2014年3月30日日曜日

隣人を自分のように愛しなさい

◼2014/3/30
◼ヨハン早稲田キリスト教会 土曜礼拝
◼聖書箇所:マルコ12:28−34

★メッセージ

旧約聖書には、〜しなさいという命令の律法が248個、〜してはいけないという禁止の律法が365個、合計613個の律法がありました。その中でも最も重要なものは何かと一人の律法学者がイエス様に尋ねます。申命記6:4-9には、心を尽くし魂を尽くし力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさいとあるように、イエス様は答えられました。するとこの律法学者は納得して答えました。偽善的な学者が多かったですが、この学者は主を求めていた者でした。
弟子は少しでもイエス様のようになりたいという思いを持って近づいたものでした。一方で群衆は人々の影に隠れながら自分の都合でイエス様に近づき自分の利益を求め、不利になるとすぐに離れるような存在でした。
隣人を自分のように好きになりなさいではなく愛しなさいと言われました。好きになるのは感情的な勢いでやれることもありますが、愛することは忍耐と努力が必要です。私たちが愛を持って接するべき隣人はどこにいるでしょうか。自分が属する組織の中にそして外にいます。拒んでいる隣人はいないでしょうか。

2014年3月27日木曜日

あなたたちは不幸だ

◼2014/3/27
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:あなたたちは不幸だ
◼聖書箇所:マタイ23:13−22

★メッセージ

エルサレムに来たイエス様を人々は喜んで受け入れましたが、本当にイエス様を受け入れるのかどうかが問題です。やがて、イエス様が来られた目的が自分たちの利益とは異なるのを知りイエス様を裏切り迫害していきます。
イエス様を可愛くしてはいけません。最近の日本では大変なことを可愛く書く傾向があります。シリアスな内容を美少年美少女を使って漫画したりします。アンネフランクの日記は実際は非常にドロドロして残酷な内容なのですが、それを可愛らしいアンネに変えどこかメルヘンチックに変えてしまうのです。
ある女はイエス様のもとにきて油を注ぎました。イエス様は真の預言者であり、生きた神様の御言葉を忠実に確実で伝えられる最も優れた預言者たちでした。私たちが一番恐れなければならないのは、神様から叱られることではなく神様から捨てられることです。
サタンは地獄に行く道連れを探しています。そして道連れにした者を最後まで最も憎み侮辱します。それが悪の本質です。
日本のおもてなし文化とは一種の仮面文化ともいえます。マクドナルドなどの店にいけば、いらっしゃいませーと高いトーンで素晴らしい歓迎を受けますが、家でそのように挨拶するでしょうか。お客もそれで満足してしまうのかもしれませんが、本物の交流ではありません。イエス様はそのようなことはお構いなく堂々と相手の心に踏み込んでいって御言葉を伝え救おうとします。

お金が現実に見えるものだからファリサイ派の人たちはそのように言いますが、彼らは本当は目が見えない者たちでした。主を信じているふりをして実際には目に見えるお金の力を信じているのは偽善者です。
神殿の中に住んでおられる方、神の玉座に座っておられる方は、真の神様です。

世の中でも保証人となる人はその人が対象の人とどういう関係にあるか、対象者がお金を返せない場合などに賠償してくれ人なのかそれが問題になります。
隠すことなく偽善者にならないでただありのままを主の前に捧げましょう。神様の前にオープンであるのはもちろんのこと人々の前でもオープンなものでありましょう。

2014年3月26日水曜日

知識は人を高慢にします

◼2014/3/26
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ22:34−46

★メッセージ

律法学者たちは御言葉を論理的に分析したり分類したりすることばかりに力を注いでいました。そこにイエス様が現れ、律法全体をたった二つの掟にまとめました。律法学者たちはどれほど唖然としたことでしょうか。まるで赤ん坊が熊に戦いを挑むかのようです。律法そのものでありそれを完全に熟知し守られる方に対して、重箱の隅をつつこうとしました。
知識はときに人を高慢にします。全く知らない人は何も言えませんので言いません。あるいは全てを知っている人は言うのが怖くて何も言いません。問題なのはある程度知っている人であり、この人たちはたくさん言おうとします。福音を適当にある程度知っている人も問題です。
教職者の中でも知識に入り込みすぎてしまう人がいます。ギリシャ語やラテン語だけでなく、シリア語やアラム語まで究めようとする人がいます。専門家であるならばわかりますが、通常の牧会のためであれば的を外しているといえます。

愛は涙の種です。100%の愛で主に捧げて尽くして下さい。
44節 わたしの右の座につきなさい。あなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで。主の右の座につかれる方はイエスキリストであります。

