵まれる人はごくまれです。多くは何かのことで誘われて教会に来て最初は乗り気がしないかもしれませんが、徐々に御言葉で恵まれていきます。主は自らのもとに来られた人に対してまず罪の赦しを宣言して下さいます。悔い改める者は感謝と喜び、賛美があふれます。
詩篇は同じことを少し言葉を変えて表現されることが繰り返されます。幸いな者とは罪が赦された者のことです。罪には何パーセントという概念はありません。ゼロか一か、罪人であるか完全に赦されたかのどちらかです。

罪がある者はそれを隠そうとします。アダムも罪を隠そうとしました。人間は自分の罪を自分からも隠そうとします。現代では罪を病の問題にうまく転換してしまいます。病であればそれを指摘する人はいません。病はその人が悪くてなるのではなく不可抗力的なところがあるからです。キリストを信じる者もそうでない者も、キリストの前で罪を告白しなければ罪の苦しさから逃れることはできません。罪があることは苦しいことですが、逆にそれは良いことです。苦しいからこそ罪を悔い改めようとします。

主は私たちが主に不従順であったり疑いつぶやきをすることも認める受け入れて下さいます。イスラム教ではアラーの神に対しても不従順すすることが可能性としてさえ決してあってはなりません。完璧な信仰が要求されるのです。しかし、イエスキリストは私たちの弱さや罪も受け入れて下さいます。

信じることは何よりも才能ともいえます。子供はお母さんの乳の安全性を疑ったり、お父さんの言葉の真実性を疑ったりするでしょうか。そのまま信じて受け入れるのです。私たちは信仰で生きなければいけません。

雪国、春国、神の国

◼2014/4/24
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マタイ28:11−20
◼タイトル:

★メッセージ

現代は様々な事件や出来事があり混迷を極める時代です。このような時代においては使命を明確にすることが大切です。
見えるものでも見えないものでもいいですが、愛をこめることが大切です。
多くの人たちは最後に重要な言葉を残します。イエス様も最後に弟子たちに宣教命令を与えられました。
新潟に行く時には、トンネルをくぐると雪国が広がります。雪の白はすべてを清くする色です。そして、今までの人生が冬だったとしてもやがて春がやってきます。春国です。最後には神の国が到来するように期待します。

19節 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。私の弟子ではなくイエス様の弟子にしなさい。
ある韓国人の牧師はアフリカのマサイ族を伝道するために、言葉も文化もわからないままとにかく福音を伝えようとしました。とても無茶に思えましたが、やがて4000人のマサイ族を救った宣教師となりました。パウロのように信仰を持っていけば必ず主が約束された人が備えられていると信じます。パウロは行くところどころで大変な苦難に会いましたが、百人隊長など備えられている人に出会いました。ハドソンテーラーは中国宣教に行き、食べ物、衣服、生活スタイルを中国人と同化しながら福音を伝えました。
今の日本はアジアのローマというべく外国人がたくさんいます。日本にいて中国人、ベトナム人、ネパール人、あらゆる人々に福音を伝えることができます。

2014年4月21日月曜日

川崎にヨハン教会は?

ヨハン教会は日本全国各地に教会を開拓しています。中でも神奈川県には一番多くの教会がありまして、横浜をはじめとして、藤沢、相模原、本厚木と4つあります。横浜のヨハン教会は、さらに日本語の神奈川教会、韓国語の横浜教会、中国語のChinese教会でそれぞれ教会がわかれていますので、その区分で考えると6つになります。神奈川県だけで6つというのは断トツに多い数ですね。これも、ヨハン横浜教会の先生が熱く霊に燃えて主の働きをされているからだと思います。
さて、横浜といえば神奈川県の県庁所在地ですが、第二の都市は川崎です。平成26年4月の人口統計によれば、横浜市の人口は約370万人と圧倒的に多いですが、川崎市も約145万人とかなり大きな都市です。相模原市は約72万人、厚木市は約22万人ですので、これと比較しても大きいですね。でも、川崎にはヨハン教会はありません。それは単に人口の多い場所に教会を建てているというだけでなく、教会間の距離もある程度、念頭におきながら、開拓をしているからかもしれません。(あくまでも私の想像です。)
でも、全国に何百教会と建てられるのなら、川崎にもやがてはヨハン教会が建てられるのかもしれません。川崎は東西に意外と長いので、どこに建てるかはまた考えどころです。

2014年4月20日日曜日

イエス様の復活は永遠の復活は、真理の復活

◼2014/4/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:イエス様の復活は永遠の復活は、真理の復活
◼聖書箇所:マタイ28:1−10

★メッセージ

私を信じるものは死んでも生きるとイエスキリストは言われました。
聖書では死んだ者が生き返った事例はたくさんあります。エリシャは中年の女の子供を生き返らせました。イエスキリストも会堂長の娘やラザロを生き返らせました。
実存主義者のトマスは直接見て傷跡に手を入れてみなければイエス様の復活を信じないと言いましたので、イエス様は突然、弟子たちがいる部屋の中に現れ、トマスに傷口に手を入れてみるように言われました。それでトマスは信じましたが、見ないで信じる者は幸いであると言われています。
イエスキリストは私たちにあいまいな信仰を捨てるように言われました。今の体は朽ちて土に帰る体です。たとえ聖霊様が内住されていてもそうです。ですから罪を犯さないように絶えず目を覚まして祈り続けなければいけません。
この事実をまだ知らない人々に緊急で知らせなさいと命じられました。
最後に、イエス様は再臨を予言されました。

イエス様、復活!

◼2014/4/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:ルカ27:36−44

★メッセージ

イエス様は真に死から蘇えられました。イエス様以外にも幾人かが蘇っています。エリヤとエノクは生きたまま天にあげられました。イエス様をラザロを蘇えらせました。これらは復活の前兆です。
イエスキリストの復活はまた死んでしまうような中途半端な復活ではなく永遠の命に至る復活です。第一コリント15:20 イエスキリストは復活の初穂です。復活には順序があります。先に信じて死んだ者がまず復活し天にあげられます。次に生きている信徒たちが天にあげられます。その復活の体はイエスキリストの復活の体と同じです。もはや肉体的な制限はありません。天使たち以上の体が与えられます。永遠に存在しどこにも存在することができます。第一コリント15:41−44 復活の体は決して朽ちることのない完全な身体です。病気になることも決してなく聖霊に満たされた身体です。罪を犯したくても犯せない、いや罪を犯そうとする心さえ起こらない身体です。しかし幽霊のようでもなく実体がありイエスキリストは弟子と共に食事もされました。
イエスキリストは弟子に、必ず再び戻ってくると話されました。この世の私たちの体は、信じていない者たちと同じですので罪の誘惑があります。いつ主が来られても良いように備えましょう。もう一つは、すべての人々に福音を伝えられるように命じられました。病人を癒し、御言葉を伝え、イエスキリストの弟子を増やすように命じられました。

2014年4月18日金曜日

◼2014/4/18
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ27:45−56

★メッセージ

いよいよイエス様が非常に苦しまれた後死なれる場面です。イエス様は隣に十字架にかけられた死刑囚の一人に、あなたは楽園にいると言われました。
46節 なぜわたいしをお見捨てになったのですか。私たちの代わりにイエス様が完全に見捨てられました。そして、私たちが赦されました。ああ十字架、ああ十字架と賛美にある十字架は私たちの罪のためであります。その恵みを覚えて感謝しましょう。

★ハットポイント

死刑囚の一人は十字架につけられたときは、もう一人の死刑囚と一緒にイエス様を侮辱していたわけですが、途中から切にイエス様に救いを乞い、最後には赦され天の国に入ることになります。
これを読むと、今もなおイエス様に逆らい続ける身近な人が、死ぬ瞬間にでも悔い改めれば天国に行けるという希望になります。もちろん死ぬ瞬間よりもずっと前に救われたほうがもっと良い人生を送れますので、私の親や親せきや友人が早く恵みで救われるように祈るばかりです。

2014年4月17日木曜日

そのときあなたは何をしたのか

◼2014/4/17
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マタイ27:15−44
◼タイトル:そのときあなたは何をしたのか

★メッセージ

日本ではプロテスタントではっきりとした殉教者がいません。
聖餐式を参加したとしても人間は続けて罪を犯してしまいました。
日本は自然も風土も素晴らしいものがあります。人の性質も素晴らしいです。ただし、個人的にはです。集団になると方向を見失い過ちを犯すことが多いです。
殉教は天の国での最大の報いですが、誰にでも殉教させるものではありません。殉教は一部の人だけに主が与えられたものです。
私より凶悪なものはありません、という告白があるように祈ります。

★ハットポイント

確かに日本人は個人的には誠実で真面目で人柄も良い人もとても多いのですが、国や企業の単位になると、いろいろな問題が発生してしまうように思われます。私がもといた会社でも優秀で素晴らしい人はたくさんいるのに全体になるとなぜか足を引っ張り合ってうまくいかないのですね。
やはり最後まで犠牲しても捧げたいという人が少ないからでしょうか。
イエス様が十字架につけられたとき、わたしは何をしていたのかと問われたら、やはり逃げてしまって罪人だと言わざるを得ません。

イエス様は真の王

◼2014/4/17
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ27:27−44

★メッセージ

イエス様は兵士たちからユダヤ人の王だと侮辱されました。彼らが言ったことは事実です。イエス様は真の王です。しかし、彼らはイエス様を馬鹿にしてそう言ったのです。人間の口はどれほど汚れているでしょうか。あらゆる悪しきものが口から出てきます。どんなにひどい罪を犯して死刑判決を受けた者に対してもこんな不当なことはしません。全く何の罪をないイエス様が完全に人間性を否定され動物の獲物かのように扱われました。私たちはあまりにも軽々しい者ですが私たちの信仰を成長させてくださるように祈りましょう。主を裏切ることのないように、あらゆる執り成しの祈りをヨハン教会でもしています。
イエス様はゴルゴタの丘で大いに苦しまれました。私たちもイエス様の全き十字架の苦しみを味わいましょう。それは私たちの罪のためであります。ぶどう酒を飲むと少し痛みが和らぐものでしたがイエス様はそれさえを拒まれました。イエス様がもし十字架を降りてしまわれたら私たちが十字架につけられなければなりませんでした。そのためイエス様は十字架での苦しみを全うされました。

2014年4月16日水曜日

雰囲気ではなく真理で決断する

◼2014/4/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ27:11−26

★メッセージ

悪事は秘密に速やかに行われます。
主を証することも良いことも今やらなければいけません。会社で良い身分の立場にいながらそのときは証せずに退職してしばらく経ってから証する者がいますが、残念なことであります。学生でも社会人でも今やれることを行いましょう。
人々はイエスキリストではなくバラバを選びました。バラバは殺すべきだったのですが解放してしまいました。私たちの欲望や執着、自分の安全だけを願うことなど殺してしまうべきものを十字架につけましょう。
雰囲気ではなく真理で決断しましょう。バラバかイエスキリストか決断を迫られています。自分の発言や行動に気をつけて下さい。それが主を苦しめる自分の家族や周囲の人々を苦しめることのないようにして下さい。

2014年4月15日火曜日

イエス様の十字架も主の御手にある

◼2014/4/15
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ27:1−10

★メッセージ

イエス様を三度も知らないと否定したのは驚くべきことではありますが、同時に我々の姿でもあります。自らを過信してはいけません。26:35 ペトロはたとえ一緒に死ぬことになってもイエス様を知らないとは申しませんと告白しましたが、裏切ってしまいました。フィリピ4:13 私を強めて下さる方のおかげで私にはすべてが可能です。パウロがしたこの告白をするものになりましょう。パウロは優秀な者でありながら、自らの知識、富をちりあくたのように見なしました。
祭祀たちは最高法廷においてイエス様を一方的に罪に定めました。公開することなしに夜中に秘密裁判をしました。最も主に従うべき身分にある者たちが最も大きな罪を犯したのです。

マタイ27章はイエス様がピラトに引き渡される箇所です。
この世のすべては主の御手にあります。政府や権力者が自分たちの意思で何かをやっているように見えるかもしれませんが、実際にはすべては主が統治しておられます。イエス様はその主の御手の中で十字架への道を進まれます。人々が自分の意思でイエス様を十字架につけたように見えますが、実際は主のご計画でした。最近、若者の伝道においてはなかなか難しいですが、主が未来を担う若者たちをリバイバルさせてくださると信じます。
イスカリオテのユダは自分が期待したリーダー像とは異なり銀貨30枚でイエス様を売ってしまいました。ペトロもイエス様を否定してしまいましたが、あまりにも自分が情けなくて激しく泣きました。私たちにも恥ずかしくてどうしようもないこともありますが、そのとき取り返しのつかないことをしないで下さい。主はどのような罪を犯した者をも主に立ち返るならば赦されます。主への反逆者となるか主の弟子となるか、その差は紙一重であります。自分がやった行動はみじめでしょうがないかもしれませんが、そのために主イエス様が死んでくださったのです。このアメイジンググレイスをもって日々歩み、また人々に伝えましょう。

