2014年2月26日水曜日

神の国の特徴

◼2014/2/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ13:51−58

★メッセージ

聖書は一貫して神の国について語っています。神の国の特徴は何でしょうか?天の国には主ご自身がおられ一つも罪がないということです。このような完全な場所に罪人である私たちは入ることはできません。ただ一つ私たちが天の国に入る方法があります。それはイエスキリストの十字架の贖いを通してです。
先入観は恵みの妨げになります。ナザレの人々は、イエスキリストは兄弟がいるのに神のひとり子ということが理解できませんでした。ヨセフとマリアの子供なのになぜ神の子なのかと先入観を持っていたので受け入れることができませんでした。私たちもメッセージを語る先生によって、御言葉を聞く姿勢が変わっていることはないでしょうか?もしそのようなことがあれば悔い改めましょう。そうすれば必ず恵みを得られます。
ヨハネ7:5 兄弟たちもイエスを信じていませんでした。
弟たちも子供のときから一緒に遊んでいたので兄が救い主であるとは受け入れられませんでした。しかし、イエスキリストの復活を通して彼らは変化します。特に弟のヤコブは大きく変わりました。彼はパウロと並んで用いられる者となり、ヤコブの手紙を執筆します。その中で、兄であるイエスキリストはメシアであると告白しました。
イエスキリストは、なかなか御言葉を信じない人をも作り変えて下さると信じます。

2014年2月25日火曜日

天の国の宝

◼2014/2/25
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ13:44−50

★メッセージ

当時は畑に宝を隠すことが多くありました。隠した宝は農夫しか知りません。その農夫が変わってしまうとしばらく誰もその宝を見つけられなくなります。その宝を狙って全財産をはたいて買おうとした人もいます。何もなければ全財産を失いますが、宝を見つければ大きな富を得ます。
これはたとえですが、天の国は最も素晴らしい宝があるところです。自分のすべての持ち物を売り払っても天の国の宝を得ることには価値があります。天の国の宝を掘り起こそうとする者には豊かな祝福が与えられます。
商人は希望を持って熱心に真珠を探し求め探し当てました。私たちも積極的に主を求めましょう。それはすでに聖書で約束されています。
神の国の美しさはあきることがありません。真珠は身につけて美しさが引き立つように、天の国では御言葉を学んでそれを行うことで美しい天の国を体験することができます。
世の終わりには正しい者と悪い者がはっきり分けられるとイエス様は明確に語っています。最後には必ず善悪を分けられます。地獄にひとたび行ってしまったら永遠の苦しみが待っています。ある者は呪いの言葉を吐き、ある者はイエスキリストに救いを求めますがすでに遅すぎます。一人も滅びないで天の国にはいれるように福音を伝えましょう。すべての人が救われるように祈りましょう。

2014年2月23日日曜日

第15回YouthCampを前にして

◼2014/2/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:第15回YouthCampを前にして
◼聖書箇所:使徒言行録4:11−12、テモテ二2:1−8

★メッセージ

十戒 出エジプト記20章  第四戒 安息日を守りなさい。キリスト教は道徳倫理的に基準は高いですが、それを守ることが目的ではありません。真理であり道であり命であるイエスキリストに委ね救われることが目的です。
使徒言行録4:12 救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
救いに、あいまいなところがあってはなりません。世の中ではあいまいなことは知恵ではないかと言いますが、救いはただイエスキリストを通してでしかなし得ません。

2014年2月16日日曜日

キリストの内にある豊かな人生

◼2014/2/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:キリストの内にある豊かな人生
◼聖書箇所:ヨハネ15:1−11