2014年3月23日日曜日

四旬節説教(2)捨てた石が親石になられたイエス・キリスト

◼2014/3/23
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:捨てた石が親石になられたイエス・キリスト
        四旬節説教(2)
◼聖書箇所:マタイ21:33−46

★メッセージ

現在は四旬節です。イエスキリストがどうして十字架につけられ死ななければならなかったのか、それは自分の罪のためであったことを覚え告白し主に捧げる期間となりますように。
28-32節 二人の息子のたとえは、当時、イエス様が福音を伝えたが信じなかった人々と、伝える対象ではなかったが信じた人々を表現しています。ヨハン教会の皆さんはいかがでしょうか。ある面は信じて従うがある面は信じないというような間違った信仰を正して主に従うものとなりましょう。
33節からは、ぶどう園の農夫と主人の話です。主人は主イエス様を、ぶどう園は神の国を、絞り場は限りない恵みがあふれる場所を意味します。農夫たちは、教会の一つ一つの重要な役割を担う建物の柱のような人々を意味します。
農夫たちは収穫の一部を主人に納めるという契約を結んでおり、主人はそれを受け取るため僕を送りました。3とは聖書では完全な数です。最初に送った三人の僕は収穫を受け取るのに十分な人数でしたが、農夫たちは三人に惨いことをします。この僕はイエスキリストの証人を示しています。最後には息子、すなわち受肉した神の子イエスキリストを送りました。神様は私たちが実を結んでいるかどうか調べられます。
マタイ7:17 良い木は良い実を結び悪い木は悪い実を結ぶ。実によって見分けることができる。人格的な実と伝道養育につながる実を意味します。
ヘブライ4:13 神の前に隠れたものはなくすべてのものは神の御前で裸でありさらけ出されています。
コリント第二5:10 自分の行いに応じて報いを受けます。
ヨハネ15:2 実を結ばない枝は取り除かれる。実を結ぶ枝は豊かに手入れされる。
実とは、クリスチャンとして生まれ変わって聖霊様と共に歩んでいる者の印であり、愛があり従順であり言葉づかいも行動も品性があるような者です。愛は人格的な実践でありロボットのように機械的なものではありません。愛することは謙遜になることです。
主は収穫を待ち望んでおられます。実を結ばない罪を犯さないように四旬節の期間によく悔い改め実を結ぶように励みましょう。

農夫たちは子供まで殺したら農園が自分のものになると錯覚していました。
季節ごとに収穫を納める人々とはどういう人でしょうか?環境が悪い状況が悪いといっていつも周りのせいにし、いつも明日やりますと言って行わない人、言い訳ばかりの人は違います。クリスチャンは一週間単位で生きなければいけません。神の子イエスキリストが私たちの罪のために十字架にかかり死んだことを覚え主に自らを捧げましょう。
42節 当時のイスラエルではほとんどを石で家を建て、一部木材を使用しました。人々が退けたイエスキリストが真の救い主となられました。打ち捨てられて誰の目にも止まらない隅の石がイエスキリストでした。イエス キリストの働きはわずか3年半でしたが、あらゆる病人を癒し人権のない者に救いの手を与え律法学者たちに真実を教えました。
ヨハネ5:39 聖書はイエスキリストを証する書物です。ヨハネ5:24 わたしを信じる者は裁かれることなく永遠の命へ移っている。
積極的に主イエスを愛し周囲の人々を愛しましょう。そうすれば、四旬節で意味深く豊かな生活が待っています。

43節 神の国はあなたたちからとりあげられ、ふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。ユダヤ人たちは福音は自分たちのものとばかり思い込み他の民族に伝えることをしませんでした。それは神様が最も忌み嫌うものです。
ふさわしい実を結ぶ民族が日本人であり、その実を結ぶために、ヨハン教会でも福音伝道の働きがますます活発化されるように祈ります。職場、学校において愛の輪、清めの輪、赦しの輪を広めていきましょう。
45節 ファリサイ派の人々は自分たちのことを言っていると気づきましたが悔い改めませんでした。気づいて悔い改めれば、それまでの罪がどんなものであったにしても主は赦し高めて下さいます。

2014年3月20日木曜日

イエス様の真の権威

◼2014/3/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:イエス様の真の権威
◼聖書箇所:マタイ21:23−32