2014年4月14日月曜日

ペトロは主を三度否定した

◼2014/4/14
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ26:69−75

★メッセージ

ペトロがいた場所ですが、58節 ペトロは遠く離れてイエスに従っていました。イエスキリストが捕らえられ苦しんでいたにもかかわらず、ペトロは中庭にとどまり周囲の人々と変わらない者になってしまいました。今、私たちはどこにいるでしょうか?遠く離れているのなら悔い改める恵みがあるように祈ります。信仰のカラーを改めましょう。イエス様が冷たいところにいるのに私たちだけ暖かいところにいないでしょうか。
69節 一人の女中が近寄ってきて一対一で話しかけたのですがペトロは皆の前で「わからない」と打ち消しました。ペトロは勇気のない心で違うとも言わずわからないというあいまいな回答をしました。責任回避をするいい加減な行動です。私たちの生活でもあいまいにして他人に責任を押し付けていることはないでしょうか。4月は新しい環境でのスタートが多い時期ですので、初めから勇気を持ってクリスチャンの態度で臨みましょう。
72節 ペトロは「知らない」と誓って打ち消してしまいました。関係ないという言葉を使わないようにしましょう。74節 ついにペトロは呪いながら「知らない」と言ってしまいました。追い込まれたら降参すれば良いのですが、さらに嘘をついて深みにはまっていくことが私たちにはあります。
75節 ペトロは「鶏が鳴く前に三度わたしを知らないというだろう」というイエス様の言葉を思い出して激しく泣きました。ペトロは悔い改めて激しく泣いて再び主のもとに立ち返りました。一方でイスカリオテのユダは悔い改めることなく自殺してしまいました。私たちも罪を犯したら泣いて悔い改め主のもとに立ち返りましょう。主は受け入れて回復させてくださいます。

2014年4月13日日曜日

我らの罪のため、代わりに死なれたイエス様

◼2014/4/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:我らの罪のため、代わりに死なれたイエス様
◼聖書箇所:マタイ27:31−37、45−51

★メッセージ

主が与えられたメッセージです。聖霊によって働くクリスチャンになりなさい。また、タラントのたとえで、与えられたタラントをよく管理して増やして主に捧げなさい。また、山羊と羊のたとえです。
かつてエジプトの民が主の言葉を拒み悔い改めなかったため、モーセを通してエジプトで10の災いを起こされました。最後の災いは長子が死ぬ災いでした。主はイスラエルの民に家の入り口の二本の柱に子羊の血を塗りなさいと命じられその命令に従った家を過ぎ越されました。このようにして、人々は罪を動物の血によって贖う必要がありました。
イエスキリストは神でありながら人としてこの世に来られ、罪が何であるかさえ知らなかいほど罪がなく完全に清い身でありながら、すべての人類の罪を背負って十字架につけられ苦しまれました。イエスキリストの血は動物の血とは違い永遠に救いの効力が続きます。そして、この血によって贖われたことを永遠に記念して行うために聖餐式を行うようになりました。

聖書には用いられた者あるいは裁かれた者など様々な人物が登場します。
ペテロは12弟子の中でもトップレベルの弟子であり謙遜であり模範的でした。しかしこのペテロでさえも、イエス様がゲツセマネで祈るときに一緒に祈ることができず眠ってしまいました。また、イエスキリストが捕らえられたとき三度イエスキリストを否定しました。そのペテロをイエス様は復活後、再び呼んで愛してくださいます。わたしを愛するかと三度尋ねて信仰を確かめられます。
最後のほうではピラトの名前が多く出てきます。ピラトはイスラエル地方の全権を握っている総督であり、民たちはイエスキリストを罪に定める権限がありませんでしたので、ピラトに懇願します。
クリスチャンが亡くなったら天国に直行ですが、ノンクリスチャンが亡くなったら地獄に直行です。地獄は決して死ねないことであり永遠に裁かれます。律法は夢の中でも破ってはいけないほど厳しいものでした。イエスキリストの贖いなしでは誰もイエスキリストの御前に立つことができません。
キレネ人シモンはイエスキリストの十字架を代わりに背負うことになりましたが、その後、大いに祝福されました。
イエスキリストと共に十字架につけられた犯罪人のうちの一人はその場で救いを願い求め救われました。
イエスキリストの死後、アリマタヤのヨセフは死体を引き取り葬りました。

イエスキリストが死ぬ時残した財産は一つもありませんでした。着ていた服でさえもローマの兵士たちが奪い合いました。それでもイエスキリストは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。」と私たちの罪の赦しのためにとりなされました。
そして、イエスキリストは霊と魂と肉体のうえで完全に父なる神様から捨てられました。

2014年4月10日木曜日

イエスキリストの三つの愛

◼2014/4/10
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ26:26−35

★メッセージ

イエスキリストの愛はまず弟子たちにイエスキリストの愛を覚えさせることでした。聖餐式を行い自らの罪を徹底的に悔い改め主による贖いを思い起こさせます。イエス様は受難の直前に聖餐式を行い弟子たちに御言葉を守るように教えました。主は私たちのすべてをご存知ではありますが、私たちが積極的に祈りを捧げることを望んでおられます。主は覚えさせる愛を私たちに与えられました。
二つ目は仕えさせる愛です。イエスキリストの受難と復活を人々に伝えることです。多くの人々のために流されたイエスキリストの血潮を伝えます。これがぶどう酒でありパンです。
三つ目は先回りする愛です。32節 復活した後先にガリラヤに行く。主がペトロに離反を予告したのはペトロを罰したのではなく、一度は裏切るがその後罪を告白して主に立ち返ることを愛を持って伝えたかったのです。主は私たちのどんな失敗も受け入れてくださいます。

2014年4月8日火曜日

何も証がないならば祈っていないことと同じ

◼2014/4/8
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ26:1−16

★メッセージ

砂の上の城のような水が流れたら全て流されてしまうような信仰ではなく岩の上に建てた堅固な信仰となりましょう。律法学者たちは聖書をどんなに学んでいても全くイエスキリストを知りませんでした。信仰を持っているようでいてもイスカリオテのユダのように一瞬で崩れてしまいます。そうならないように、悔い改める恵みがあるように祈ります。
4節 計略を用いてイエスを捕らえ殺そうとした。登場、70人くらいの人々が集まって話し合いましたが、誰一人も反対を唱える者がいませんでした。日本では悪いこととわかっていても意見を出さず声の大きい人が言ったらそれに従ってしまうことが多くあります。クリスチャンは何が正しいか知って声をあげなければいけません。
毎日祈っていても一つも実現せず何も証がないならば祈っていないことと同じかもしれません。主は必ず働いて下さると信じましょう。主の計画は着実に進んでいます。人間の策略によって一度も止まったことがありません。
女性が捧げた香油は当時貴重であり外国から輸入したものでした。イエス様は自分が十字架につけられると言われて女性が葬式に備えるために香油をかけたにもかかわらず、弟子たちはもったいないと愚かなことを言いました。どんなに毎日聞いていても何もわかっておらず変わっていないことは残念なことです。
13節 イエス様が仰ったようにこの女性の話は聖書に3回登場し、幅広く伝えられました。

2014年4月6日日曜日

ヨハン教会に導かれて

ここ最近はテレビを見る暇もないほどの忙しい毎日ですが、ふと立ち止まって振り返ってみると、自分がヨハン教会に導かれて洗礼を受けてから、ちょうど12年間が経過していました。
私が初めて東京のヨハン教会に来たのは約14年前でしたが、その頃は聖殿が移ったばかりで内装工事中であり、パイプや壁がむき出しになっている中で礼拝をしていたのを覚えています。当時は教会のことはあまりわかりませんでしたが、数個の教会が開拓されていたというところでしょうか。
それからしばらくして私は主を信じ受け入れ洗礼を受け、この教会に通うことになりました。それからは毎年のように教会が開拓されてどんどん増えていき、何かすごい勢いを感じていました。毎年、ヨハンと名のつく教会が建てられるたびに、その場所と順番を覚えて祈っていましたが、最近は数がさらに多くなってついに覚えるのが難しくなってしまいました。自分の年が増して記憶力が鈍くなり覚えられなくなったということもありますが、簡単には覚えられないほど、教会が建っていくことは、ものすごい恵みだと思います。
現在はヨハン教会連合として約50近い教会が全国に開拓され、たくさんの主の僕が各教会に派遣されていることは、驚きと共に大きな主の恵みを感じさせるものであります。

私が教会に導かれて以来、共感していたヨハン教会のビジョンとして、「今日の日本宣教、明日の世界宣教」というものがあります。今日、確実にこの日本で福音を伝え、明日には世界に伝えていく、そういう大胆で力強いビジョンは、今の日本人にとって必要なものではないかと自分がクリスチャンになる前から感じていました。ただ大っぴらに夢を語って途方もないことをしようとするのではなく、確実に足場を固めていき、次に向かっていくことは、混迷極めるこの時代ではますます重要になっていくのでしょう。ヨハン教会での信仰生活を送って、はや12年、まだまだ中途ではありますが、今までの恵みを思い起こしながら、さらにもっと素晴らしい主の恵みを体験していきたいものであります。


四旬節説教(4)メシアとしてのイエス・キリストとペトロ

◼2014/4/6
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:メシアとしてのイエス・キリストとペトロ
        四旬節説教(4)
◼聖書箇所:マタイ26:31−41、69−75

★メッセージ

ペトロの代わりに自分の名前を当てはめて聖書の箇所を読んでみて下さい。
フィリピ2:6 キリストは神の子の身分に固執せず人間として来られ、死に至るまで従順でした。ゲツセマネでの最後の夜の祈りでは汗が血に変わるほど祈られました。さらにその後、もっとひどい苦しみを受けます。悪口を浴びせられ十字架につけられ苦難を受けました。十字架刑は歴史的にも最も残酷な刑罰です。
ペトロは単純で影響を受けやすい人物ですが行動派で思ったことをすぐに行動に移すタイプでした。主イエスキリストはこのペトロの姿を評価されました。
イエスキリストが弟子たちの足を洗って人に仕える姿勢を教えたに関わらず弟子たちは誰が偉いか議論していました。人間の罪性は簡単には変わりません。徹底的に悔い改め十字架に釘付けられなければなりません。

今の体は復活の体ではありませんので努力しても罪を犯すことがあります。そのため誘惑に打ち勝つように様々な戒めを与えています。
主を愛する者は御言葉を読むことと祈ることが好きになります。祈ることが好きになるようにしましょう。
正しい人の祈りは力があります。執り成し祈りを積極的にしましょう。第一ヨハネ5:14 何事でも神に願うなら聞きいれて下さいます。祈りは答えられるためにします。社会的に低く見られている人でも祈りに励む人は主が高めて下さいます。最後のときには皆が信仰と愛が冷え込みやすいですが、そのときにも信仰を最後まで保つ者が救われます。
ローマ8:26 万事を益として下さいます。ペトロが主を否定したとき、一度目は普通に知らないと、二度目は誓って知らないと、三度目は呪いながら知らないといいました。ペトロは夜明けに鶏が鳴くたびに非常に心が痛くて泣きながら祈ったそうです。聖霊降臨で回復されたペトロはリーダーとして他の信徒たちを導きます。
イスカリオテのユダは悔いることをしましたが改めずに自殺してしまいました。悔い改める者が天国に行くことができます。そのような者が再び主にダイナミックに用いられます。ヨハン教会でも、ペトロが回復されたように私たちも回復されるように祈り信じましょう。