★メッセージ

サルディス教会は、生きているとは名ばかりで実際は死んでいると叱られました。クリスチャンといっても名ばかりの信仰の者もいます。現代病の一つは錯覚です。信仰に立っているようでいて足元はぼろぼろです。
聖霊様が宿られているのに実がないのはなぜでしょうか?私たちが聖霊様の働きを妨げています。
若い時には力があり自分の力でなんとかやろうとすることもありますが、年を経るうちに間違っていることに気づくのは恵みです。私たちの価値観を枝切りしなければ、イエスキリストを信じる前の古い考え方が根強く残ります。
火を起こす時、ダンボールや紙ばかり多くいれても薪の表面だけ焦げて煙が出るだけで火が続かないように、私たちの内面が信仰に根ざさなければ表面的な信仰生活で終わってしまいます。
4-5節 わたしにつながりなさい、そうすれば豊かに実を結びます。
悪しき霊は私たちの弱いところを徹底的に攻撃してきます。イエスキリストは断食したときパンで誘惑されましたが、断固として拒否し打ち勝たれました。私たちの捧げる礼拝が真の礼拝になりますように導いて下さい。

2014年2月13日木曜日

メシアであるイエス様

◼2014/2/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:メシアであるイエス様
◼聖書箇所:マタイ11:1−6

★メッセージ

自分が変わらないと真のイエスキリストには出会えません。本当にイエスキリストに会いたいと願うならばどのようにして自分が変わるか願いましょう。愛の行動の黄金律は自分がやってもらいたいと思うことを自らやってあげることです。
牢に閉ざされたヨハネは、イエスキリストが真のメシアなのかどうか戸惑っています。彼はイエスキリストを盛んに語ったのにもかかわらず今は牢に囚われ戸惑いを覚えています。自分が作り上げてきたイエスキリスト像と違うことでつまずいてしまいました。「わたしにつまずかない者は幸いである」と仰っています。
ヨハネは自分が願い考えてきたイエスキリストと違うために疑ってしまいました。私の考えと主が違くてもそれを認め受け入れる信仰を持ちましょう。信仰とは私たちがイエス様を描くのではなく、イエス様が私たちを描けるよう、その方を信頼することです。
トルコでは宣教が禁じられており発覚すれば逮捕されますので宣教師という人がいません。その中で宣教をした宣教師があるとき自分が教えていた若者たちに宣教師が殺されてしまいました。しかし、彼の妻と家族たちは生放送で彼らを赦しますと伝えました。主を信じて伝えたのに迫害されたとしても、主への信頼を忘れないようにしましょう。

私たちが信頼できない理由の一つは交わりが薄いことです。賛美や献金をしていたとしても神様との深い交わりがありません。命をも任せるような神様との深い交わりを持ちましょう。二つ目は世にある信頼関係で考えてしまうことです。世にある人間関係、親子関係でイエスキリストとの関係を考えないで下さい。
韓国のリバイバル集会にて、「来て見て信じなさい」というメッセージがありました。まず行って見て聞いて自分が見たことを伝道すれば良いのです。雄弁や言葉や論理がなくても良いので、ただ聖霊様が私の口を通して語ってくれるように願いましょう。
どのような人が幸いか?山上の説教にて。心の貧しい人、悲しむ人々、柔和な人々、義に飢え渇く人々、憐れみ深い人々、心の清い人々、平和を実現する人々、義のために迫害される人々
クリスチャンは黙っているのではなく何が正しいか言わなければいけません。ある学者は、ものを言わない国民は政治を正しくできない可能性があり不安があると言っています。誰かが間違った方向に導きかねないからです。
仏教は山に寺を作って世と離れますが、教会は街にあり世に遣わされています。両足は世に着きながら、両目は神様の国を見上げ、両手は神様の福音を伝えます。清さを持ちながらも世に負けず食べ遊び楽しむことも大切です。
目に見える物質がすべてでないことの意識が必要です。今まで頼ったものがなくなっても主が共にいて為さって下さることの感覚が必要です。ちょっと不便でも決して不幸ではありません。

2014年2月9日日曜日

正しい信仰の告白で真実と偽りを分別しましょう

◼2014/2/9
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:正しい信仰の告白で真実と偽りを分別しましょう
◼聖書箇所:第二ペテロ2:1−11

