2014年9月6日土曜日

あなたがたの信仰はどこにあるのか

「あなたがたの信仰はどこにあるのか」

先月までヨハン教会連合の牧師であった金圭東氏が書いたメッセージ集のタイトルです。
ルカによる福音書の説教集ですが、上下巻それぞれ500ページ近くある冊子で、金圭東氏のメッセージが凝縮されたかなり濃い内容となっています。

メッセージ内容を読んでの感想は書ききれないほどありますが、今回はこの本のタイトルである「あなたがたの信仰はどこにあるのか」について考えさせられました。

聖書では、わたしたちの救い主はただイエスキリストおひとりであると教えています。そして、私はただイエスキリストだけを信じて歩んでいたと思っていたのですが、そうではなかったようです。

実際は、イエスキリスト以外のものにも何か信仰心のようなものがあったのかもしれません。それは、たとえば、教会に対する信仰、あるいは牧師や教会の先生に対する信仰です。

私の所属しているヨハン教会連合は次々と教職者や信徒を生み出し全国に開拓教会も建てどんどん大きくなっていきました。その中で、この教会にいれば将来は安泰だとか、この教会で将来役員等になっていけば、日本のキリスト教会の主導をとれるとか、そういう思いがあったのではないかと自分の心に手を当てて悔い改めざるをえません。また、教会の教職者からいろいろ励まされたり良いことをしてもらったことで、その教職者を頼ってしまう思いもありました。

クリスチャンの信仰は、特定の教会や特定の恩師などに向かう信仰ではなく、ただ主なる神様に求める信仰でなければいけません。どの教会に所属したとしても、どの人と別れることになったとしても、ただ主なる神様だけを頼る信仰です。

日本でいろいろな教会が内部の人間的な戦いや外部からの誹謗中傷などで分裂して倒れていく話を今まで聞いていましたが、ヨハン教会だけはそういうことはないだろうと思っていました。そのこと自体が高慢であり、主は私を含めてこのヨハン教会連合を徹底的に打ち砕こうとされているのだと今は感じています。

どの教会に属したとしても、どこに行ったとしても、ただ主なる神様とつながっているならば、福音を伝えることも、家族や同僚にキリストの愛を伝えることも可能でしょう。

「あなたがたの信仰はどこにあるのか」 これをいつも問いただしながら、これからは信仰生活を送っていきたいと思います。

2014年9月1日月曜日

ヨブ記とヨハン教会での出来事

昨日までヨブ記のデボーションの箇所でした。
ヨブは全く純粋な信仰を持ち主に「彼のように正しく神を怖れるものはいない」と言われるほどでしたが、主なる神様がサタンにヨブを攻撃することを許可したことにより、ヨブは財産をすべて奪われ子息を皆殺され、ついには、自らの体まで不治の重い病にかかって苦しみます。
ヨブにとって最も大きな苦しみは、自分が主に対して誠実に正しく歩んできたにもかかわらず、なぜこのような大きな苦難を受けるのかという疑問でした。悪いことをして苦難をおったり、何かの目的にために苦難を受けるのであればわかりやすいですが、理由のない苦難は人を絶望に陥れます。
最後には、主はヨブに現れヨブを叱りながらも憐れまれ、財産は以前の2倍祝福されます。

私たちの信仰生活においても理由がわからないことは起こりえますし、実際、今回、私が出席しているヨハン教会においてそのことが起こりました。

ヨハン教会連合の堂会長であった金圭東牧師による女性教職者に対するセクハラおよび暴力の疑惑が浮上し、韓国のニュースサイトに掲載されました。
http://www.newsnjoy.or.kr/news/articleView.html?idxno=197275
「日本宣教の巨人、女性教職者に常習的セクハラ疑惑」

その事実を金圭東牧師は認め謝罪し堂会長の職を辞任しました。
http://waseda.yohan.or.jp/cat686/cat687/
「金圭東牧師のお詫び」

金圭東牧師による礼拝メッセージは非常にレベルの高いものであり、霊的にも肉体的にも純潔を守り信仰に堅く立つための力強いメッセージを常にされていました。そのような方に今回のようなセクハラ疑惑が浮上し事実であったということは、あまりにも驚くできことであり、すぐには受け入れられるものではありませんでした。ただ、大勢の証言者がいることなどの客観的な事実に基づき、限りなく正しい事実であろうことを認識し受け止めました。

しかし、もう一つ驚くべきことは、被害者が金圭東牧師に謝罪を求めたとき、すぐに謝罪しなかったこと、それを隠そうとしたことであり、あまりにも残念でなりません。なぜ、主に対して真実であるべきことを説き続けまたそのように行動してきたかに見えた牧師が、心を堅くなにし謝罪を拒むのか、理解ができません。
そして、もっと不思議なことは、女性へのセクハラという大きな罪を犯し隠しながら、なぜあのように純潔なレベルの高いメッセージができたのか?ここは人間的に考えても答えが出るものではなく、本当に不思議というほかはありません。

今回のことは、多くの一般信徒にとって、まさに理由がわからない苦難ともいえます。ただ、すべてサタンの攻撃とは思えません。金圭東牧師が日本に来日して日本での福音宣教をはじめて約29年、主なる神様はここにおいて何か特別な意味をもって、今回の一連のことを行い、その先には、人間が想像しえないような、驚くべき日本福音化の一幕が用意されているような気がします。

ヨセフがエジプトの宰相になる前に牢獄で暮らしたように、ダビデが実際の王位に立てられるまでサウルから命を追われ逃亡生活をしたように、大きな祝福の前には必ず大きな試練が伴います。今は理由はわかりませんが、主が大きなことを準備されていることを信じたいと思います。
そして、金圭東牧師を通して示された日本の福音化のビジョンは間違っていないと信じます。すべての人を愛し赦し、一人でも多くの人の心の傷が癒され救われ素晴らしい人生を送ることは、主なる神様の願いであり、私の願いでもあります。

すべての栄光を主に帰します。