2014年4月5日土曜日

競技者としての信仰生活

◼2014/4/5
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:一コリント9:24−27

★メッセージ

星はそれぞれ輝きが違います。肉眼で見えるものがあれば望遠鏡で見ないと見えないものもあります。それと同じように天の国における輝きは皆違います。24節 皆競技に参加しますが賞を受けるのは一人だけです。マラソン競技では何万人もの多くの人々が参加します。市民たちはお金を払って参加し優勝が目的でなくむしろ参加することが目的です。一方で、最前列にいる競技者たちはプロとして優勝するために走ります。優勝でなくとも入賞を狙います。何万人の中でわずかな者が入賞します。
クリスチャンは競技者として信仰的な目標を持たなければいけません。一つは人格的な目標です。弟子訓練はその人が内面的に人格的に備えられていくことです。昨年の私より成長が見られなければいけません。信仰的な自己満足に陥ってはいけません。beingではなくdoingにつながる必要があります。フィリピ 2:6 キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず  キリストは自分の神の子としての姿に固執せずに、受肉して人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで従順になりました。
あなたがたは教会だけでなくこの世の光と塩です。自分の今の地位や環境に満足せずに使命感を持って目標を目指していきましょう。
一つのジョークがあります。ある牧師は会堂でメッセージをしていますが、信徒たちは眠ってしまって祈ることをしませんでした。一方で、信仰はいい加減で運転が乱暴なタクシー運転手はひどい運転をするので、乗車した客は安全を祈らざるにはいられませんでした。牧師よりもタクシー運転手のほうが信徒たちを祈らせたので報いが大きいでしょうか。実際に天の国において誰が評価されるかわかりません。
現代では狂わなければ最前線に立つことはできないとも言われています。コカコーラを創業した者は私の血にはコカコーラが流れているとさえ言っています。使徒パウロのように伝道に狂わなければ宣教を成し遂げることはできません。聖書の中では能力が足りなくて叱られた者は一人もいません。叱られたとしたらやらなくて叱られました。doingの姿勢で主に捧げ喜ばれるものになりましょう。

2014年4月3日木曜日

忠実で賢い僕

◼2014/4/3
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:忠実で賢い僕
◼聖書箇所:マタイ24:45−51

★メッセージ

十字架には二つの苦しさがあります。罪を負う痛さと恥ずかしさです。

賢い僕はギリシャ語ではオイコイモス、忠実な管理人という意味です。問題は油断したときに起こりますので、常に忠実である必要があります。たとえいつもよくやっていたとしても一回堕落して罪を犯すならば暴かれます。
人の幸いは主が決めるものです。サムエル15:22 主が喜ばれるのはいけにえでなく主の御声に聞き従うことである。すべては主が決められます。しかし、サウルはいつも自分の考えを捨てられず神様に逆らっていました。
悪い僕とは、方法論的なところばかり長けていて人のスケジュールを把握したりコツをつかんだりして良く立ち回りますが、主人が見ていないときにはいい加減にする者です。任せられた働きをせず自分勝手に行う者です。良い僕は主人がいつ帰ってくるかなど気にせず、忠実に働きを行います。善には鋭く悪には疎くあれ。主は悪い僕を必ずや徹底的に罰します。

マタイ16章~24章:主の教え

◼2014/4/3
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マタイ24:32−24

★メッセージ

人間の肉体が死ぬならばクリスチャンは霊魂が天国に直行します。途中でこの世をさまようことはありません。一方で主を信じない人が死ぬならば地獄に直行します。悔い改める余地はありません。
サタンはキリストを信じている人を最後まで騙し罪に陥らせようとしますが、主に本当につながっている人は騙されることはありません。
ヨハン教会の皆さんは主イエス様の血潮を受けましたか?これに確信を持ちましょう。主イエスキリストの血潮の力が私たちを完全に清めて下さいます。ただ、ときに罪を犯すかもしれません。それゆえ、コリント二5:17にあるように、日々新たに創造して下さいます。自分で努力して聖書を知り尽くし信じたのではありません。ただ聖霊様の恵みによるのです。

33節 人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。主イエスキリストが天の国の戸口に近づいています。すなわち再臨の時が近づいています。この世で受肉したイエスキリストは十字架につけられ弱々しい姿でしたが、天の国におられるイエスキリストは、目が燃え勇ましい姿です。このイエスキリストが再臨されるとき、ノンクリスチャンはどうしようもない絶望感で泣き崩れますが、クリスチャンは感動の涙であふれます。

マタイ16:21からイエスキリストはご自分の十字架の受難と復活について本格的に予言され始めます。マタイ16:16 ペトロはイエスキリストに対して「あなたはメシア、行ける神の子です。」と信仰を告白しました。このように信仰告白したものに天の国の秘密を解き明かされます。
マタイ17:22 主が人々に引き渡されようとしている。マタイ20:17で十字架での死と復活を予告します。
地上では天の国のもう一つのモデルが家庭です。主は決して離婚してはいけないと仰っています。家庭は不思議な神秘感があふれるところであり、長年結婚生活をしたとしてもすべてを知ることはできません。19章は家庭を大切にしなさいというメッセージです。12節までが夫婦、13節からは子供について、16節からはお金で豊かになるのではないことを教えています。20章では、ぶどう園に労働者が必要なように教会では働き人が必要なことを説いています。どんな人でも主が働き人として用いられます。我々の体が神殿です。21:33でもう一度ぶどう園のたとえが出てきます。22章の婚宴はぶどう園のたとえとつながっており、天の国での喜びを表現します。聖霊様が人を監視して何かいつも叱ることばかりすることはありません。聖霊様は慰め主、癒し主、清め主です。
22章では律法学者たちがイエス様を試すために学者が様々な質問をしますが、イエス様はすべて的確に答えられます。23:13 偽善者は不幸だ。23:16 ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。信仰を持っている者が偽善者になりえますので注意が必要です。24:40 一人は連れていかれ一人は残される。連れていかれるのが自称クリスチャンとは限りません。これは怖いことであり常に悔い改めて信仰を新たにする必要があります。24:45 僕はデュロス、所有権のない者を意味します。使用人はオイコイモス、管理人であり、執事のような者で主人のものを持って管理します。使用人として任せたが僕のような意識を持って所有権を主張しなかったものです。

16章から24章まで通してみましたが、まとめますと、第一に僕のように主に忠実に仕えなさい。第二に仕事、家庭において忠実に行いなさい。そうすれば思わぬほどの喜びがやってきます。

2014年4月1日火曜日

ユビキタス

◼2014/4/1
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:コリントニ 4:1−11

★メッセージ

現代では新聞やニュースもみると様々な大変な事件が起きています。たとえばロシアのクリミア半島問題、マレーシアの喪失した航空機。今まで確立した論理や手順が全く意味をなさなくなる時代であるともいえます。イエス様は、最後の日が近づけば近づくほど不法がはびこると言われました。互いに告発し合い愛がなくなると言われました。
知識が交通のようにあふれると預言されました。インターネット技術の発展によりあらゆる情報にアクセスできます。ユビキタスとはもともと神様の言葉で、あらゆるところに存在しうるということです。
38年間癒されなかった病人をイエス様は癒されました。ただ癒してくださいと言うだけで癒されました。一つの条件がありました。もう罪を犯してはならないと命じられました。
イエス様に仕える僕だけでなく人に仕える僕だとパウロは言っています。教職者は信徒たちに仕えます。パウロはイエス様に仕えるゆえにあなたがたに仕えるようになったと言っています。
16節 たとえ私たちの外なる人々が衰えるとしても内なる人は日々新たにされます。7節 私たちは土の器です。割れやすいですが、ここに納められた宝は神の国は偉大な力を持っています。これは人間の力でなく聖霊の力です。

2014年3月30日日曜日

隣人を自分のように愛しなさい

◼2014/3/30
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:マルコ12:28−34

★メッセージ

旧約聖書には、〜しなさいという命令の律法が248個、〜してはいけないという禁止の律法が365個、合計613個の律法がありました。その中でも最も重要なものは何かと一人の律法学者がイエス様に尋ねます。申命記6:4-9には、心を尽くし魂を尽くし力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさいとあるように、イエス様は答えられました。するとこの律法学者は納得して答えました。偽善的な学者が多かったですが、この学者は主を求めていた者でした。
弟子は少しでもイエス様のようになりたいという思いを持って近づいたものでした。一方で群衆は人々の影に隠れながら自分の都合でイエス様に近づき自分の利益を求め、不利になるとすぐに離れるような存在でした。
隣人を自分のように好きになりなさいではなく愛しなさいと言われました。好きになるのは感情的な勢いでやれることもありますが、愛することは忍耐と努力が必要です。私たちが愛を持って接するべき隣人はどこにいるでしょうか。自分が属する組織の中にそして外にいます。拒んでいる隣人はいないでしょうか。

2014年3月27日木曜日

あなたたちは不幸だ

◼2014/3/27
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:あなたたちは不幸だ
◼聖書箇所:マタイ23:13−22

★メッセージ

エルサレムに来たイエス様を人々は喜んで受け入れましたが、本当にイエス様を受け入れるのかどうかが問題です。やがて、イエス様が来られた目的が自分たちの利益とは異なるのを知りイエス様を裏切り迫害していきます。
イエス様を可愛くしてはいけません。最近の日本では大変なことを可愛く書く傾向があります。シリアスな内容を美少年美少女を使って漫画したりします。アンネフランクの日記は実際は非常にドロドロして残酷な内容なのですが、それを可愛らしいアンネに変えどこかメルヘンチックに変えてしまうのです。
ある女はイエス様のもとにきて油を注ぎました。イエス様は真の預言者であり、生きた神様の御言葉を忠実に確実で伝えられる最も優れた預言者たちでした。私たちが一番恐れなければならないのは、神様から叱られることではなく神様から捨てられることです。
サタンは地獄に行く道連れを探しています。そして道連れにした者を最後まで最も憎み侮辱します。それが悪の本質です。
日本のおもてなし文化とは一種の仮面文化ともいえます。マクドナルドなどの店にいけば、いらっしゃいませーと高いトーンで素晴らしい歓迎を受けますが、家でそのように挨拶するでしょうか。お客もそれで満足してしまうのかもしれませんが、本物の交流ではありません。イエス様はそのようなことはお構いなく堂々と相手の心に踏み込んでいって御言葉を伝え救おうとします。

お金が現実に見えるものだからファリサイ派の人たちはそのように言いますが、彼らは本当は目が見えない者たちでした。主を信じているふりをして実際には目に見えるお金の力を信じているのは偽善者です。
神殿の中に住んでおられる方、神の玉座に座っておられる方は、真の神様です。

世の中でも保証人となる人はその人が対象の人とどういう関係にあるか、対象者がお金を返せない場合などに賠償してくれ人なのかそれが問題になります。
隠すことなく偽善者にならないでただありのままを主の前に捧げましょう。神様の前にオープンであるのはもちろんのこと人々の前でもオープンなものでありましょう。

2014年3月26日水曜日

知識は人を高慢にします

◼2014/3/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ22:34−46

★メッセージ

律法学者たちは御言葉を論理的に分析したり分類したりすることばかりに力を注いでいました。そこにイエス様が現れ、律法全体をたった二つの掟にまとめました。律法学者たちはどれほど唖然としたことでしょうか。まるで赤ん坊が熊に戦いを挑むかのようです。律法そのものでありそれを完全に熟知し守られる方に対して、重箱の隅をつつこうとしました。
知識はときに人を高慢にします。全く知らない人は何も言えませんので言いません。あるいは全てを知っている人は言うのが怖くて何も言いません。問題なのはある程度知っている人であり、この人たちはたくさん言おうとします。福音を適当にある程度知っている人も問題です。
教職者の中でも知識に入り込みすぎてしまう人がいます。ギリシャ語やラテン語だけでなく、シリア語やアラム語まで究めようとする人がいます。専門家であるならばわかりますが、通常の牧会のためであれば的を外しているといえます。

愛は涙の種です。100%の愛で主に捧げて尽くして下さい。
44節 わたしの右の座につきなさい。あなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで。主の右の座につかれる方はイエスキリストであります。

2014年3月23日日曜日

四旬節説教(2)捨てた石が親石になられたイエス・キリスト

◼2014/3/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:捨てた石が親石になられたイエス・キリスト
        四旬節説教(2)
◼聖書箇所:マタイ21:33−46