★メッセージ

1.偽教師たちの特徴

1:16 キリストの力を知らせるのに、巧みな作り話を用いたわけではありません。キリストの栄光を目撃したのです。
本物の教師はイエスキリストは受肉されて来られたメシアであることを述べ伝えました。
1:17 主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。
私が殉教してもあなたがたは正しい信仰を持って歩みなさい。
2章では、偽物の教えが必ず現れるのでそれに惑わされてはいけないという信仰の内部的な警告です。
偽予言者は自分にとって利益になるようなメッセージをします。神の御声を聞いたこともないのにまるで御声を聞いたかのように言いました。
エゼキエル書では137回も「主の言葉が私に望んだ」という表現があります。当時は御言葉を主から啓示によっていただく時代でしたが、偽予言者たちは信仰などなくても大丈夫と偽りの話をしました。聖書の言葉を引用しながら自分の考えばかり話すのは偽教師です。霊知主義(グノーシス主義)など。現代の異端はまともな知識もなく、信条や団体の名前までもころころ変えてしまいます。
偽教師たちの特徴はみだらな行いと貪欲です。
テサロニケ一4:3 みだらな行いを避け、汚れのない心と尊敬の念を持って妻と生活しなさい
コリント一6:15
コロサイ3:5 貪欲を捨て去りなさい。情欲的な罪を指摘し、貪欲は偶像礼拝だと指摘します。
性的な罪に対して常に警戒しましょう。
ヤコブ1:15

2.聖霊様の歴史で見た審判と救い
3節から8節まで
イザヤ書14:12 天から落ちて堕落した天使について
2:5 ノアの時代の悪者に対する主の裁き
ローマ1:21 主から捨てられるのは第一に情欲的な罪を犯す者、第二に同性愛の者、第三に21の罪を犯す者、これがロトでした。妻は振り返って塩の柱になり、ロトは二人の娘と関係を持ってモアブとアンモンの子孫が生まれてしまいます。クリスチャンが堕落するとこのように大きな罪に陥ります。

2014年2月6日木曜日

新しいぶどう酒として来られたイエス様

◼2014/2/6
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:新しいぶどう酒として来られたイエス様
◼聖書箇所:マタイ9:9−17

★メッセージ

赤ちゃんがお腹の中にいるときはどこでも自由に行けますが、生まれると子供の世話をしなければならず、一日はほとんどそれで潰れてしまうと母親が言います。子供でさえ育てるのは難しいですからイエス様の弟子を育てることはもっと難しいともいえます。

イエス様は罪人と食事をしました。「罪人」という言葉はユダヤ人たちが使った言葉です。彼らは自分の身分や立場とは違うものを罪人として決めつけました。自分の目の丸太が見えないものです。
立場が弱いものたち、罪人とされた人々はイエス様の言葉を素直に受け入れました。
主に治せない病はありません。体の病気が癒されても心の病気が癒されないと完全な癒しではありません。高慢な病気がとても治癒が難しい病気です。それらを癒して下さる主であることを信じましょう。せっかく早天祈祷会に来るならば祈りが答えられることを信じて祈りましょう。
憐れむ心があるならば表現して下さい。言葉では言うけれど行動には移さない者にならないで下さい。
偏った人々は自分と同じ条件の人しか受け入れませんでした。特定の人からしか意見を聞かず本当の真理の教えを聞こうとはしませんでした。自分の狭い考えを捨てて下さい。主の心を下さいという賛美がありますが、その言葉どおりになるように賛美しましょう。
他の人々に憐れむにはどうすれば良いでしょうか。まず祈りがあります。また家族を通して何かをもてなすこともできます。励ましの手紙を送ることもできます。