★メッセージ

リーダーは自ら信仰の実践をしないと実りがなく教えることができません。いちじくの木のように実がなく切られてしまいます。人が簡単にできることをしたとしても勝利になりません。主しかできないという実を残し証するものになりましょう。
訓練とはただ御言葉を教えるだけでなく実行できるようにすることです。聖書は論理的にもよく教えればよく学び信仰に至ることができます。イエス様を学ぶことに躊躇してはいけません。イエス様も学ぶと賢くなり秩序も守るようになります。愚かな者も賢い者になります。中高校生に聖書を教えると最初は落ち着かなかった学生たちもやがてメッセージのノートをとり自分が学んだことを整理し述べられるようになります。
イエス様は神殿で御言葉を教えられました。主の宮である教会で教えると他の場所で教えるよりも後押しされているようで良く教えることができます。教会にはイエス様の権威が満ち溢れているからです。
イエス様を信じると他のものに対する恐れがなくなり死さえも恐れなくなります。遠藤周作は「沈黙」という題の本を書きましたが、神様が沈黙しているように感じるのは信仰がないからです。信仰があればどんな場所や状況においても主が働いて下さることを感じます。

二人の息子の例えでは、兄は嫌ですと言いましたが考え直してぶどう園に行って働きましたが、弟は行くといいながら行きませんでした。行いが実際の信仰を表しています。
主を軽んじてしまう人は教会の先生や学ぶことに従わず、むしろ仕事やお金にのめりこんでしまいます。そのような人には主の権威をもってわかるまで教えなければいけません。主を否定する人は従うと損をするのではないかと誤った考えをもっています。実際は世の中の考えでいるほうがもっと損をします。十一献金をする人はなぜかお金に困ることがあまりありません。むしろ、献金をしない世の人々のほうが給料日の一週間前になるとお金がなくなり苦しんでいます。

実を期待される

◼2014/3/20
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マルコ12:12−25

★メッセージ

当時の群衆はイエス様をローマから解放してくれる救世主として受け入れ歓迎しました。
12節 イエス様は空腹を覚えられました。これは単純に空腹であったということではなくイエス様が木の実を見ようとされたのです。
いちじくは派手ではありませんがイスラエルを象徴する木です。日本でいう桜の木のようなものです。実がなっていないこの季節にイエス様はわざわざ近寄って実を探されました。どうしてでしょうか?それでも実がなっていることに期待していました。
ホセア9:10 荒れ野でぶどうを見出したようにイスラエルを見出した。いちじくが初めてつけた実のように先祖を見た。イエス様はイスラエルの人々に実りがあることをとても期待していました。
マタイ23:37 めんどりが雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。鳩の巣から卵を一つとっただけでも親鳥は騒ぎだします。卵一つ一つを少しでも自分の羽の下で暖めたいのです。イエス様は私たち一人一人を憐れんでおられ豊かに実を結ぶことを期待しています。それゆえ、いちじくの木の実を枯らしてでも警告しようとしました。

神殿の商人はまじめに神殿に通っているようでいながらイエス様の神殿を荒らしていました。形式主義的な信仰生活に対して警告し主が怒りを発しておられます。形式主義という偶像礼拝を主は厭われています。律法学者たちはイエス様よりも群衆の目を気にして恐れていました。群衆から良く思われたかったのです。私たちも人の目を気にするのではなくイエス様だけを見上げて愛する者になりましょう。
祈る相手を赦しなさい。人のために祈り始めるときまず赦すことから始まらなければなりません。私が赦していただいたから他の人を赦そうという決意がありますように。
24節 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすればそのとおりになる。

2014年3月19日水曜日

主の用いる器

◼2014/3/19
◼ヨハン早稲田キリスト教会 モーニングチャペル
◼聖書箇所:マタイ21:1−11

★メッセージ

韓国では1970年代に若者を中心に大きなリバイバルを遂げたくさんの献身者が生み出されました。しかし、1980年代になってその流れが止まり今は教会を建てるのが大変なほど苦しい状況にあります。大きな教会もたくさんありますが、それが何の苦労もなしにできたと思ってはなりません。イエス様の杯を飲みますと言った弟子たちもその深い意味を理解していませんでした。天の国の王座に座ることはどれほど犠牲が伴うことでしょうか。弟子たちは結局、イエス様を裏切って散りぢりになってしまいました。
人は何も困難がないと祈らなくなる傾向があります。リーダーはうまくいっている時にもよく祈って未来に備えなければなりません。よく備えた者は必ず苦難を乗り越え主と共に歩む者となります。ヨハン教会の日本人、中国人の信徒たちも主が見ておられると信じます。