★メッセージ

現在は四旬節です。イエスキリストがどうして十字架につけられ死ななければならなかったのか、それは自分の罪のためであったことを覚え告白し主に捧げる期間となりますように。
28-32節 二人の息子のたとえは、当時、イエス様が福音を伝えたが信じなかった人々と、伝える対象ではなかったが信じた人々を表現しています。ヨハン教会の皆さんはいかがでしょうか。ある面は信じて従うがある面は信じないというような間違った信仰を正して主に従うものとなりましょう。
33節からは、ぶどう園の農夫と主人の話です。主人は主イエス様を、ぶどう園は神の国を、絞り場は限りない恵みがあふれる場所を意味します。農夫たちは、教会の一つ一つの重要な役割を担う建物の柱のような人々を意味します。
農夫たちは収穫の一部を主人に納めるという契約を結んでおり、主人はそれを受け取るため僕を送りました。3とは聖書では完全な数です。最初に送った三人の僕は収穫を受け取るのに十分な人数でしたが、農夫たちは三人に惨いことをします。この僕はイエスキリストの証人を示しています。最後には息子、すなわち受肉した神の子イエスキリストを送りました。神様は私たちが実を結んでいるかどうか調べられます。
マタイ7:17 良い木は良い実を結び悪い木は悪い実を結ぶ。実によって見分けることができる。人格的な実と伝道養育につながる実を意味します。
ヘブライ4:13 神の前に隠れたものはなくすべてのものは神の御前で裸でありさらけ出されています。
コリント第二5:10 自分の行いに応じて報いを受けます。
ヨハネ15:2 実を結ばない枝は取り除かれる。実を結ぶ枝は豊かに手入れされる。
実とは、クリスチャンとして生まれ変わって聖霊様と共に歩んでいる者の印であり、愛があり従順であり言葉づかいも行動も品性があるような者です。愛は人格的な実践でありロボットのように機械的なものではありません。愛することは謙遜になることです。
主は収穫を待ち望んでおられます。実を結ばない罪を犯さないように四旬節の期間によく悔い改め実を結ぶように励みましょう。

農夫たちは子供まで殺したら農園が自分のものになると錯覚していました。
季節ごとに収穫を納める人々とはどういう人でしょうか?環境が悪い状況が悪いといっていつも周りのせいにし、いつも明日やりますと言って行わない人、言い訳ばかりの人は違います。クリスチャンは一週間単位で生きなければいけません。神の子イエスキリストが私たちの罪のために十字架にかかり死んだことを覚え主に自らを捧げましょう。
42節 当時のイスラエルではほとんどを石で家を建て、一部木材を使用しました。人々が退けたイエスキリストが真の救い主となられました。打ち捨てられて誰の目にも止まらない隅の石がイエスキリストでした。イエス キリストの働きはわずか3年半でしたが、あらゆる病人を癒し人権のない者に救いの手を与え律法学者たちに真実を教えました。
ヨハネ5:39 聖書はイエスキリストを証する書物です。ヨハネ5:24 わたしを信じる者は裁かれることなく永遠の命へ移っている。
積極的に主イエスを愛し周囲の人々を愛しましょう。そうすれば、四旬節で意味深く豊かな生活が待っています。

43節 神の国はあなたたちからとりあげられ、ふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。ユダヤ人たちは福音は自分たちのものとばかり思い込み他の民族に伝えることをしませんでした。それは神様が最も忌み嫌うものです。
ふさわしい実を結ぶ民族が日本人であり、その実を結ぶために、ヨハン教会でも福音伝道の働きがますます活発化されるように祈ります。職場、学校において愛の輪、清めの輪、赦しの輪を広めていきましょう。
45節 ファリサイ派の人々は自分たちのことを言っていると気づきましたが悔い改めませんでした。気づいて悔い改めれば、それまでの罪がどんなものであったにしても主は赦し高めて下さいます。

2014年3月20日木曜日

イエス様の真の権威

◼2014/3/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:イエス様の真の権威
◼聖書箇所:マタイ21:23−32

★メッセージ

リーダーは自ら信仰の実践をしないと実りがなく教えることができません。いちじくの木のように実がなく切られてしまいます。人が簡単にできることをしたとしても勝利になりません。主しかできないという実を残し証するものになりましょう。
訓練とはただ御言葉を教えるだけでなく実行できるようにすることです。聖書は論理的にもよく教えればよく学び信仰に至ることができます。イエス様を学ぶことに躊躇してはいけません。イエス様も学ぶと賢くなり秩序も守るようになります。愚かな者も賢い者になります。中高校生に聖書を教えると最初は落ち着かなかった学生たちもやがてメッセージのノートをとり自分が学んだことを整理し述べられるようになります。
イエス様は神殿で御言葉を教えられました。主の宮である教会で教えると他の場所で教えるよりも後押しされているようで良く教えることができます。教会にはイエス様の権威が満ち溢れているからです。
イエス様を信じると他のものに対する恐れがなくなり死さえも恐れなくなります。遠藤周作は「沈黙」という題の本を書きましたが、神様が沈黙しているように感じるのは信仰がないからです。信仰があればどんな場所や状況においても主が働いて下さることを感じます。

二人の息子の例えでは、兄は嫌ですと言いましたが考え直してぶどう園に行って働きましたが、弟は行くといいながら行きませんでした。行いが実際の信仰を表しています。
主を軽んじてしまう人は教会の先生や学ぶことに従わず、むしろ仕事やお金にのめりこんでしまいます。そのような人には主の権威をもってわかるまで教えなければいけません。主を否定する人は従うと損をするのではないかと誤った考えをもっています。実際は世の中の考えでいるほうがもっと損をします。十一献金をする人はなぜかお金に困ることがあまりありません。むしろ、献金をしない世の人々のほうが給料日の一週間前になるとお金がなくなり苦しんでいます。

実を期待される

◼2014/3/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マルコ12:12−25

★メッセージ

当時の群衆はイエス様をローマから解放してくれる救世主として受け入れ歓迎しました。
12節 イエス様は空腹を覚えられました。これは単純に空腹であったということではなくイエス様が木の実を見ようとされたのです。
いちじくは派手ではありませんがイスラエルを象徴する木です。日本でいう桜の木のようなものです。実がなっていないこの季節にイエス様はわざわざ近寄って実を探されました。どうしてでしょうか?それでも実がなっていることに期待していました。
ホセア9:10 荒れ野でぶどうを見出したようにイスラエルを見出した。いちじくが初めてつけた実のように先祖を見た。イエス様はイスラエルの人々に実りがあることをとても期待していました。
マタイ23:37 めんどりが雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。鳩の巣から卵を一つとっただけでも親鳥は騒ぎだします。卵一つ一つを少しでも自分の羽の下で暖めたいのです。イエス様は私たち一人一人を憐れんでおられ豊かに実を結ぶことを期待しています。それゆえ、いちじくの木の実を枯らしてでも警告しようとしました。

神殿の商人はまじめに神殿に通っているようでいながらイエス様の神殿を荒らしていました。形式主義的な信仰生活に対して警告し主が怒りを発しておられます。形式主義という偶像礼拝を主は厭われています。律法学者たちはイエス様よりも群衆の目を気にして恐れていました。群衆から良く思われたかったのです。私たちも人の目を気にするのではなくイエス様だけを見上げて愛する者になりましょう。
祈る相手を赦しなさい。人のために祈り始めるときまず赦すことから始まらなければなりません。私が赦していただいたから他の人を赦そうという決意がありますように。
24節 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすればそのとおりになる。

2014年3月19日水曜日

主の用いる器

◼2014/3/19
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ21:1−11

★メッセージ

韓国では1970年代に若者を中心に大きなリバイバルを遂げたくさんの献身者が生み出されました。しかし、1980年代になってその流れが止まり今は教会を建てるのが大変なほど苦しい状況にあります。大きな教会もたくさんありますが、それが何の苦労もなしにできたと思ってはなりません。イエス様の杯を飲みますと言った弟子たちもその深い意味を理解していませんでした。天の国の王座に座ることはどれほど犠牲が伴うことでしょうか。弟子たちは結局、イエス様を裏切って散りぢりになってしまいました。
人は何も困難がないと祈らなくなる傾向があります。リーダーはうまくいっている時にもよく祈って未来に備えなければなりません。よく備えた者は必ず苦難を乗り越え主と共に歩む者となります。ヨハン教会の日本人、中国人の信徒たちも主が見ておられると信じます。

イエス様が来られたとき、盲人はイエス様に憐れんでくださいと叫びました。本当の盲人は誰でしょうか?パリサイ人、ファリサイ人などの律法学者たちでした。
イエス様は弟子たちにろばを連れてくるように命じます。ろばを買ってきなさいとか交渉して借りてきなさいとかではなく、持ち主がいないにもかかわらず連れてきなさいといいます。一般的な人間の取引ではありませんが、主が万物を支配しておられることの証であります。主が用いようとするものは即時に何でも用いられます。しかし、私たちが言い訳が多過ぎるとなかなか用いられません。ヨハン教会の日本人、中国人の信徒たちが主の貴い器として用いられることを願います。
この世での人々からの称賛を目当てにして奉仕をしないでください。それらはやがて消えてなくなる虚しいものです。主イエス様の喜びだけを考えて奉仕を捧げて下さい。神様の必要に敏感になって下さい。私有化された祈りや働きをおろしてすべての主人公はイエス様として栄光を主に帰しましょう。

2014年3月16日日曜日

四旬節説教(1)人の子は仕えるため、また身代金として来られました

◼2014/3/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:人の子は仕えるため、また身代金として来られました
        四旬節説教(1)
◼聖書箇所:マタイ20:17−28

★メッセージ

四旬節は聖書の中でもクライマックス的な箇所といえます。
マタイ16:21 エルサレムで苦しみを受けて殺され三日目に復活するとイエスは弟子たちに予言されました。
私たちが父なる神様と告白し洗礼を受けることは、私たちの努力や独自の意思ではなく、主が前もて約束されたことです。地獄に陥る人々は福音を伝えてもその場では信じず明日信じますと言います。
本来は喜ぶべきですが、復活するとイエス様が仰ると人々は悲しみました。人々は自分のことばかり考えているからです。

イエスキリストによる贖いの業は十字架です。あらゆる悪行を浴びせられ暴力をふるわれ卑しめられて死なれました。それによって私たちの罪を贖って下さったことを忘れてはいけません。イエス様の死が肉体的な死だけであれば私たちはた肉体的に復活できるだけです。イエスキリストは肉体的だけでなく精神的に、感情的に完全に死なれました。それゆえに天国に完全な姿で入ることができます。
エフェソ2:1 かつて私たちは罪の中を歩んでいましたが恵みにより救って下さいました。

神の子イエスキリストがなぜ苦しまなければならなかったが四旬節のポイントの一つです。
ヤコブとヨハネの母はイエス様のところに来て、自分の息子たちを王座の両隣に座れるように言いました。これは神の国で総理大臣の近くにいる大臣にして下さいと言っているようなものです。しかも他の聖書訳によれば、イエス様にそうするように命じています。非常に無礼な発言でしたが、この母親を含めて人々は自分が何を願っているかよくわかっていませんでした。

男性は一番苦しいときに弱くなって縮こまってしまうことがあります。最も堕落した暗い時代には女の預言者が働きました。大変な時代にも女のリーダーが現れます。賢い女性は男性の自尊心をうまく刺激して大変な状況でも奮い立つようにさせます。
クリスチャンには弟子と群衆の二種類がいます。群衆は自分のことばかり考えて行動するので用いられません。自分を犠牲にして主に捧げる弟子が用いられます。
仕える者はギリシャ語でディアコノスと言いますが、これが後で執事に変わりました。仕えることと奉仕は違います。奉仕とは、高いレベルにある人が低いレベルにある人たちに対して臨時的に低くなり行うことです。一方、仕えることとは、終始、低いレベルですべての人に捧げることです。イエスキリストの名でできると言うものはそれらを行うことができます。聖霊様の超自然的な力を主は与えてくださいます。それが証になります。

2014年3月13日木曜日

天国と永遠の命

◼2014/3/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:天国と永遠の命
◼聖書箇所:マタイ19:13−22

★メッセージ

イエス様は天国のことを語りたかったのですが、人は罪人であり天国のことを理解できないため、たとえを持って語られました。
人は持っているものや容姿で劣等感や高慢さなどがありますが、天国にはそのようなものは全くありません。
イエス様との関係は完全な親子関係です。今の時代には変な親たちも多くいて親を尊敬できない子供も多いです。この世の親は完全ではありませんし、自分自身の人生もよく生きることができなく、やがて死ぬべき存在です。本当に私たちを守ってくれるのは完全でおられるイエス様です。