ヨハネの弟子はヨハネからイエス様は救い主であることを聞いていましたが、自分はあくまでもヨハネの弟子と考えてイエス様の教えを聞こうとはしませんでした。自分が基準でなくイエス様が基準とならなければなりません。
新しいぶどう酒はイエスキリストの福音、古いぶどう酒はユダヤ人の律法主義です。新しい福音は異邦人にも伝える福音です。弱いもの汚れたものたちと共にする福音です。
私はリーダーだから筍長だから先生だからと硬くならずいろいろな考えをもって行いましょう。
私が誰かに背負われていくのではなく自分がどんどん背負っていく者になりましょう。
ルカ17:10 しなければならないことをしただけです。このような考えを一生持ちましょう。

信仰の薄い者たちよ

◼2014/2/6
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼タイトル:
◼聖書箇所:マタイ8:23−34

★メッセージ

信仰がない者はすぐにわかりますし、伝道者のもとでよく聞いてイエスキリストを信じ受け入れば良いのですから、ある意味、そこまで深刻ではないかもしれません。本章では、信仰の薄い者たちよ、とイエス様は問いかけます。信仰が薄い者が強い信仰に成長することのほうがもっと難しいといえます。
第7章まではイエス様によるメッセージでした。その後、数々の癒しの御業を行います。
8:20 人の子には枕するところもない。切迫した自分のこれから歩む人生について語り弟子たちに本当についてくるのかと問いかけます。イエス様のミニストリーは弟子たちを育てることでした。そうしなければイエス様の働きはイエス様に閉じたものになってしまい、世界中に福音を伝えることもできません。
よく同じ奉仕を長く行う人がおりそれは良いことですが、それだけに留まらず自分の領域を広げて下さい。かつて優良メーカーであったSONYも今年度は赤字でパソコン事業やTV事業の売却の話も出ています。世の中はどんどん移ろい変わっていきます。ヨハン教会の皆さんも一皮むけて今年こそ次の場所へと移っていけるように信じます。

舟に乗っていて嵐に遭い弟子たちが寝ていたイエス様を起こした時、イエス様が怒ったのは信仰的な問題に対してでした。なぜ怖れるのかと問いかけます。我々は御言葉を読まず祈らないとき、主の想いから離れ目に見える周囲のことにとらわれてしまいます。目を覚ましイエス様に目を合わせましょう。舟の船長はイエス様です。イエス様を信頼をおいて歩みましょう。
ある人は刑務所の中で誰も望ましい死刑執行人に自らの志願してなり、死刑囚たちに福音を伝えました。最初は福音を抵抗して拒みますが、どんな凶暴な囚人でも死刑の直前になるとパニックになり家族の名前を叫び泣き出します。そのときに福音を伝え彼らの救いに導きました。

悪霊にとりつかれた人は墓場の隣に家を建て住んでいました。当時は人権が整っていない時代ですから、人々から全く顧みられることはありませんでした。その人をイエス様は愛し豚に悪霊を移すことで救って下さいます。豚2000匹よりも人の命のほうが尊いことを教えてくれます。

2014年2月3日月曜日

イエス様の映画を見て石を投げる子供たち

◼2014/2/3
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ8:1−13

★メッセージ

イエスキリストはマタイ3章で洗礼を受けられ4章で誘惑を受けられその後福音を伝えられました。最初のメッセージは悔い改めなさいでした。次に病気を癒されました。具体的な恵みがなければ信仰が成長しないからです。
山上垂訓をされた後、山を下ると、重い皮膚病を患っている人が近寄ってきました。すべての病を癒されるのは主の働きですからどんな病も恐れてはいけません。病を癒す力を祭祀に与えられましたが、私たちは王の系統をひく祭祀とされたのですから、そのためにも祈って下さい。この皮膚病は皮膚の感覚まで失ってしまう重い病気ですが、魂の病も清い感覚を失ってしまうことではないでしょうか。主イエス様に対する感覚を失うならば自らの罪に陥ります。ヨハン教会でも肉体および魂の癒しの御業があるように祈ります。
悪霊がおそれるのはイエスキリストです。悪霊は御言葉に触れると冷や汗が出てその場にひれふし赦しを請います。しかし、それは形だけであり、本質が変わることはありません。
後進国では心が貧しいのでイエスの映画をみたらほぼ100%信じ受けいれます。イエス様が捕らえられて連れていかれる場面では子供たちがスクリーンに向かって石を投げたそうです。このようなイエス様に対する想いを日本や韓国で見ることができるでしょうか。
学校で本当に成績が良い人は頭の良い人ではなく先生の言うことをよく聞く人です。ある程度までは頭の良さでカバーできますが、それ以上は先生の言うことを実践する人が良い成績を残します。信仰の正しいエリート意識を持ってください。パウロのような清い心をもってすべてを尽くすのがエリートです。