イエス様が来られたとき、盲人はイエス様に憐れんでくださいと叫びました。本当の盲人は誰でしょうか?パリサイ人、ファリサイ人などの律法学者たちでした。
イエス様は弟子たちにろばを連れてくるように命じます。ろばを買ってきなさいとか交渉して借りてきなさいとかではなく、持ち主がいないにもかかわらず連れてきなさいといいます。一般的な人間の取引ではありませんが、主が万物を支配しておられることの証であります。主が用いようとするものは即時に何でも用いられます。しかし、私たちが言い訳が多過ぎるとなかなか用いられません。ヨハン教会の日本人、中国人の信徒たちが主の貴い器として用いられることを願います。
この世での人々からの称賛を目当てにして奉仕をしないでください。それらはやがて消えてなくなる虚しいものです。主イエス様の喜びだけを考えて奉仕を捧げて下さい。神様の必要に敏感になって下さい。私有化された祈りや働きをおろしてすべての主人公はイエス様として栄光を主に帰しましょう。

2014年3月16日日曜日

四旬節説教(1)人の子は仕えるため、また身代金として来られました

◼2014/3/16
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:人の子は仕えるため、また身代金として来られました
        四旬節説教(1)
◼聖書箇所:マタイ20:17−28

★メッセージ

四旬節は聖書の中でもクライマックス的な箇所といえます。
マタイ16:21 エルサレムで苦しみを受けて殺され三日目に復活するとイエスは弟子たちに予言されました。
私たちが父なる神様と告白し洗礼を受けることは、私たちの努力や独自の意思ではなく、主が前もて約束されたことです。地獄に陥る人々は福音を伝えてもその場では信じず明日信じますと言います。
本来は喜ぶべきですが、復活するとイエス様が仰ると人々は悲しみました。人々は自分のことばかり考えているからです。

イエスキリストによる贖いの業は十字架です。あらゆる悪行を浴びせられ暴力をふるわれ卑しめられて死なれました。それによって私たちの罪を贖って下さったことを忘れてはいけません。イエス様の死が肉体的な死だけであれば私たちはた肉体的に復活できるだけです。イエスキリストは肉体的だけでなく精神的に、感情的に完全に死なれました。それゆえに天国に完全な姿で入ることができます。
エフェソ2:1 かつて私たちは罪の中を歩んでいましたが恵みにより救って下さいました。

神の子イエスキリストがなぜ苦しまなければならなかったが四旬節のポイントの一つです。
ヤコブとヨハネの母はイエス様のところに来て、自分の息子たちを王座の両隣に座れるように言いました。これは神の国で総理大臣の近くにいる大臣にして下さいと言っているようなものです。しかも他の聖書訳によれば、イエス様にそうするように命じています。非常に無礼な発言でしたが、この母親を含めて人々は自分が何を願っているかよくわかっていませんでした。

男性は一番苦しいときに弱くなって縮こまってしまうことがあります。最も堕落した暗い時代には女の預言者が働きました。大変な時代にも女のリーダーが現れます。賢い女性は男性の自尊心をうまく刺激して大変な状況でも奮い立つようにさせます。
クリスチャンには弟子と群衆の二種類がいます。群衆は自分のことばかり考えて行動するので用いられません。自分を犠牲にして主に捧げる弟子が用いられます。
仕える者はギリシャ語でディアコノスと言いますが、これが後で執事に変わりました。仕えることと奉仕は違います。奉仕とは、高いレベルにある人が低いレベルにある人たちに対して臨時的に低くなり行うことです。一方、仕えることとは、終始、低いレベルですべての人に捧げることです。イエスキリストの名でできると言うものはそれらを行うことができます。聖霊様の超自然的な力を主は与えてくださいます。それが証になります。

2014年3月13日木曜日

天国と永遠の命

◼2014/3/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 BibleStudy
◼タイトル:天国と永遠の命
◼聖書箇所:マタイ19:13−22

★メッセージ

イエス様は天国のことを語りたかったのですが、人は罪人であり天国のことを理解できないため、たとえを持って語られました。
人は持っているものや容姿で劣等感や高慢さなどがありますが、天国にはそのようなものは全くありません。
イエス様との関係は完全な親子関係です。今の時代には変な親たちも多くいて親を尊敬できない子供も多いです。この世の親は完全ではありませんし、自分自身の人生もよく生きることができなく、やがて死ぬべき存在です。本当に私たちを守ってくれるのは完全でおられるイエス様です。