金持ちの青年は、永遠の命を得るにはどんな良いことをすればよいかと聞きました。彼は自分が良いことをする人だという自身があったのです。彼は自分が良いことをたくさんしたから永遠の命をもらえると思っていました。どれほど高慢な者でしょうか。実際、永遠の命は良い行いではなく信仰によって与えられます。
18節で、青年は「どの掟ですか」と質問します。自分は全て守っているかのような高慢な質問です。それに対してもイエス様は丁寧に答えてくれますが、一つだけ、貪欲に対する掟が抜けています。20節では「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか」と高ぶります。完全に律法を守れる人がいるでしょうか。心の中で人を妬むだけでも罪です。信仰を持つ前の私たちはこの青年と同じような者でした。
天国での善い行いはこの世のものとは異なります。この世ではお金が基準ですが、天国では行いではなく信仰により永遠の命が与えられます。これこそ真の平等な関係です。
ヨハン教会の信徒たちは大金持ちはいませんので、むしろ幸いかもしれません。

マタイ18章

◼2014/3/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マタイ18:1−20

★メッセージ

1-4節は弱い人を大切にしなさいというメッセージです。第一に子供たちを大切にするように言われました。子供もうつ病になりますし、他の病気にもかかります。子供らしい子供は大人をあまり気にせず自分の言いたいことをストレートに言いますが可愛らしさがあります。家庭の雰囲気が良くない場合は大人を気にしすぎてしまいます。
10節では、小さな者ひとりでも軽んじないように言われています。子供たち一人ずつ大切にする雰囲気を作りましょう。イスラエルでは12歳までが子供で、12歳になると独自の成人式をします。
イエス様は子供たちを大切にしない者たちには理性的にではなく感情的に怒られました。そして、うるさい子供たちを自分に近づくようにさせました。イエス様は通常、怒る時には理性的にまた意思的に怒るものですが、このときは感情的になられました。
イエス様は弱い人、たとえば信仰が弱い人、社会的にうまくいかない人をも大切にしました。一方、他の宗教ではよく今の自分がよくないのは前世や行いが悪いと批判します。
第一テサロニケ5章12節からは教会での兄弟姉妹たちとの交わりについて言及しています。12節 導き戒めている人々を重んじ→教職者や執事を尊敬すること。14節 勧めます→強い命令形。弱い者たちを助け忍耐強く接しなさい。15節 すべての人たちに対して善を行うよう努めなさい。
タラント=才能でもあります。1デナリオンは一日の賃金ですが、一日の賃金は約1万円として、1タラントン=6000デナリオン、1万タラントンは6000億円に相当します。この借金が帳消しにされることのたとえは、無限に永遠に罪が赦されることを意味しています。

2014年3月9日日曜日

正しい信仰をよく守るのも力であった

◼2014/3/9
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:正しい信仰をよく守るのも力であった
        ペトロの手紙講解22
◼聖書箇所:ペトロ二2:17−3:2

★メッセージ

真理であるイエスキリストを信じる者を陥れようと必ず異端が現れます。そのような者が受けるべき裁きが述べられ、偽りにだまされてしまう人々について、そして最終的にはどうすれば良いかが描かれます。

第一に偽りにだまされてしまった者の絶望感です。終末になればなるほど、良く聖書を学んだ人々はすぐに異端を見分けることができます。しかし、体系的に聖書を学んだことがない人々はよくもだまされてしまいます。「干上がった泉、嵐に吹き払われる霧」のようになってしまいます。霧は幻想的ですが、温度条件が変わるとすぐに消えてしまいます。
18節 大言壮語し、信仰を持ったばかりの人を誘惑します。
19節 自分自身は滅亡の奴隷です。

20-22節はイエスキリストを信じた後にいたんにだまされて以前の自分に戻ってしまう人への警告です。イエスキリストを信じる前よりももっとひどい状態になります。

聖書の究極的な目的は人々の心に、聖霊様の記憶を呼び起こし、純真な心を奮い立たせることです。

2014年3月2日日曜日

正しい信仰で偽りにだまされないようにしましょう

◼2014/3/2
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:正しい信仰で偽りにだまされないようにしましょう
        ペトロの手紙講解21
◼聖書箇所:ペトロ二2:12−18

★メッセージ

1.偽教師の行動と結果

教会やクリスチャンに対して悪を犯す人たち続けていると体質になってしまいます。このような人々は多いに悔い改めなければなりません。知らないでイエスキリストを馬鹿にしてしまうことがどれほどの罪でしょうか。まるで何も考えがない動物と同じです。
14節 飽くことなく罪を重ねています。良心が麻痺して罪がとどまることがありません。
あらゆる賜物が聖霊様によってすでに与えられていることを感謝しましょう。主が来られたのは私たちが聖なる生活をすることです。
民数記22-24章において、バラムは間違いを主から指摘され、イスラエルの民を祝福するようになります。

2014年2月26日水曜日

神の国の特徴

◼2014/2/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ13:51−58

★メッセージ

聖書は一貫して神の国について語っています。神の国の特徴は何でしょうか?天の国には主ご自身がおられ一つも罪がないということです。このような完全な場所に罪人である私たちは入ることはできません。ただ一つ私たちが天の国に入る方法があります。それはイエスキリストの十字架の贖いを通してです。
先入観は恵みの妨げになります。ナザレの人々は、イエスキリストは兄弟がいるのに神のひとり子ということが理解できませんでした。ヨセフとマリアの子供なのになぜ神の子なのかと先入観を持っていたので受け入れることができませんでした。私たちもメッセージを語る先生によって、御言葉を聞く姿勢が変わっていることはないでしょうか?もしそのようなことがあれば悔い改めましょう。そうすれば必ず恵みを得られます。
ヨハネ7:5 兄弟たちもイエスを信じていませんでした。
弟たちも子供のときから一緒に遊んでいたので兄が救い主であるとは受け入れられませんでした。しかし、イエスキリストの復活を通して彼らは変化します。特に弟のヤコブは大きく変わりました。彼はパウロと並んで用いられる者となり、ヤコブの手紙を執筆します。その中で、兄であるイエスキリストはメシアであると告白しました。
イエスキリストは、なかなか御言葉を信じない人をも作り変えて下さると信じます。

2014年2月25日火曜日

天の国の宝

◼2014/2/25
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ13:44−50

★メッセージ

当時は畑に宝を隠すことが多くありました。隠した宝は農夫しか知りません。その農夫が変わってしまうとしばらく誰もその宝を見つけられなくなります。その宝を狙って全財産をはたいて買おうとした人もいます。何もなければ全財産を失いますが、宝を見つければ大きな富を得ます。
これはたとえですが、天の国は最も素晴らしい宝があるところです。自分のすべての持ち物を売り払っても天の国の宝を得ることには価値があります。天の国の宝を掘り起こそうとする者には豊かな祝福が与えられます。
商人は希望を持って熱心に真珠を探し求め探し当てました。私たちも積極的に主を求めましょう。それはすでに聖書で約束されています。
神の国の美しさはあきることがありません。真珠は身につけて美しさが引き立つように、天の国では御言葉を学んでそれを行うことで美しい天の国を体験することができます。
世の終わりには正しい者と悪い者がはっきり分けられるとイエス様は明確に語っています。最後には必ず善悪を分けられます。地獄にひとたび行ってしまったら永遠の苦しみが待っています。ある者は呪いの言葉を吐き、ある者はイエスキリストに救いを求めますがすでに遅すぎます。一人も滅びないで天の国にはいれるように福音を伝えましょう。すべての人が救われるように祈りましょう。

2014年2月23日日曜日

第15回YouthCampを前にして

◼2014/2/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:第15回YouthCampを前にして
◼聖書箇所:使徒言行録4:11−12、テモテ二2:1−8

★メッセージ

十戒 出エジプト記20章  第四戒 安息日を守りなさい。キリスト教は道徳倫理的に基準は高いですが、それを守ることが目的ではありません。真理であり道であり命であるイエスキリストに委ね救われることが目的です。
使徒言行録4:12 救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
救いに、あいまいなところがあってはなりません。世の中ではあいまいなことは知恵ではないかと言いますが、救いはただイエスキリストを通してでしかなし得ません。

2014年2月16日日曜日

キリストの内にある豊かな人生

◼2014/2/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:キリストの内にある豊かな人生
◼聖書箇所:ヨハネ15:1−11

★メッセージ

サルディス教会は、生きているとは名ばかりで実際は死んでいると叱られました。クリスチャンといっても名ばかりの信仰の者もいます。現代病の一つは錯覚です。信仰に立っているようでいて足元はぼろぼろです。
聖霊様が宿られているのに実がないのはなぜでしょうか?私たちが聖霊様の働きを妨げています。
若い時には力があり自分の力でなんとかやろうとすることもありますが、年を経るうちに間違っていることに気づくのは恵みです。私たちの価値観を枝切りしなければ、イエスキリストを信じる前の古い考え方が根強く残ります。
火を起こす時、ダンボールや紙ばかり多くいれても薪の表面だけ焦げて煙が出るだけで火が続かないように、私たちの内面が信仰に根ざさなければ表面的な信仰生活で終わってしまいます。
4-5節 わたしにつながりなさい、そうすれば豊かに実を結びます。
悪しき霊は私たちの弱いところを徹底的に攻撃してきます。イエスキリストは断食したときパンで誘惑されましたが、断固として拒否し打ち勝たれました。私たちの捧げる礼拝が真の礼拝になりますように導いて下さい。

2014年2月13日木曜日

メシアであるイエス様

◼2014/2/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:メシアであるイエス様
◼聖書箇所:マタイ11:1−6

★メッセージ

自分が変わらないと真のイエスキリストには出会えません。本当にイエスキリストに会いたいと願うならばどのようにして自分が変わるか願いましょう。愛の行動の黄金律は自分がやってもらいたいと思うことを自らやってあげることです。
牢に閉ざされたヨハネは、イエスキリストが真のメシアなのかどうか戸惑っています。彼はイエスキリストを盛んに語ったのにもかかわらず今は牢に囚われ戸惑いを覚えています。自分が作り上げてきたイエスキリスト像と違うことでつまずいてしまいました。「わたしにつまずかない者は幸いである」と仰っています。
ヨハネは自分が願い考えてきたイエスキリストと違うために疑ってしまいました。私の考えと主が違くてもそれを認め受け入れる信仰を持ちましょう。信仰とは私たちがイエス様を描くのではなく、イエス様が私たちを描けるよう、その方を信頼することです。
トルコでは宣教が禁じられており発覚すれば逮捕されますので宣教師という人がいません。その中で宣教をした宣教師があるとき自分が教えていた若者たちに宣教師が殺されてしまいました。しかし、彼の妻と家族たちは生放送で彼らを赦しますと伝えました。主を信じて伝えたのに迫害されたとしても、主への信頼を忘れないようにしましょう。

私たちが信頼できない理由の一つは交わりが薄いことです。賛美や献金をしていたとしても神様との深い交わりがありません。命をも任せるような神様との深い交わりを持ちましょう。二つ目は世にある信頼関係で考えてしまうことです。世にある人間関係、親子関係でイエスキリストとの関係を考えないで下さい。
韓国のリバイバル集会にて、「来て見て信じなさい」というメッセージがありました。まず行って見て聞いて自分が見たことを伝道すれば良いのです。雄弁や言葉や論理がなくても良いので、ただ聖霊様が私の口を通して語ってくれるように願いましょう。
どのような人が幸いか?山上の説教にて。心の貧しい人、悲しむ人々、柔和な人々、義に飢え渇く人々、憐れみ深い人々、心の清い人々、平和を実現する人々、義のために迫害される人々
クリスチャンは黙っているのではなく何が正しいか言わなければいけません。ある学者は、ものを言わない国民は政治を正しくできない可能性があり不安があると言っています。誰かが間違った方向に導きかねないからです。
仏教は山に寺を作って世と離れますが、教会は街にあり世に遣わされています。両足は世に着きながら、両目は神様の国を見上げ、両手は神様の福音を伝えます。清さを持ちながらも世に負けず食べ遊び楽しむことも大切です。
目に見える物質がすべてでないことの意識が必要です。今まで頼ったものがなくなっても主が共にいて為さって下さることの感覚が必要です。ちょっと不便でも決して不幸ではありません。

2014年2月9日日曜日

正しい信仰の告白で真実と偽りを分別しましょう

◼2014/2/9
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:正しい信仰の告白で真実と偽りを分別しましょう
◼聖書箇所:第二ペテロ2:1−11