百人隊長はイエス様にお会いしたとき、私の屋根の下にお迎えできるようなものではありませんと謙遜に話します。百人隊長は自分の立場をわきまえた聡明な人でした。
世の中には立場が上になるとすぐに高慢になる人がいます。聖霊によって訓練されることなく聖霊の力だけ望む人は愚かな人です。

2014年2月2日日曜日

聖霊の力で証人となろう(4)

◼2014/2/2
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:聖霊の力で証人となろう(4)
◼聖書箇所:第一コリント12:4−11、28:31

★メッセージ

誰でも聖霊の恵みによらなければなりません。
ローマ1:16 わたしは福音を恥としない。福音はすべての人に救いをもたらす神の力です。
正しい者は信仰によって生きます。
食べ放題のことを他の国ではビュッフェといいますが、日本ではバイキングといいます。バイキングとは中世以前にヨーロッパにいた海賊たちであり野蛮な民族でしたが、福音が伝わって数世紀にかけて福音化され、やがてはピューリタンが現れアメリカ大陸に移住して福音を伝えるようになりました。

病気を癒す力にはいろいろなものがあります。アフリカなど病院に行くために飛行機に乗っていかなければならないような国では、宣教師が入って次々と奇跡的な癒しの業が起こっています。一方で先進国では医療が整っており、医師の治療や薬を投与されますが、それで癒されるのではなく、聖霊様が癒して下さるのです。すべての病気を癒す力は聖霊様しかできません。医学や薬学も聖霊の知恵によって主が開発させてくださったものです。聖霊による癒しの特徴は再発がないことです。天国の体質へと作り変えられます。
二ペテロ3:9、一ペテロ3:4 神は誰も地獄に落とされることを望んでいません。

奇跡を起こす力が与えられます。エリヤ、エリシャを通してたくさんの奇跡が起こされましたが、彼がすごいわけではなく彼は私たちと全く同じ人間です。聖霊様が彼らを通して働いて下さり奇跡が起こされたのです。モーセによるエジプトへの10の災いや紅海が割れたことも父なる神様と聖霊様による奇跡です。今の我々の生活にはどのような奇跡が必要でしょうか?人によって違うところもありますが、超自然的な奇跡も起こされるうることを信じましょう。

霊を見分ける力は教職者だけでなく一般信徒にも与えられます。悪霊はうそつきのプロであり聖霊のふりをしますが、その悪霊を見分ける力が与えられることを求めましょう。
異言を語る力も与えられます。ただし、公の場ではあまりそれを強調しないようにしましょう。信仰が足りない人にとってはそれが神秘主義的なことに陥りやすく間違っが方向に進みやすいです。異言で祈るのは楽なものであり、何時間もどんどん祈ることができます。

聖霊の賜物は一人だけにすべて与えられるものではなく、あらゆるクリスチャンに分け与えられるものです。我々は体の部分であり全員が組み合わされてイエスキリストの立派な体を形作っています。ですから、賜物があるからといって自慢したり過大に評価してはなりません。むしろ、自分を謙遜にし互いに尊敬し合うべきです。与えられた賜物を最大限に生かして主に仕えるならば他の賜物も任せてくださいます。27の賜物は一斉に与えられるものでなく一つ一つ与えられます。
もっと大きな賜物が与えられるように祈りなさい。コリント一13章 どんな賜物があっても愛がなければ無に等しい