金持ちの青年は、永遠の命を得るにはどんな良いことをすればよいかと聞きました。彼は自分が良いことをする人だという自身があったのです。彼は自分が良いことをたくさんしたから永遠の命をもらえると思っていました。どれほど高慢な者でしょうか。実際、永遠の命は良い行いではなく信仰によって与えられます。
18節で、青年は「どの掟ですか」と質問します。自分は全て守っているかのような高慢な質問です。それに対してもイエス様は丁寧に答えてくれますが、一つだけ、貪欲に対する掟が抜けています。20節では「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか」と高ぶります。完全に律法を守れる人がいるでしょうか。心の中で人を妬むだけでも罪です。信仰を持つ前の私たちはこの青年と同じような者でした。
天国での善い行いはこの世のものとは異なります。この世ではお金が基準ですが、天国では行いではなく信仰により永遠の命が与えられます。これこそ真の平等な関係です。
ヨハン教会の信徒たちは大金持ちはいませんので、むしろ幸いかもしれません。

マタイ18章

◼2014/3/13
◼ヨハン早稲田キリスト教会 木曜礼拝
◼聖書箇所:マタイ18:1−20

★メッセージ

1-4節は弱い人を大切にしなさいというメッセージです。第一に子供たちを大切にするように言われました。子供もうつ病になりますし、他の病気にもかかります。子供らしい子供は大人をあまり気にせず自分の言いたいことをストレートに言いますが可愛らしさがあります。家庭の雰囲気が良くない場合は大人を気にしすぎてしまいます。
10節では、小さな者ひとりでも軽んじないように言われています。子供たち一人ずつ大切にする雰囲気を作りましょう。イスラエルでは12歳までが子供で、12歳になると独自の成人式をします。
イエス様は子供たちを大切にしない者たちには理性的にではなく感情的に怒られました。そして、うるさい子供たちを自分に近づくようにさせました。イエス様は通常、怒る時には理性的にまた意思的に怒るものですが、このときは感情的になられました。
イエス様は弱い人、たとえば信仰が弱い人、社会的にうまくいかない人をも大切にしました。一方、他の宗教ではよく今の自分がよくないのは前世や行いが悪いと批判します。
第一テサロニケ5章12節からは教会での兄弟姉妹たちとの交わりについて言及しています。12節 導き戒めている人々を重んじ→教職者や執事を尊敬すること。14節 勧めます→強い命令形。弱い者たちを助け忍耐強く接しなさい。15節 すべての人たちに対して善を行うよう努めなさい。
タラント=才能でもあります。1デナリオンは一日の賃金ですが、一日の賃金は約1万円として、1タラントン=6000デナリオン、1万タラントンは6000億円に相当します。この借金が帳消しにされることのたとえは、無限に永遠に罪が赦されることを意味しています。

2014年3月9日日曜日

正しい信仰をよく守るのも力であった

◼2014/3/9
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:正しい信仰をよく守るのも力であった
        ペトロの手紙講解22
◼聖書箇所:ペトロ二2:17−3:2

★メッセージ

真理であるイエスキリストを信じる者を陥れようと必ず異端が現れます。そのような者が受けるべき裁きが述べられ、偽りにだまされてしまう人々について、そして最終的にはどうすれば良いかが描かれます。

第一に偽りにだまされてしまった者の絶望感です。終末になればなるほど、良く聖書を学んだ人々はすぐに異端を見分けることができます。しかし、体系的に聖書を学んだことがない人々はよくもだまされてしまいます。「干上がった泉、嵐に吹き払われる霧」のようになってしまいます。霧は幻想的ですが、温度条件が変わるとすぐに消えてしまいます。
18節 大言壮語し、信仰を持ったばかりの人を誘惑します。
19節 自分自身は滅亡の奴隷です。

20-22節はイエスキリストを信じた後にいたんにだまされて以前の自分に戻ってしまう人への警告です。イエスキリストを信じる前よりももっとひどい状態になります。

聖書の究極的な目的は人々の心に、聖霊様の記憶を呼び起こし、純真な心を奮い立たせることです。

2014年3月2日日曜日

正しい信仰で偽りにだまされないようにしましょう

◼2014/3/2
◼ヨハン早稲田キリスト教会 主日礼拝
◼タイトル:正しい信仰で偽りにだまされないようにしましょう
        ペトロの手紙講解21
◼聖書箇所:ペトロ二2:12−18

★メッセージ

1.偽教師の行動と結果

教会やクリスチャンに対して悪を犯す人たち続けていると体質になってしまいます。このような人々は多いに悔い改めなければなりません。知らないでイエスキリストを馬鹿にしてしまうことがどれほどの罪でしょうか。まるで何も考えがない動物と同じです。
14節 飽くことなく罪を重ねています。良心が麻痺して罪がとどまることがありません。
あらゆる賜物が聖霊様によってすでに与えられていることを感謝しましょう。主が来られたのは私たちが聖なる生活をすることです。
民数記22-24章において、バラムは間違いを主から指摘され、イスラエルの民を祝福するようになります。