★メッセージ

1.偽教師たちの特徴

1:16 キリストの力を知らせるのに、巧みな作り話を用いたわけではありません。キリストの栄光を目撃したのです。
本物の教師はイエスキリストは受肉されて来られたメシアであることを述べ伝えました。
1:17 主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。
私が殉教してもあなたがたは正しい信仰を持って歩みなさい。
2章では、偽物の教えが必ず現れるのでそれに惑わされてはいけないという信仰の内部的な警告です。
偽予言者は自分にとって利益になるようなメッセージをします。神の御声を聞いたこともないのにまるで御声を聞いたかのように言いました。
エゼキエル書では137回も「主の言葉が私に望んだ」という表現があります。当時は御言葉を主から啓示によっていただく時代でしたが、偽予言者たちは信仰などなくても大丈夫と偽りの話をしました。聖書の言葉を引用しながら自分の考えばかり話すのは偽教師です。霊知主義(グノーシス主義)など。現代の異端はまともな知識もなく、信条や団体の名前までもころころ変えてしまいます。
偽教師たちの特徴はみだらな行いと貪欲です。
テサロニケ一4:3 みだらな行いを避け、汚れのない心と尊敬の念を持って妻と生活しなさい
コリント一6:15
コロサイ3:5 貪欲を捨て去りなさい。情欲的な罪を指摘し、貪欲は偶像礼拝だと指摘します。
性的な罪に対して常に警戒しましょう。
ヤコブ1:15

2.聖霊様の歴史で見た審判と救い
3節から8節まで
イザヤ書14:12 天から落ちて堕落した天使について
2:5 ノアの時代の悪者に対する主の裁き
ローマ1:21 主から捨てられるのは第一に情欲的な罪を犯す者、第二に同性愛の者、第三に21の罪を犯す者、これがロトでした。妻は振り返って塩の柱になり、ロトは二人の娘と関係を持ってモアブとアンモンの子孫が生まれてしまいます。クリスチャンが堕落するとこのように大きな罪に陥ります。

2014年2月6日木曜日

新しいぶどう酒として来られたイエス様

◼2014/2/6
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:新しいぶどう酒として来られたイエス様
◼聖書箇所:マタイ9:9−17

★メッセージ

赤ちゃんがお腹の中にいるときはどこでも自由に行けますが、生まれると子供の世話をしなければならず、一日はほとんどそれで潰れてしまうと母親が言います。子供でさえ育てるのは難しいですからイエス様の弟子を育てることはもっと難しいともいえます。

イエス様は罪人と食事をしました。「罪人」という言葉はユダヤ人たちが使った言葉です。彼らは自分の身分や立場とは違うものを罪人として決めつけました。自分の目の丸太が見えないものです。
立場が弱いものたち、罪人とされた人々はイエス様の言葉を素直に受け入れました。
主に治せない病はありません。体の病気が癒されても心の病気が癒されないと完全な癒しではありません。高慢な病気がとても治癒が難しい病気です。それらを癒して下さる主であることを信じましょう。せっかく早天祈祷会に来るならば祈りが答えられることを信じて祈りましょう。
憐れむ心があるならば表現して下さい。言葉では言うけれど行動には移さない者にならないで下さい。
偏った人々は自分と同じ条件の人しか受け入れませんでした。特定の人からしか意見を聞かず本当の真理の教えを聞こうとはしませんでした。自分の狭い考えを捨てて下さい。主の心を下さいという賛美がありますが、その言葉どおりになるように賛美しましょう。
他の人々に憐れむにはどうすれば良いでしょうか。まず祈りがあります。また家族を通して何かをもてなすこともできます。励ましの手紙を送ることもできます。

ヨハネの弟子はヨハネからイエス様は救い主であることを聞いていましたが、自分はあくまでもヨハネの弟子と考えてイエス様の教えを聞こうとはしませんでした。自分が基準でなくイエス様が基準とならなければなりません。
新しいぶどう酒はイエスキリストの福音、古いぶどう酒はユダヤ人の律法主義です。新しい福音は異邦人にも伝える福音です。弱いもの汚れたものたちと共にする福音です。
私はリーダーだから筍長だから先生だからと硬くならずいろいろな考えをもって行いましょう。
私が誰かに背負われていくのではなく自分がどんどん背負っていく者になりましょう。
ルカ17:10 しなければならないことをしただけです。このような考えを一生持ちましょう。

信仰の薄い者たちよ

◼2014/2/6
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼タイトル:
◼聖書箇所:マタイ8:23−34

★メッセージ

信仰がない者はすぐにわかりますし、伝道者のもとでよく聞いてイエスキリストを信じ受け入れば良いのですから、ある意味、そこまで深刻ではないかもしれません。本章では、信仰の薄い者たちよ、とイエス様は問いかけます。信仰が薄い者が強い信仰に成長することのほうがもっと難しいといえます。
第7章まではイエス様によるメッセージでした。その後、数々の癒しの御業を行います。
8:20 人の子には枕するところもない。切迫した自分のこれから歩む人生について語り弟子たちに本当についてくるのかと問いかけます。イエス様のミニストリーは弟子たちを育てることでした。そうしなければイエス様の働きはイエス様に閉じたものになってしまい、世界中に福音を伝えることもできません。
よく同じ奉仕を長く行う人がおりそれは良いことですが、それだけに留まらず自分の領域を広げて下さい。かつて優良メーカーであったSONYも今年度は赤字でパソコン事業やTV事業の売却の話も出ています。世の中はどんどん移ろい変わっていきます。ヨハン教会の皆さんも一皮むけて今年こそ次の場所へと移っていけるように信じます。

舟に乗っていて嵐に遭い弟子たちが寝ていたイエス様を起こした時、イエス様が怒ったのは信仰的な問題に対してでした。なぜ怖れるのかと問いかけます。我々は御言葉を読まず祈らないとき、主の想いから離れ目に見える周囲のことにとらわれてしまいます。目を覚ましイエス様に目を合わせましょう。舟の船長はイエス様です。イエス様を信頼をおいて歩みましょう。
ある人は刑務所の中で誰も望ましい死刑執行人に自らの志願してなり、死刑囚たちに福音を伝えました。最初は福音を抵抗して拒みますが、どんな凶暴な囚人でも死刑の直前になるとパニックになり家族の名前を叫び泣き出します。そのときに福音を伝え彼らの救いに導きました。

悪霊にとりつかれた人は墓場の隣に家を建て住んでいました。当時は人権が整っていない時代ですから、人々から全く顧みられることはありませんでした。その人をイエス様は愛し豚に悪霊を移すことで救って下さいます。豚2000匹よりも人の命のほうが尊いことを教えてくれます。

2014年2月3日月曜日

イエス様の映画を見て石を投げる子供たち

◼2014/2/3
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ8:1−13

★メッセージ

イエスキリストはマタイ3章で洗礼を受けられ4章で誘惑を受けられその後福音を伝えられました。最初のメッセージは悔い改めなさいでした。次に病気を癒されました。具体的な恵みがなければ信仰が成長しないからです。
山上垂訓をされた後、山を下ると、重い皮膚病を患っている人が近寄ってきました。すべての病を癒されるのは主の働きですからどんな病も恐れてはいけません。病を癒す力を祭祀に与えられましたが、私たちは王の系統をひく祭祀とされたのですから、そのためにも祈って下さい。この皮膚病は皮膚の感覚まで失ってしまう重い病気ですが、魂の病も清い感覚を失ってしまうことではないでしょうか。主イエス様に対する感覚を失うならば自らの罪に陥ります。ヨハン教会でも肉体および魂の癒しの御業があるように祈ります。
悪霊がおそれるのはイエスキリストです。悪霊は御言葉に触れると冷や汗が出てその場にひれふし赦しを請います。しかし、それは形だけであり、本質が変わることはありません。
後進国では心が貧しいのでイエスの映画をみたらほぼ100%信じ受けいれます。イエス様が捕らえられて連れていかれる場面では子供たちがスクリーンに向かって石を投げたそうです。このようなイエス様に対する想いを日本や韓国で見ることができるでしょうか。
学校で本当に成績が良い人は頭の良い人ではなく先生の言うことをよく聞く人です。ある程度までは頭の良さでカバーできますが、それ以上は先生の言うことを実践する人が良い成績を残します。信仰の正しいエリート意識を持ってください。パウロのような清い心をもってすべてを尽くすのがエリートです。

百人隊長はイエス様にお会いしたとき、私の屋根の下にお迎えできるようなものではありませんと謙遜に話します。百人隊長は自分の立場をわきまえた聡明な人でした。
世の中には立場が上になるとすぐに高慢になる人がいます。聖霊によって訓練されることなく聖霊の力だけ望む人は愚かな人です。

2014年2月2日日曜日

聖霊の力で証人となろう(4)

◼2014/2/2
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊の力で証人となろう(4)
◼聖書箇所:第一コリント12:4−11、28:31

★メッセージ

誰でも聖霊の恵みによらなければなりません。
ローマ1:16 わたしは福音を恥としない。福音はすべての人に救いをもたらす神の力です。
正しい者は信仰によって生きます。
食べ放題のことを他の国ではビュッフェといいますが、日本ではバイキングといいます。バイキングとは中世以前にヨーロッパにいた海賊たちであり野蛮な民族でしたが、福音が伝わって数世紀にかけて福音化され、やがてはピューリタンが現れアメリカ大陸に移住して福音を伝えるようになりました。

病気を癒す力にはいろいろなものがあります。アフリカなど病院に行くために飛行機に乗っていかなければならないような国では、宣教師が入って次々と奇跡的な癒しの業が起こっています。一方で先進国では医療が整っており、医師の治療や薬を投与されますが、それで癒されるのではなく、聖霊様が癒して下さるのです。すべての病気を癒す力は聖霊様しかできません。医学や薬学も聖霊の知恵によって主が開発させてくださったものです。聖霊による癒しの特徴は再発がないことです。天国の体質へと作り変えられます。
二ペテロ3:9、一ペテロ3:4 神は誰も地獄に落とされることを望んでいません。

奇跡を起こす力が与えられます。エリヤ、エリシャを通してたくさんの奇跡が起こされましたが、彼がすごいわけではなく彼は私たちと全く同じ人間です。聖霊様が彼らを通して働いて下さり奇跡が起こされたのです。モーセによるエジプトへの10の災いや紅海が割れたことも父なる神様と聖霊様による奇跡です。今の我々の生活にはどのような奇跡が必要でしょうか?人によって違うところもありますが、超自然的な奇跡も起こされるうることを信じましょう。

霊を見分ける力は教職者だけでなく一般信徒にも与えられます。悪霊はうそつきのプロであり聖霊のふりをしますが、その悪霊を見分ける力が与えられることを求めましょう。
異言を語る力も与えられます。ただし、公の場ではあまりそれを強調しないようにしましょう。信仰が足りない人にとってはそれが神秘主義的なことに陥りやすく間違っが方向に進みやすいです。異言で祈るのは楽なものであり、何時間もどんどん祈ることができます。

聖霊の賜物は一人だけにすべて与えられるものではなく、あらゆるクリスチャンに分け与えられるものです。我々は体の部分であり全員が組み合わされてイエスキリストの立派な体を形作っています。ですから、賜物があるからといって自慢したり過大に評価してはなりません。むしろ、自分を謙遜にし互いに尊敬し合うべきです。与えられた賜物を最大限に生かして主に仕えるならば他の賜物も任せてくださいます。27の賜物は一斉に与えられるものでなく一つ一つ与えられます。
もっと大きな賜物が与えられるように祈りなさい。コリント一13章 どんな賜物があっても愛がなければ無に等しい

2014年1月30日木曜日

裁きに対する教えと黄金律

◼2014/1/30
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:裁きに対する教えと黄金律
◼聖書箇所:マタイ7:1−12

★メッセージ

人と人とが会うのは楽なことではありませんが、それゆえ人と物が出会うようになってしまうこともあります。そのようなことがないようにしましょう。
イエスキリストは罪と救いに対して明確です。罪の問題を明確にして下さっています。
変化を願いながら、実際に変化することにはおそれを抱くのが人間です。良いほうに変化すれば良いのですが、悪い方に変化しないかと怖がるところもあります。変化を起こす方、変化の主題は主ですから変化を楽しみましょう。変化していくことは成長です。
判断しても良いですが必ず愛の心で行わなければいけません。愛のある人たちの話で人は変わりますが、愛のない人たちの話では正しいことを言っていても人々は変わりません。
他人を見る基準は何でしょうか?お金を基準としている人は何でもお金で計算してしまいます。名誉を気にする人は他の人も名誉で判断してしまいます。自分の基準ではなく主がどのように考えておられるかを考えておく必要があります。聖書を読み祈るならば主の考えが見えてきます。本当に神様を愛する心で生活しましょう。私が主をもっと愛するにはどうすればよいか悩んでください。わたしの心を動かしていただくように祈りましょう。
自分自身を知っている人は強い人です。自分は何に弱くどんな特徴があるのか。自分の弱さを克服するために世の人々はいろいろなことをしますが、それでは何も変わりえなく自分が何者かも悟れません。自分が罪人であることを知らなければならないからです。聖書をわかれば自分のことがわかります。

私たちが探して叩いて願っていることを主はもっともよく知っておられます。だから知っている私のところに来なさい、あなたと交わりたいというのが主の心です。
信頼関係があるから祈ることができます。信頼関係を強くするためには、日々交わりを持たなければいけません。
自分がしてもらいたいことを先にしてあげなさい。
自分を厳しく言ってくれる人がいることは恵みです。厳しく言ってもらえる心畑を備えましょう。涙を流さずに得たお金はすぐになくなってしまいます。涙を流し汗を流す喜びがあるように祈りましょう。

日本人には親密さが少ないかもしれません。人と会っているときには場を盛り上げなければとハイテンションになりながらそれを親密さと勘違いしているかもしれません。家に帰ってくると疲れて落ち込んでしまいます。
親密さのポイントは、仕えること、一緒にすること、平和を保つことです。
親密感を持つのが大変なのは無理やりにするからですが、それでも無理矢理にでも努力して下さい。

試練や苦難に勝利する秘訣

◼2014/1/30
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼タイトル:
◼聖書箇所:ヤコブ1:12−18

★メッセージ

今年も一月が過ぎようとしています。元旦で積極的に祈りましたがそれは実を結んでいるでしょうか。
クリスチャンの人生は冒険の生涯であり霊的な戦いの場です。試練や苦難に勝利する秘訣を語っているのがこのヤコブの手紙です。

まずは、試練を耐え忍ぶことです。試練が好きな人はいません。誰もが試練はできるだけ避けたいものです。しかし12節では、試練を耐え忍ぶ人は幸いです、と伝えています。日本人は我慢することを美学とするところがあります。内面は苦しくても外面は何もないように振る舞います。我慢というのはある意味何もしないで放っておくこと、自分の殻に閉じこもって時間が解決してくれるのをただ待っているようなものです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生みます。苦難だからといって何もしないでいてはいけません。練達を生むためには努力しないといけません。耐え忍ぶ人には、命の冠、天国の冠をいただきます。私たちの姿は、落胆してただ待っている姿でしょうか?それとも試行錯誤して戦い抜こうとする姿勢でしょうか?自分の姿を確認して、試練に立ち向かう者となりましょう。

二番目に、私たちはいつも誘惑にさらされています。誘惑は欲望という針についており、その偽のエサに誘惑に罪を冒してはいけません。ザコという魚はエサがなくても勝手に針に食いつき漁ることができます。

三番目に、勝利の秘訣が主からくることを信じることです。真理の言葉によって私たちは新たに歩み始めます。神の子の名を信じている者は必ず世に打ち勝ちます。

2014年1月28日火曜日

律法に関する6つの命令(後半)

◼2014/1/28
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ5:33−47

★メッセージ

マタイ5章では律法に関する6つの命令が書かれていますが、後半の三つについてです。
第一は「誓ってはならない」です。当時は型式的に誓う者が多く主はそれを戒められました。軽率に誓うよりも心から祈りを捧げ主に従う者となりましょう。
第二は「復讐してはならない」です。復讐ではなく贖罪であるべきです。加害者であるなら積極的に悔い改め、被害者であるならば積極的に赦しましょう。
第三は「敵を愛しなさい」です。敵を好きになるようにと命じているのではなく愛しなさいと仰っています。好きになるのは感情的な問題ですが、愛するというのは意思的な行いです。キング牧師も「敵を愛しなさい」とメッセージしました。黒人に対して、黒人を迫害する人々を愛しなさいと伝えました。そして、愛の力の大きさを体験することになりました。

2014年1月26日日曜日

聖霊の力で証人となろう(3)

◼2014/1/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊の力で証人となろう(3)
◼聖書箇所:第一コリント12:1−11

★メッセージ

今年与えられた主題である「聖霊の力で証人となろう」を実際に体験する一年となりましょう。まず霊的なことが何であるか、そして生活の細かいことに至るまで主が導かれ、周囲の家族、友人まで証できることを信じましょう。聖霊の賜物はパワーです。このパワーを単なる理論で終わってはもったいないです。実際に聖霊に満たされて主の業を体験しましょう。

1.御言葉と関連ある賜物が一番です。
8節 霊によって知恵の言葉が与えられ  ローマ12章は主に平信徒に与えられる7つの賜物が書かれており、そのうち二つは御言葉に関する賜物です。
エフェソ4:11 ある人を使徒、預言者、福音宣教者、牧者として立てられました。平信徒は牧師ではありませんが、牧師のような働きをすることができるのが、今の恵みの時代です。
聖書を暗記したとしても主イエス・キリストとの関係があいまいであるならば御言葉の力を体験することはできません。福音のポイントは主イエスであり、一つも罪を犯したことがなく人々の罪を背負って十字架につけられて死なれ蘇ったこと、それを信じることです。
イエスキリストが死なれたとき、みな散ってしまったのに、50日後には120人が大胆に祈りました。この変化は聖霊によるものです。
ヨハネ14章は真理の霊:すべての記憶を思い起こしてくださる、平和の霊:どんなところでも守ってくださることの表現です。
詩篇119:105 あなたの御言葉はわたしの道の光、歩みを照らす灯火です。
マタイ5:17 律法を廃止するためではなく完成させるためにイエスキリストは来られました。
マタイ5:18 すべてのことが実現し天地が消え失せるまで律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
初代教会では120名の弟子たちが120万人を圧倒し、毎日3000人が洗礼を受けました。

2.信仰の賜物である。
ヘブライ11:6 信仰がなければ神に喜ばれません。神を信じる者は報いてくださることを信じなければいけません。
ローマ10:17 実に信仰はキリストの言葉を聞くことにより始まります。

3.奇跡を行う賜物、病を癒す賜物、霊を分別する賜物、異言を語る賜物など

2014年1月23日木曜日

天の国を宣べ伝えるイエス

◼2014/1/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:天の国を宣べ伝えるイエス
◼聖書箇所:マタイ4:12−25

★メッセージ

スクールテープの手紙をCSルイスが書きましたがとても辛かったそうです。クリスチャンをサタンが攻撃して弱めてしまうことがたくさんありました。神様の御言葉を聞かないように祈らないようにし向けます。全能なる神様の御言葉を聞かないようにしてしまいます。

「悔い改めよ、天の国は近づいた。」イエス様の初めてのメッセージは天の国です。肉の欲望に関することではなく、本当の真理は神の国にあることを解きました。現代は多元主義でありいろいろな考え方がありますが、人の考えでは救いに預かることはできません。
天の国に入るためには悔い改めが必要です。キリスト教の最大のポイントは罪の赦しです。他宗教では善を行いなさいと言いますが罪の赦しがありません。ノンクリスチャンが救われないのは罪を認めないから、罪を知らないからです。
今まで一つも罪を犯したことがなかったとしても、ただ一度人を殺したら殺人者です。物を盗んだら泥棒と一生涯呼ばれます。どんなに正しく行きたかに見えた人生もただ一度の罪により罪人とされてしまいます。
ギリシャ神話を見るとそこに登場する神々が罪をたくさん犯します。日本の神話も同じであり、淫乱と復讐にまみれており人間よりもひどい罪を犯します。ですから、聖書の神が全く罪がないというのが理解しがたいかもしれません。
人間が一番心に突き刺さるのは罪を指摘されることですが、悔い改めるのは恵みであり神の国に入れるようになります。罪を指摘されたとき反発するか悔い改めるかで神の国に入れるかどうかが決まります。
天国での四つのP、pardon、peace、power、purposeがこの世でも体験できます。

クリスチャンは考える人であるべきです。今の時代は考えない時代でありそれゆえにサタンに簡単にだまされてしまいます。
イエス様は「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」と言われました。筍長がするのがまさにこの働きです。
神様は食べさせて下さいます。お米はただで与えられています。お米にお金を払うのは主に農夫の手当です。
イエス様に従う者は自分のものを捨てなければいけません。
弟子には即時的な従順を主はときに要求されます。主日を守ること、洗礼を受けること、罪を悔い改めることなど、今すぐにでも行うように勧めましょう。

牧師先生は27万円だけ持って日本に来ました。家賃8万円の家を借り二ヶ月分の家賃を払ったら9万円しか残りませんでした。誰も知り合いもいなく頼る人がいない中で主の御前に行って祈ったら、エリヤがカラスによって食べさせられた場面を覚えました。それから一度もお金に困ることなく日本宣教を成し遂げてきました。主は必ず私たちの生活を支えて下さいます。

現代人が求める快楽は三つのS、sports、sex、speedといわれます。聖書を学ぼうと誘っても時間がないと言って一生懸命働いて、スポーツや趣味や罪の世界に身を投じてしまいます。

イエス様が洗礼を受けた理由

◼2014/1/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼タイトル:
◼聖書箇所:マタイ3:13−4:11

★メッセージ

教会や先生方のために働くことで何か利益を得られるわけではありませんが、どうして主に用いられようと尽くすでしょうか?主に用いられること自体が大きな報酬です。ときに葛藤や疲れもあるかもしれませんが、一年間、主に捧げる心を忘れずに励みましょう。
イエス様がヨハネのところに行って洗礼を授けるように依頼したことはどれほど不思議なことでしょうか。親が幼児に食べ物ちょうだいと頼むようなものです。立場が逆転してコミカルな状況です。イエス様の誕生自体が不思議でコメディといえます。イスラエルの王、救い主が生まれるというのに、ヨセフとマリアが休むところもなく馬小屋で生まれるのです。悲しさを超えて痛快さをも感じえます。
イエス様のように生きるとはどういうことでしょうか?イエス様のように自分を低くして人々に仕えなければいけません。持っていないのに持っているふりをしたり、力がないのに力があるふりをしたり、そのような虚しい態度を悔い改めましょう。
イエス様が現れてから弟子たちがヨハネを離れてイエス様のところについていってもヨハネは全く気にとめません。彼は自分が花婿の付添人であることをよく心得ていました。ヨハネの信仰告白はその生き方自体が正しくかっこよいものでした。イエス様が栄え自分は衰えねばならないと言います。
イエス様が洗礼を受けた理由の本質はどこにあるでしょうか。イエス様はすべてのクリスチャンの生き方のモデルとなるためにこの世に来られた神の子です。イエス様は祈る姿、伝道する姿などすべての行いを見せました。ただ、模範を見せるだけが目的ではなく、具体的に人々を救いに導くためです。
悔い改めて洗礼を受けなさい、そうすれば聖霊を賜物として受けます。聖霊によってイエス様が働かれます。水の洗礼を受けたイエス様のところには聖霊が下って来られました。洗礼によってイエス様ご自身が聖霊に満たされることを見せて下さいました。そして、聖霊の力で悪霊に打ち勝ち、病人を癒し、死人を生き返らせました。
日々の生活で不安なところがあるでしょうか。今日も悔い改めて聖霊の満たしを求めましょう。主は、わたしの愛する子、わたしの心に適う者と呼んで下さいます。
アタナシウスは、キリストが自ら引き取られないものは救われないと言いました。古代では、肉体は悪しきものと捉えましたので神が肉体を持ってこられるわけはないと考えました。もう一方は、ただ神様を信じればいいではないかと考えました。その神は誰かというとイエス様です。
サタンは「誘惑する者」です。神の子なら飛び降りたらどうだと言います。父なる神様ご自身がイエス様を神の子と称しているのですから神の子であることは明白です。それなのに、サタンはイエス様に誘惑をしかけます。サタンは悔い改めができません。常にゆさぶって他人を誘惑します。サタンは三つの誘惑を仕掛けました。一つ目はパンでした。それ自体は悪いものではありません。むしろ、パンを食べなければ生きていけません。二つ目は、神秘や奇跡であり、それも悪いことではありません。三つ目は栄華でありそれ自体は良いことです。主は貧困よりも反映を願われるでしょう。人々はパンの問題が解決されれば幸せになれるでしょうか。奇跡の問題が解決されれは救われるでしょうか。
サタンの言葉に耳を傾けずに聖霊の力で勝利して下さい。イエス様の御業はすでになさったことです。イエス様の御業を体験してただ伝えるだけです。聖霊に満たされたものは神様の御言葉と聖霊の力が与えられます。

2014年1月22日水曜日

bestはthe bestの最大の敵

◼2014/1/22
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ3:1−12

★メッセージ

パプテスマのヨハネはこの世の基準からすると評価されませんでしたが、主に褒められました。私たちもこの世の富や物質への執着から解放されるようにして下さい。シンプルライフをする人は強いです。お金や権力にこだわりません。それらに関心があると心を奪われてしまいますが、神の国だけ考える人はそれらに惑わされません。
bestはthe bestの最大の敵です。最良のものに全力を注ぐべきです。ヨハン教会の兄弟姉妹たちもthe bestに力を注げるようにして下さい。
イエス様を信じると救われ天国に行きます。これが私たちのメッセージの確信であるべきであり、生活の中心にあるべきです。
悔い改めのすばらしい実を体験して下さい。悔い改めるときその人には天国が訪れます。天国は遠くにあって目指すものではありません。悔い改めによりその時から天国がその人の内にあります。

2014年1月19日日曜日

聖霊の力で証人となろう(2)

◼2014/1/19
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊の力で証人となろう(2)
◼聖書箇所:ローマ8:1−11

★メッセージ

クリスチャンでも過ちを犯しえます。誘惑に負けたり間違ったことをすることもあります。しかし、1節にあるように、キリスト・イエスに結ばれている者は罪に定められることはありません。
罪の出発は創造主でおられる神との関係が絶たれたことです。人が罪を犯す前アダムにはすべての権能が与えられておりすべての動植物を治め、三位一体の神様を理解できました。太陽さえ命じれば応じるほどでした。アダムには妻エバが与えられました。
自ら聖霊様を突き放すようなことをしなければ聖霊様は決して離れません。命をもたらす霊の法則が罪と死との法則から解放されました。明るい自画像がここから来ます。
33節 誰も神に選ばれたものを訴えることはできません。 34節 また罪に定めることもできません。成績が良い人は先生が強調することに従って自分もそこを勉強します。自分なりに成績がある程度良くても客観的に成績が悪い人は先生が強調することとは別のことを自分で強調して勉強します。このような人は悩む必要はありません。もしかしたらエジソンのように大発明をする可能性があるかもしれません。
誰もが弱さと未熟さがありますが、クリスチャンは神の国で祝福される権利を決して奪われることはありません。それを確信しましょう。
3節〜8節 罪には決して定められないのですから負けてはいけません。 9節 安心しなさい。聖霊様は私たちを慰め励まして下さいます。
ジョン・カルヴァンは、完璧すぎる思想はサタン的でもあると表現しました。

2014年1月16日木曜日

バベル

◼2014/1/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:バベル
◼聖書箇所:創世記11:1−9

★メッセージ

ハリウッド映画は最近少し変わってきています。今年はノアの話が放映される予定です。人々は世の中の虚しさの中で聖書の中に真実があるのではと考え始めています。
天国の言葉を使いましょう。感謝の言葉、赦しの言葉、愛の言葉を使いましょう。今年はまず褒めて下さい。褒めてあげてそれから命じたら人々は変わっていくでしょう。ヤコブ3:2 言葉で過ちを犯します。
人々を育てるときにはどんどん話してください。
人は栄光を受けようとするときから問題が生じます。栄光は主に捧げ、私たちはただ当然しなければいけないことをしただけですと言いましょう。リーダーになる人は自分が主人公になるのをやめましょう。むしろ、これから育てる人を主人公として立てて下さい。
意思疎通では言葉の外側だけでなく内側を読まなければいけませんし、自分の内側を積極的に話さなければいけません。自分の内側を全く言わないのに人々は自分をわかってくれないといつも不満に思う人がいます。
私たちはイエス様を信じても願う通りにいかないこともありますが、その中で主が共にいらっしゃることに感謝して賛美するのがクリスチャンの人生です。
私が持っているものをいったん置いて主が願うものを持っていくのが信仰です。自分の力で生きたのに主の力で生きたかのように見栄をはっていることを打ち捨ててください。

ヤコブの成長

◼2014/1/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼タイトル:
◼聖書箇所:創世記31:1−21

★メッセージ

ヤコブの叔父であるラバンは心が移り変わりやすくヤコブにつらく当たる悪賢い人でした。ヤコブも生まれるときにエサウを押しのけて出ようとしたほど負けず嫌いの人でした。ヤコブは一生懸命に働いてヤコブの財産が増えていきましたが、ラバンはそれを妬んだことでしょう。会社のオーナーよりも雇われ社長のほうが財産が多くなったら良い気はしないようにです。ヤコブはラバンのもとに留まっていたら危ないと感じて逃げ出します。
3節 ヤコブが生まれた家に帰るのは主のご計画でありヤコブにした約束でした。ヤコブは20年間も異邦の地で無駄な時間を過ごしました。出エジプト後、イスラエルの民が40年間も荒れ野をさまよったようにです。一度人生を間違ってしまえば10年、20年などあっというまに過ぎてしまいます。インマヌエルの神様に自らの人生を委ねましょう。
神様の御言葉が聞こえるようになってからヤコブは心が柔らかくなります。主が伴われると人の心は柔らかくなります。主を知らない日本人は自分はこういうふうになってしまったから仕方ないと考え心が固い人が多くいます。
枝的な瑣末なことで悩むのではなく幹的な考えで勝負して下さい。幹は私と主を結ぶ太い絆です。
ヤコブが多くの家畜や奴隷を抱えていながら生まれ故郷に移動して帰ることは不可能でしたが、主がそれを実現して下さいました。私たちの身の回りにある大きな問題も主が解決して下さいます。

2014年1月13日月曜日

ノアの信仰

◼2014/1/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:創世記8:1−22
◼メッセンジャー:李秀永宣教師

★メッセージ

神様からの愛がすぐに見えないときにすぐに神様から離れてしまうような汚い心が人間にはあります。しかし、神様はそれとは反対で、私たちがどんなものであっても何をしようとも常に愛して下さる方であります。
ノアは鳩を放して地上の様子を確かめました。ついに鳩が帰って来ず地面が乾いたことがわかりましたが、ノアはすぐに出ることなく神様が命じられるのを待ちました。人は自分の感性や経験などからこれを行えば必ずうまくいくだろうと判断することがありますが、そのとき、主から答えをいただくまで待つようにしなければなりません。
ノアと多くの動物たちが箱舟に乗っていましたので、臭いや糞の処理はどのようなものだったのでしょうか。それらはわかりませんが、おそらく主は長期間箱舟に乗っていても問題ないようにすべて備えて下さったはずです。あらゆる人智を超える主が私たちを導いて下さることを感謝しましょう。
烏と鳩を放しますが、烏は自分のことしか考えず、出たり入ったりするだけでした。鳩はノアの意をくみ取り、外に行って大地の状況を調べてきました。
行くべきか下がるべきか、主が命じる前にはとどまって主の命令を待ち祈るようにしましょう。
マラナタ、主よいらっしゃって下さい、私はここにいます。自らの祈りを主に捧げるいけにえとしましょう。

2014年1月12日日曜日

聖霊の導きに従って歩みましょう

◼2014/1/12
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊の導きに従って歩みましょう
◼聖書箇所:ガラテヤ5:16−26

★メッセージ

教会とはどのようなところでしょうか。漢字が本来の意味をわかりにくくしていますが、何か教えたりするところではありません。ギリシャ語ではイグレシアといいますが、聖霊の力によって人々が集まるところです。
聖霊は一番わかりずらいものです。聖霊は日々私たちに働かれて体験していますが、言葉で言い表すのが難しいです。神学者が学問的にいろいろ解き明かしますが、それも全く十分ではありません。聖霊について理解したり言葉で言い表すことはできませんが、聖霊はうめきをもって私たちをとりなし助けて下さる方です。聖霊は、乾いた地に雨を降らせ潤して畑の土に生命力を与えて下さる方であり、ときにはペンテコストの火のように炎の情熱を与えて下さる方、さらには風のようにどこから来てどこに行くのかわからない方であり、自由な存在であります。知識が足りないときには知識を与えて下さる方であり、私たちに適切な御言葉を与え導いて下さる方です。
聖霊はデュナミスでありデュナマイという動詞は「できます」という意味であり聖霊にはすべてが可能です。
助け主はギリシャ語ではパラクレトスであり、パラとは共にいること、すなわち共にいて助けて下さる方です。

5:16 霊の導きに従って歩みなさい。ジョン・ノックスというスコットランドの宣教師は女王から何度も迫害され奴隷船の奴隷にさえされたことがありましたが、聖霊による戦いを決してやめることなく最後まで戦いついにスコットランドの地の宗教改革を成し遂げ、有名なスコットランド信仰告白を生み出しました。彼は、聖霊が知らなかったときにはむしろ気楽であったが、聖霊が宿られると激しい葛藤が起こると言いました。時間、お金、賜物の使い道について今までの自分を捨てることに様々な葛藤があります。
イエス様は肉体を持ってこられ、また肉体をもって復活された方です。主は私たちの肉体も愛しておられます。クリスチャンは禁欲主義者ではありません。肉体を制御したとしても罪の問題はなくなりません。罪は私たちの心の内から出てくるからです。聖書の「肉」とは肉体のことではなく、聖霊に反するすべての私たちの罪の心をさしています。肉の欲望は私たちから自由を奪い罪の中に飲み込み罪の中毒に陥れます。聖霊は私たちを肉の欲望から自由にさせようとします。ヨハン教会の信徒のみなさんも、今年一年、聖霊様と共に肉の欲望と戦って勝利しましょう。
肉は良きものをダメにしてしまいます。罪によって若くして死んでしまう人もいます。肉による罪とはもったいなさでもあります。せっかく主からいただいた命を簡単に失ってしまったらどれほど残念なことでしょうか。
聖霊は愛であり喜びです。疲れた心にも喜びを与えて下さいます。聖霊だけが真の平和を与えて下さいます。罪に対しては激しく戦いますが、寛容、親切、善意、誠実、柔和の方であり、節制をされる方です。一年間、聖霊の働きが目に見える形で数えられる形で現れるように祈ります。

2014年1月9日木曜日

教会は霊的な病を癒す病院

◼2014/1/9
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼タイトル:
◼聖書箇所:エフェソ4:22−32

★メッセージ

年が新しくなっても組織の編成が変わっても本当に変わるのでしょうか?人の中身が変わらない限り現状は同じです。いつも古い自分に縛られていて全く変わろうとしない人がいます。劣等感、比較意識、これらのものが人の心を支配しておりなかなか変わりません。これらを脱ぎ捨て本当に新しく変えられましょう。
教会は病院ともいえます。皆いろいろなところが病んでいます。足の不自由な人が手の不自由な人を馬鹿にできるでしょうか?目が見えない人が耳の聞こえない人を馬鹿にできるでしょうか?自分では気づいていないかもしれませんが、皆、霊的な病を抱えておりそれが癒されなければいけません。イエス様は病人に来なさいと言われ癒されました。イエス様が私たちの病を癒されます

2014年1月5日日曜日

聖霊の力で証人となる

◼2014/1/5
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊の力で証人となる
◼聖書箇所:使徒言行録1:4−11

★メッセージ

1.主の御名によって集まることに努力しましょう
ヘブライ10:24−25 集会を怠らずに励まし合いましょう
集まって主の御名を呼び求めるときに奇跡的なことが起こりました。使徒言行録1:12− 120人ほどの人々が一つになって祈っていた。
組織を立て直すときには、集まって悔い改めの祈りをし再整備しなければなりません。1:12からは人的な再整備を行い10日間が経過しました。12弟子からイスカリオテのユダが脱落したため、代わりにマティアを選びました。
聖書において間違ったことを徹底的に悔い改め二度としないという決意を行います。
エステル4:16 女官たちと共に断食して祈った。
集まって祈るときにあらゆる祈りの答えがあると確信しましょう。

2.聖霊が降ると力を受けます
聖霊の力はデュナミス、語源はダイナマイトと一緒であり爆発的なことを意味します。
使徒言行録4:12 主の御名の他は祝福はありません。これは絶対的な真理であり信じる人にはあふれるばかりの恵みが注がれます。
毎日で会う人に何をしてどのようにすればよいか悩むことは清い悩みであり主が喜ばれます。

3.聖霊の力を受けるためには
救いの確信、罪の悔い改めが必要です。倫理道徳的な過ちがないようにしましょう。
切に従い求める必要があります。イザヤ書 鹿が水を求めるように切に求めます。